● 「 キリシタン文化研究会 会報 」 の最新号 ・ 143号 ( 2014年5月発行 ) に、木越邦子さんが、
「 マニラから 加賀藩に戻った 髙山右近の家族 」
━━ 1616年、長崎発信の 書翰より ━━
と題した論文を発表されている。
髙山右近が 1615年2月3日 に フィリピンのマニラ で召天した後、妻ジュスタ や 娘ルチア、長男ジョアン十次郎の子 (孫) の一人が 帰国した とされてきたが、そのことが記されている 【 1616年 長崎発信の ジェロニモ ・ ロドゥリーゲス 書翰 】 の文章は、確認出来ないままだった。
それを今回、木越さんが、1974年にトレドの文書館で撮影された、この 長崎発信書翰 ( ポルトガル語文 ) のコピーを入手され、高瀬弘一郎氏による 翻訳の協力を得て、その文章を紹介してくださっている。
発信者である ロドゥリーゲス師は、この年 1616年には、イエズス会の 日本準管区長 をされていた。 ( 1615 ~ 1617年 )
そのことが記されている個所であるが、
「 われらの主は、彼 ( ※ 髙山右近 ) をマニラで 御許 ( みもと ) に召し給うた。彼の妻 ・ 娘 ・ および 孫たちの一人は 日本に戻ってきて、秘密にしてはいるがキリスト教徒である 彼の婿 ( ※ 横山康玄 ・ やすはる ) が、彼らに会った。 」
帰国後の 彼らの動向については、徳川 大禁教下のことでもあり、残念ながら、書き残された史料は 見つかっていない。