エケレジャ ( 教会 )の組 と ミゼリコルジア の組 の混同 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● 完訳フロイス 【 日本史 10 】 第47章に、「 長崎のキリシタン達が、自費で、非常に清潔で 立派な ミゼリコルジア ( 慈悲の組 ) の教会を建てた 」 ことが記されている。


「 ミゼリコルジア 」 ( 慈悲 ) については、キリシタンの、 デウス ( 神 ) に対する愛 ( ご大切 ) の次に大切な、隣り人に対する愛の 具体的な姿として 「 マタイの福音書 」 25章に、イエス ・ キリストご自身が教えておられることである。

「 どちりな ・ きりしたん 」 にも、「 ミゼリコルジア ( じひ ) の所作 」 として 記されていて、キリシタン達は、祈りの言葉として唱え、実践していたのである。


      じひのしよさ

  一には、飢えたる者に 食を与ふる事

  二には、渇 (かっ) したる人に 飲みものを与ふる事

  三には、肌へを隠しかぬる者に 衣類を与ふる事

  四には、病人と牢者を いたわり 見舞ふ事

  五には、行脚 ( あんぎゃ ) の者に 宿を貸す事

  六には、囚われ人の 身を受くる事

  七には、死がいをおさむる事  これなり。  ・・・・・


 髙山飛騨守が、寒さにふるえている兵士に、自分の新しい着物を与えたり、髙山右近が、貧しい人の棺をかついで 丁重に葬ったりしたのも、すべて、聖書の教え通り、「 ミゼリコルジアの所作 」 として、具体的に行動に移したことであったのである。


 クリスチャン ( キリシタン ) は すべて、愛 ( ご大切 ) の行為として、隣人に対して 「 ミゼリコルジアの所作 」 を実践していくものであるが、16世紀の初め頃から 特別に、ミゼリコルジア ( 慈悲 ) を必要としている人たちに対して、志を一つにして 愛の業を行なっていこうとする 信徒の団体が出来ていき、組 ( confraria ) が組織され、活動が進められていった。


 日本の長崎でも 1583年頃に、「 ミゼリコルジアの組 」 が始まっていて、翌1584年には、ミゼリコルジア の教会 ( エケレジャ ) も 建てられていった。

 

 この ミゼリコルジア ( 慈悲 ) の コンフラリア ( 組 ) というのは、同じ志をもって活動していった、今で言えば、聖書贈呈の活動をしている 「 ギデオン協会 」 や、一般で言えば、 「 ロータリークラブ 」 や 「 ライオンズクラブ 」 のようなものと考えると わかりやすい。


 よく 混同して語られてしまうのが、「 エケレジャ 」 ( エクレシア ・ 教会 ) の組である。


「 新約聖書 」 の最初の頃 ・ 初代教会の初めからそうであるが、たくさんの人達が救われて 信仰を持っていくが、建物としての教会堂は なかったのである。

「 ペンテコステ 」 ( 聖霊降臨日 ) には、使途ペテロのメッセージで、いきなり 3千人が救われ、クリスチャンになっていった。


 ユダヤ教の会堂 ( シナゴグ ) は あっても、キリスト教会は 一つとして ないのである。

 どうしたのだろうか。

 クリスチャン達は、日曜日ごとに集まり、礼拝をささげていったのであるが、今の私たちが考えるような教会堂は ないのである。

 聖書には、「 家 ( 々 ) の教会 」 と記されている。新しくクリスチャンになった人達は、何軒もの リーダー格の人達の家に、30人 ・ 50人 ・ 100人 と集まって、礼拝 ・ 祈りをささげていったのである。


 キリシタン時代の日本でも、どんどん人々が救われ ・ 信仰に入っていったが、建物としての教会堂が準備できるはずがない。

 信徒リーダーを中心とした 小組、小組がいくつか集まった 大組、そして 全体としての 総組が、組織として あった。


 天正9年 ( 1581年 ) の 髙山右近領の高槻は、2万5千人の領民の内、1万8千人がキリシタンだった。 

 領内には、20ほどの教会 ( もと 神社やお寺だったと考えられる) があったから、 1万8千 ÷ 20 = 900人 / 1教会 になるので、およそ 900人の 大組が 20 あったと考えられる。

 そして、 この900人が 100人ずつに分かれても 9つの小組、50人ずつだと 18の小組が 組織されたと考えられる。


 そして、これら 9~18 の 小組 ・ 20の 大組 を 一つにまとめていたのが、高槻城内にあった 新築の 大教会 ・ 高槻教会で、その まとめ役をしていたのが 信徒である 髙山右近だったということになる。

 この年 ( 1581年 ) には、高槻常駐の司祭は 一人も おられなかったのである。


 このような 家々の教会 ・ エケレジャ の組 は、2千年前の 初代教会の時代から 延々と続いてきているもので、中世になって 建物としての 大教会 ・ 大聖堂 が建てられていき、それが教会だ と錯覚して思っているわけである。


「 エクレシア 」 ( 教会 ) とは、もともとの ギリシャ語の意味は 「 集まり 」 ということで、教会堂 という建物のことではない。


・ エクレシア ( 教会 ) と 教会堂 を 混同しないようにしたいと思う。

・ 又、「 エクレシア の組 」 と 「 ミゼリコルジアの組 」 も、混同しないようにしたいと思う。


( 長崎市にある 「 ミゼリコルディア本部跡」 碑 )