【漫画】妙子跳ねる!:星野架名 感想 | つれづれマカロン

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46歳ひきこもりの
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花とゆめコミックス『プレーンブルーの国』1985年刊)に収められています。星野架名さんの初コミックスです。この「妙子跳ねる!」は「妙子シリーズ」の第1作目になるのかな。

本橋妙子は、毎日通学路の途中の角で迷う。まっすぐ学校へいくべきか、遊んでしまうべきか。その日は特に遊びたい気持ちが強かった。思いきって学校への角を曲がった瞬間、「なにか変な感じ」がした。「妙子」は普通に学校に行った。「タエコ」は「学校なんか行きたくないもん」と舌を出してUターンした。

誰もが経験のある、「今日は学校へ行くべきか、遊んでしまうべきか」の悩み。妙子はそれがあまりに強くなりすぎて、ふたりの自分に分裂してしまいました。分裂したタエコは本来の妙子とは違って、ちょっと釣り目でいたずらっぽい雰囲気です。そういう雰囲気の妙子になりたかった妙子が、いたのかもしれません。

妙子はひどい脱力感に悩まされていた。遅刻してきた友だちのちーちゃんが、妙子を見て驚いた。ちーちゃんが見たタエコは、かばんの中身をぶちまけ、かばんは川に投げ込んだという。そして「あたしもう学校こないかもしれないからね」と言って去っていったと…。川から拾われたかばんは、妙子のものとまったく同じだった。

どうも、タエコが離れている間は、妙子はだるさを感じるようなのです…。かばんの中身をぶちまけてしまう、というのは学校に行きたくない子なら一度はやりたいこと。わたしも高校生のころはよく学校をサボってファミレスで本を読んでいました…。今思うとよく補導されなかったな。わざわざ川にかばんを拾いに入ったちーちゃんはいい友だちです(^-^)

タエコはデパートで口紅やブレスレットを盗んでいた。警備員が追いかけようとするが、なぜかタエコがどんな顔だったか思い出せない。映画館に行くタエコ。お金が無いけど観たい、と受付のひとに不思議な力を使って中に入る。

なぜ、学校にいくのをやめた少女は口紅を万引きするというお約束があるんでしょう? といっても、わたしが知っているのはあとは白倉由美さんの短編『口紅泥棒』だけですけど…。ブレスレット、アームレット、金属製のヘアバンドを身につけたタエコは、ひと昔前のロックシンガーみたいになってます。いえ、ひと昔前の漫画だからいいんですけどね(^▽^)

何もしていないのに、出来ないのに、ひどい罪悪感を感じる妙子。ドッペルゲンガー、という現象に思い当たる。ドッペルゲンガーを探しに行きたいし、これ以上学校にいるのは無理、と早退する。

身体のダメージだけではなくて、本来タエコが感じるべき心の罪悪感も妙子が引き受けることになっているのですね…。それは、妙子、大変です。ドッペルゲンガーに思い当たったのはふたつのかばんを見て、のことなんでしょうけれど、かばんがなかったら妙子はタエコを探しにいけないまま、衰弱死していたかもしれません。

補導員にベロベロバー、と舌を出して逃げるタエコ。全力疾走しても疲れない。逆にどんどん疲れていく妙子。いまのあたしが自然…とタエコは思う。学校に行っていたあたしよりも、いまこうしているあたしのほうが自然だ、と…。

「ベロベロバー」に時代を感じてしまったのです('-'*) 学校へ真面目に通うよりも、さぼっていたほうが自然な自分に感じる、というのはわかります。わたしもサボり魔でしたから…。でも、やっぱりそこには無理があるのです。罪悪感も、何かから逃げ続けなくてはならないという気持ちも。

アマチュアの飛び入りコンサートで歌っているタエコを見つけ出す妙子。「双子!?」と湧く会場をあとにするふたり。ドッペルゲンガーは怪物とされているけど、本当はその人間の真実の部分なのかもしれないね…。

タエコ、もうなんでもアリです。アマチュアの飛び入りコンサート、ってそれはカラオケ大会のようなもの…ではないですよね(^▽^) ドッペルゲンガーが真実、というのは一面を表していますけど、あくまで一面でしかないと思います。ドッペルゲンガーが出ていった妙子も、本来の妙子なのだから。

もうあたしはあたしだ、戻りたくない、とタエコは言う。あたしはあんたのなかの「ワガママ」という部分の化身なのよ、と。いつか困る時が来る、と妙子は言うけれど、タエコは「皆あたしの顔を綺麗に忘れてる。だから問題ない」という。

「ワガママ」の化身ならば、よりいっそう元の身体には戻りたくないでしょうね('-'*) 悪いことを続けていても、みんなが顔を忘れてくれるから問題ない…それは、とても寂しいことなのではないでしょうか。

オリジナル、ドライブに行かない?と誘われる妙子。動かないはずのスクラップの自動車を運転して海に行くふたり。「普通の子に戻ろう…学校に行こうよ」と説得しても「いや」というタエコ。妙子とタエコは海に着く。綺麗な三日月…。

タエコの「オリジナル」という呼び方がSFっぽくてちょっと良かったです。そして、壊れた自動車を運転できるタエコ…。タエコに不可能はないのです。何で「オリジナル」が持っていなかった能力を持っているのかな(^▽^)? まあ、あんまり深く追及しない。きっと、こころに枷が無くなると、ひとはもっと色々な力が出せるのでしょう。

こうして心も身体も離れた以上、ふたりは別の人間なのかもしれない、と思う妙子。でも、このままじゃふたりとも亜人間だ。「夜空を飛びたい」というタエコ。「あたしに出来ないことはないんだ、妙子も手を伸ばして」そしてふたりは、月夜を飛ぶ。妙子は、月を綺麗だと思う気持ちを共有できているのは、やっぱりタエコも自分だからだ、と思う。

「亜人間」という語彙が出てくるところがSF少女漫画のひと、という感じですね(^-^) そして、タイトルの「妙子跳ねる!」のシーンです。月夜に向かって飛ぶ…というより跳躍しているのかな、このふたりは? ふたりは別の人間のようでいて、感性は同じものを持っているんですね。そういえば、タエコの歌声を「あたしの声だけどすごく綺麗になってる…」と思っていた妙子でしたし。

頭痛を感じて地上に落ちてしまう妙子。タエコが動いている間、その疲れは治ること無く妙子に溜まり続ける。そのことを知ると、どんなことにも動じないと思っていたタエコが泣いていた。…妙子が気がつくと、タエコはどこにもいなくなっていた。妙子の中にはふたり分の今日の記憶が残っていた。

あんなにワガママだったタエコが、「オリジナル」に自分がダメージを与えると気づいたとたんに泣いて、そして自分の存在を消してしまう…なんだからしくないような気もしますけれど、タエコは妙子の一部分であるがゆえに、いちばん妙子のことを大事に思っていたのかもしれません。「ふたり分の記憶」のところに描いてあったのは口紅やブレスレットでしたけど、補導員にベロベロバーの記憶も残っていると思うと、ちょっと…(^▽^)

その日の夢。いろんな本橋妙子が出てきた。泣いている妙子、怒っている妙子…みんなちゃんと並びなさい、と声をかけると、ふわりと全ての妙子がひとつになった。そう、それがあたしです。そして次の朝がやってくる…学校にいく、いつもの朝が。

ハッピーエンド、というよりなにか考えさせられるエンドでした。「ワガママ」なタエコ以外にも、こんなにたくさんの「妙子」が妙子の中には住んでいる。それが統合された存在が、本橋妙子自身、ということ。一日の不思議な体験を通して、自己回帰した妙子なのです。妙子にはまた「学校に行きたくない」という葛藤は訪れるだろうけれど、「タエコ」が現れることはもうないのでしょう。

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