【 小西行長 の 涙 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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     ( 「 祈る 小西行長 」 by 座乱読おばさんF )

 

● 「 ペテロは、外に出て、激しく泣いた。」

            ( ルカの福音書 22章62節 )

 

 イエス ・ キリストのことを、ペテロは 三度も、

「 そんな人は知らない! 」 と言って否定し、

 しかも、三度目には、呪いをかけて誓ってまでして、否定します。

 

 すると すぐに、鶏が鳴きます。

「 鶏が ( 二度 ) 鳴く前に 三度、あなたは、わたしを 知らないと

言います。」

と言われた イエス ・ キリストの言葉を思い出して、

ペテロは 激しく泣いたのでした。

 

● 「 伴天連追放令 」 が出されたあと、「 御意 次第 」 と答えて、

豊臣秀吉に対する恭順を示した 小西行長でしたが ・・・・・・・

 

 「 ( オルガンチーノ神父の ) この言葉を聞くと、

行長は 泣きはじめた

 彼は 右近を思い、今、オルガンチーノ神父の不退転の決心に、

おのれの勇気なさを感じたのである。」    

           ( 「 鉄の首枷 」 遠藤周作 ・ 著 )

 

 遠藤周作は、 「 行長が泣いた 」 と書かれていますが、正確に言いますと、

 

「 私の言葉を聞いたアゴスチーノは、

ほとんど泣き出さんばかりになりました。

 そして、私には 何も答えずに立ち上がりますと、結城ジョルジ弥平次を、その部屋に訪ねて行き、そこに 三時間以上留まりました。」 

                ( 小豆島 発、オルガンチーノ書簡 )

 

 ● 「 伴天連追放令 」 が出された後、小西行長の領地である 室

(むろ) の港では、

 オルガンチーノ神父らに対して、

“ 宿を貸さないように ” “ 家に 入れないように ” という命令が出されていましたし、

 行長自身、オルガンチーノ神父に 逢おうとはしませんでした。

 

「 ただちに、立ち去るように 」 との伝言を伝えてきました。

 こちらからの伝言を聞こうともしませんし、届ける書状を見ようとも

しません。

 

 やっとのことで、来訪してきますが、それは、室の地から出て行こうとしない 神父を追い出すためで、

「 その顔は、地獄から来た人の相を 帯びていました。」

 

 オルガンチーノ神父は、重大な決意の言葉を 行長に語ります。

 

「 私は、貴殿の霊魂を助け、また 都のキリシタン達が信仰を守り抜くために、室に残留することにしたのである。

 

 しかるに、貴殿には そのことが判らず、告解しようともせず、私をどこかに匿って 我らを助けようともしないのであってみれば、

 私は、ただちに 都か大坂に赴く。もし 誰も私を家に泊めてくれない時には、その地の街頭に立つつもりである。」

 

 私の言葉を聞いた アゴスチーノは、

 ほとんど 泣き出さんばかりになりました。

 

 そして、行長は、三時間以上、静まる時をもって、

 その間に、まちがいなく、悔い改めの涙を流し、祈りをささげ、

 

 部屋を出てきた時には、

「 彼は まるで 別人のようになり、大急ぎで、私を匿うべき場所について命令し、

 深い痛悔の念をもって 告白し、

 主に感謝し、

 もし、関白が 再び 彼を試みるようなことがあれば、信仰に殉ずる

決心をしたのでした。」

 

  

       

     ( 「 髙山右近 」 by 座乱読おばさんF )