● 2016. 6.23 (木) 毎週木曜日、朝10時~12時まで持たれている 「髙山右近研究会」 ですが、 「 日本巡察記 」 (ヴァリニャーノ ・ 著) の 輪読会。
正式には、 「 日本諸事要録 」 (スマリオ) と言われ、巡察師 ヴァリニャーノ が、第1回目の日本巡察 (1579. 7.25 ~ 1582. 2.20) を終えて、ローマの イエズス会総長 ・ アクアヴィーヴァ に宛てて記した、機密の報告書です。 (1583年 ・ 筆)
今日は、第19章だったのですが ━━ その中の、次の文章を読んで、 誰のことを 思い浮かべられますか ?
※ 我らは、いかに多くの経験を有したとて、結局は、日本人の感情 ・ 習慣 ・ 態度 ・ 動作に到達することは出来ないのであるから、上長や その他の司祭は、修院にいる日本人だけでなく、外部のキリスト教徒で 我らが信頼しうる、思慮あり 正しい友人や 親しい人々の忠告にも 耳を傾けねばならぬ。
なぜなら、それらの人々は、知識があり、問題の要点は どこにあるか、結果はどうなるか、いかなる方法が適当であり、不適当であるかを 理解出来るからである。
もし そのようにしなければ、良い結果は得られないし、多くの場合、司祭達が適切に行なったと考えても、後に 取り返しが困難な 多くの過失を犯すことになってしまう。
これは、しばしば 経験が示す通りである。
● 3年後の、1586. 5. 4 イエズス会 日本副管区長 ガスパル ・ コエリョ が、一行 30名以上の総勢で、関白 ・ 豊臣秀吉を 大坂城に、表敬訪問しましたが、大歓待を受ける中で、秀吉が “ 朝鮮 と シナを征服する ” ことを語り、二隻の大型船 (ナウ) の斡旋を要請しますが、コエリョ と 通訳をしていたフロイスは、
“ 教会が、関白を 九州に招く ” とか、
“ その際、九州の 全キリシタン大名を、関白に味方するようにする ”
ということを語り、更に 調子に乗って、
“ 外征の時には、ポルトガル船を 世話する ”
などと、申し出たのでした。
このことに 危険を感じていたのは、同席していた 髙山右近 ・ 秀吉の右筆 安威シモン了佐 ・ オルガンチーノ神父 などでした。
後日、髙山右近 と 小西行長 は、このことに関して 勧告 ・ 忠告していますが、コエリョは、その態度を変えようとはしませんでした。
その結果、1年後の 1587. 7.24 副管区長 コエリョ と、その支持者 フロイスの、二人の思い上がりと、生半可な認識が、秀吉を 著しく刺激してしまい、 「 伴天連追放令 」 という、日本 教会史上の 最大の失敗
を 引き起こすことになったのでした。
水戸成幸 ・ 画
※ [ Archives ] (アーカイヴズ ・ 記録保管所)
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