A. キリシタン版として有名な「どちりなきりしたん」(1600年長崎刊・国字本)に、「ぱあてるのすてる」「けれど」「十のまんだめんとす」(十戒)などが記されています。もともとのことばは、
“Doctrina Christam” “Pater Noster” “Credo” “Mandamentos”
となります。
“pater”(父)を、キリシタン版では「ぱあてる」と記していますが、ラテン語は、母音の長短を明確に区別する言語でして、“pater”は、「パーテル」ではなく、「パ」を短く、「パテル」と発音します。つまり、「パテル・ノステル」(「ぱてるのすてる」)と発音します。
なお、「母」のラテン語“mater”は「マーテル」と、のばして発音するんですよ。
以下、少し専門的になりますが・・・・・・
● ラテン語は、母音を含む各音節の長短の区別を明確にする言語ですが、それは、内包する音節の長短によって、各単語におけるアクセント(古典ラテン語では、強弱ではなく高低)の位置が決定されるからです。
たとえば、“pa-ter”のような2音節から成る単語では、アクセントは必ず第1音節(pa) にありますが、3音節以上から成る単語では、後ろから2つ目の音節が長ければそこにアクセントがあり、短ければアクセントは、その前の音節に置かれます。
たとえば、「マタニティ」の語源であるラテン語の“maternitas”は、“ma-ter-ni-tas”と4つの音節から成っていますが、後ろから2つ目の“ni”が短い音節ですので、アクセントはその前の“ter”に置かれて、「マーテルニタース」の「テ」を高く発音することになります。
したがって、ラテン語の場合は、アクセントがどの音節に置かれるかという以前に、音節の長短(特に、その中の母音の長短)が厳格に定められているのですが、ヨーロッパの近現代語では、“最初にアクセントありき” で、アクセントがある音節が自動的に長く発音されてしまう傾向にあります。
すなわち、ラテン語の“pater”には、元来のラテン語の規則どおり、第1音節の“pa”にアクセントがあるものですから、ラテン語を母語としない中世以降のヨーロッパ人は、自分たちの母語の流儀に従って、アクセントのある“pa”を、無意識に長く発音してしまうというのが傾向です。
“pater”は、本来は「パテル」なのに、つい「パーテル」とのばして発音してしまうことも、その一つの表れです。
“pater”から派生した、ポルトガル語やイタリア語の“padre”(司祭・神父)も、当然アクセントがある“pa”を長く発音して、「パードレ」となってしまうというわけです。
なお、「パードレ」が「ぱあでれ」と記される、即ち「ド」が「デ」になることについては、近代以前の日本人は、ヨーロッパ語の単語中で、後ろに母音を伴わない子音(padreの場合は、d)を発音する場合、その後ろに続く子音(padreの場合は、r)が流音(lとr)の場合には、その“l”または“r”の後ろの母音(padreの場合は、rの後ろのe)を、先行する子音(padreの場合は、d)の後ろにも補って、“padre”をあたかも“padere”のように発音する傾向にあります。
その最もわかりやすい例が、日本人が英語の“glass”を、まるで“galass”のごとく「ガラス」と発音したことでしょう。
キリシタン時代の日本人が、“sacramenta”を、「サクラメンタ」ではなく「サカラメンタ」と発音していることも、その一つの例です。
細川「ガラシャ」の霊名が、ラテン語の「Gratia」であるのを、あたかも「Garatia」であるかのように発音したことも、分かりやすい例だと思います。ただし、「Gratia」は古典ラテン語では「グラーティア」と発音します。
「けれど」も、「私は信じる」を意味するラテン語の動詞“credo”そのものであり、これは本来のラテン語では「クレードー」と発音しますが、上に述べたような理由で、あたかも“ceredo”であるかのごとく、「ケレド」と発音されてしまったのです。このような例は、数えればきりがありません。
ちなみに、ラテン語の固有名詞を日本語で表記する場合、各音節の長短に忠実に書くとすると、例えば
Johannes は「ヨーハンネース」、 Hieronymus は「ヒエローニュムス」
Augustinus は「アウグスティーヌス」、 Gregorius は「グレゴーリウス」
Clemens は「クレーメーンス」
となってしまい、日本語としては、やや長ったらしい感じになります。それで、一般書などでは長音記号はすべて省いて、「ヨハ(ン)ネス」「ヒエロニ(ュ)ムス」「アウグスティヌス」「クレメンス」などと書いているケースが多いようです。それはそれとしても、逆のケース、すなわち本来短い音を長いように書いてしまう(例えば「パテル」を「パーテル」と書く)のには違和感を感じます。
髙山右近の霊名を、「ジュスト」ではなく「ユスト」と書くケースについてですが、考えてみると、前教皇の名前を「ヨハネ・パウロ」と書くのも不思議です。
特に、「ヨハネ」というのは、いったい何語なのでしょうか?
ラテン語では「Johannes Paulus」ですが、これをそのままカタカナで書けば、「ヨーハンネース・パウルス」または長音抜きにして「ヨハ(ン)ネス・パウルス」です。
「Johannes」は、イタリア語では「ジョヴァンニ」、ポルトガル語では「ジョアン」、スペイン語では「フアン」、フランス語では「ジャン」、英語では「ジョン」、ドイツ語では「ヨーハン」です。
この名前を、「ヨハネ」とする言語など、日本語以外にどこにもありません。
ひょっとして、ラテン語「Johannes」の奪格(名詞の格変化の一つ)である「Johanne」を転用しているのかもしれません。「Paulo」(パウロー)も、「Paulus」(パウルス)の奪格ですが、もしこれがイタリア語なら「Paolo」(パオロ)のはずです。
そういえば、右近の霊名のラテン語「Justus」の奪格も「Justo」ですので、この形を、日本語表記の「ユスト」に用いているのかもしれません。ただし、母音の長短に忠実に発音すれば「ユーストー」ですが・・・。
● 以上のことは、すべて、“ラテン語・ラテン文学”を専門にされている「原田裕司」さんに、ご教示いただきました。
原田さんのホームページ 「HIROSIUS HOME PAGE」も、是非、ご覧になってみてください。
※ 義人(Justus)は、なつめやしのように栄える。
