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~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~
● 宮城県黒川郡大郷 ( おおさと )町粕川に、
曹洞宗 ・ 糟川 (そうせん)禅寺があります。
このお寺の観音堂に、高さが60㎝ ほどで、鮮やかな原色で彩られ、頭には 鉢巻のような紐帯をし、髪は 総髪にして、子どもを抱き、腹部には、正面一杯に、花弁のような 大きな文様がほどこされています。
「 子安観音 」 として祀られているのですが、三田村道雄 住職は、
「 この像を間近で見ると、子どもを抱く姿は、マリア観音。
子どもの顔の形は、イエス ・ キリストを彷彿させるようで、明らかに、我々のイメージしている観音像とは 異なります。
これは まさしく、『 マリア観音 』 であり、禁教当時の、隠れキリシタンの心の支えとなっていた 物的証拠ではないでしょうか。」
━━ と 語っておられます。
● この 「 マリア観音 」 は、何時ごろ、粕川に持ち込まれたのでしょうか。
江戸時代 幕末の頃、一人の旅人が、南から 吉田川を渡り 粕川に入って来ました。
旅人は、粕川入口の某家に、「 子安観音 」 と言って、一体の 観音像を預けて、何処ともなく立ち去りました。
この旅人こそ、隠れキリシタンだったようで、大郷の成田地区で 秘かに 「 マリア観音 」 を用いて礼拝していましたが、役人の取締りが いよいよ厳しくなり、北の方に 「 マリア観音 」 を隠匿しようと 粕川まで来たのですが、役人の詮議が厳しく 捕縛されそうになり、某家に預けたものと思われます。
某家では、この 「 マリア観音 」 を 「 子安観音 」 として、家の傍らに 観音堂を造り、粕川の人々と共に 信仰してきました。
いくばくかの 哀愁を感じさせる顔。
迫害された 多くのキリシタン、そして、洪水と戦いながら 逞しく生きてきた 粕川の住民の歴史を、静かに見守って来た証人でもあります。
● 野崎観音も そうですが、この 糟川寺も、曹洞宗の禅寺です。
神田牧師が、この疑問を、野崎観音の 一峰和尚に尋ねてみました。
「 そりゃ、そうや。禅宗ではなぁ、宣教師の話であれ、何であれ、それを聞いて、『 そうや! 』 と思ったら、それが 悟りや。
悟った道を進む。それが 禅の道や。」
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