21年間の鬱が治りつつある…… | つれづれマカロン

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46歳ひきこもりの
人生楽しみたい日々なのです



 20歳の時にうつ病になってから、今年で21年目です。人生の半分はうつ病で過ごしてきたことになります。



 ふつう、うつ病は『心の風邪』のようなもの、だいたい3ヶ月で治る、と、山ほど読んだ『うつ病入門書』には書いてありました。しかし3ヶ月どころか20年、気づいたら過ぎていました……。お医者様からは『うつ病』ではなく『非定型精神病』と診断されています。確かに、統合失調症のような症状(幻覚や幻聴)もあったし、「心の風邪」をこじらせたどころか、「心のガン」に罹ったような状態だと自分では思っていました。



 精神病院に入院も2回しました……どちらも数ヶ月程度。入院生活はとにかく精神的にストレスだったとしか言いようがないです。他にも白血病の時8ヶ月、成人スティル病で一ヶ月入院してるんだなあ……病気人生。何はともあれ両親に申し訳ないことこの上ないです。高い入院費払ってもらって、相変わらず引きこもりなんだから……。



 でも、ここ数ヶ月、「うつ病が治りつつある……?」と感じています。今までの『ちょっと調子のいい時期』とは明らかに違う、精神の地力がついてきたような感じ。大っ嫌いだった『努力』や『自己責任』という言葉を見ても、それほどイヤと思わなくなった。頓服薬を飲む回数が明らかに減った。



 依存的なクセも減りつつあります。買い物依存症とか。といっても私の買い物依存はAmazonで1円本や1円CDを買い漁るものですけど。それでも送料を入れると一回数百円は使っちゃうなー。落ち込みのひどい時には毎日のようにポストに本やCDが届いたものです。でも、それもなくなってきている。



 頭のどこかで、「私は一生、うつ病なんだろうな……」と悲観していました。そして一生ひきこもりなんだろうな、と。でも、今少しずつ、回覧板を隣に回したり、近所のスーパーにお買い物に行ったりできるように。ささやかな変化ですけど、自分の中では大きいです。



 自分の中の一番の変化は『他者に依存して生きようという気がなくなった』ということ。「私はうつ病なんだから。可哀想なんだから。だから家族や周りの人は私をいたわってくれなくちゃ」というような甘えた考えがずーっと私の中の基本としてあったのです。でも、今は「それは違うな」と言える。もちろんまだできないことはいっぱいあるし、家族に頼ることも多いけど、それが『当然』だと思わなくなった。



 糸井重里さんの本のタイトルじゃないけど、『できることをしよう。』という気持ちが芽生えてきた……。自分でも嬉しいし、信じられないです。一生うつで過ごすんだとばかり思っていたから。21年うつ病を(非定型精神病を?)患っても、22年目に治りかけることもあるんだと……。



 でもまだまだ「油断せずに行こう。」(by手塚部長?)です。うつ病の回復は上がり下がりの多い坂道だと、何冊もの本に書いてありました。調子の上がっている時に「このまま治る!」と思わず、調子の下がる時期に「このまま悪化する!」と思わない……それが大事だと。



 なんで突如快方に向かったかな……とここ数ヶ月を振り返ると、一つには伯母が老年による骨折や軽い認知症で入院して、母がそちらにつきっきりになったことがある、とは思います。最初はすごいストレスでした。髪がボサボサ抜け、足はぼろぼろの水虫になり(はずかちい)、頓服薬を毎日大量に飲んで。でも母にはもう頼るまい、という決意が芽生えて、自分の力で立てるようになった気がします。



 でもこれもタイミングというか。だって、祖父が亡くなった時も祖母が亡くなった時も、鬱はちっとも軽快しなかったんですから。結局、21年という短くない時間が、治るのに必要な一番の薬だったのかな……と考えています。



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↑色々読んだけど、この本が一番好きかなー。