【 サン ・ ファン ・ バウティスタ 号 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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   ~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~

● 1613年10月28日 ( 慶長18年9月15日 )、仙台藩の牡鹿半島
月ノ浦 ( 石巻市 )から、藩主 ・ 伊達政宗の命を受けて、ガレオン船
「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」 が 出帆しました。
 ( 「 バプテスマの 聖ヨハネ号 」 )

 乗り込んだのは、仙台藩士 ・ 支倉常長ほか、宣教師 ルイス ・ ソテロ率いる 約30人の使節団や 多くの商人たち 総勢約180人。
 後に、「 慶長遣欧使節 」 と呼ばれる一団です。

 伊達政宗が 一行に与えた使命は、

① ヨーロッパに渡って、イスパニア ( スペイン ) 国王 ・ フェリペ3世 に謁見して、イスパニア領である ノビスパニア ( メキシコ ) との 貿易の許可を得ること

 さらに、
② ローマ教皇 ・ パウロ5世 に謁見して、仙台領内に、宣教師の派遣を願い出ること
━━ でした。

「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」は、太平洋の荒海を渡り、3か月後の 1614年1月28日に、メキシコの アカプルコ港 に到着。

 船を下りて、陸路 メキシコを横断して 大西洋側に出て、今度は スペイン艦隊の船で 大西洋を横断し、1614年10月5日に スペインに上陸します。

 「 支倉常長 」は、太平洋 ・ 大西洋、二つの大洋を横断した 最初の日本人となりました。

● 常長たちが 日本を出て間もなく、国内では、“ キリスト教禁止令 ” が発せられるなど、情勢が大きく変わってしまいました。

 支倉常長たちは、当初 託された使命を果たすことが出来ないまま、
 1617年7月、帰国の途につき、
 再び、アカプルコ港から、「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」 に乗って、マニラを経て、長崎 ・ 仙台へと帰って来たのでした。

 1620年9月20日 ( 元和6年8月24日 )。
 月ノ浦を出帆して、7年後のことになりました。


     


● この 「 慶長遣欧使節 」 の航海に使われた 洋式帆船 「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」 が復元されて、石巻市渡波 ( わたのは ) にある 慶長使節船ミュージアム 「 サン ・ ファン館 」 で対面することが出来ます。

 地元の船大工40人の皆さんが、技術の粋を凝らして建造し、1993年に完成。進水 ・ 竣工式が持たれました。

 2011年3月の “ 東日本大震災 ” と 1か月後の台風で 甚大な被害を受けましたが、壊滅はまぬかれました。

 2年かけて、2013年に修復が完了し、閉館していた 「 サン ・ ファン館 」 も再開館されました。

 この 2013年は、
「 慶長遣欧使節 400年 」 の記念の年でも ありましたよ!


     
   ( 「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 の 航海 」 )
             水戸成幸 ・ 画

● 「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」 は、太平洋を、合計4回 横断しています。( 2往復 )

   ① 第一回 往航海 ( 月ノ浦 ➡ アカプルコ )
        1613.10.28 ~ 1614. 1.28

   ② 第一回 復航海 ( アカプルコ ➡ 浦賀 )
        1615. 4.28 ~ 1615. 8.15

   ③ 第二回 往航海 ( 浦賀 ➡ アカプルコ )
        1616. 9.30 ~ 1617. ?
      
        悪天候ほかで、1617. 2.23 カリフォルニアの
        ロス ・ モリネスに到着。
        その後、アカプルコ へ。

   ④ 第二回 復航海 ( アカプルコ ➡ マニラ )
        1618. 4. 2 ~ 1618. 8.10

※ マニラで、オランダ軍への防衛を固めていた イスパニア ( スペイン ) へ 売却を余儀なくされ、イスパニア軍艦として、ミンダナオ島方面へ。


 その後の 「 サン ・ ファン ・ バウティスタ号 」 の消息は 不明。