□■安土城で迷子になる信長■□
1580年(天正8年) 信長47歳
宣教師のジョアン・フランシスコの書簡に、落成間もない安土城の描写と共に、思わず微笑んでしまうようなエピソードが書かれている。
なんとあの信長が、安土城の部屋があまりにも多いので、迷子になってしまったとカミングアウトしているのだ。
なんともお茶目な一面ではないだろうか。
その上、部屋までの道を案内する標識代わりの像が沢山置かれていたという。
実物が見れないのが残念である。
今では想像力を膨らませるしかないが、一流の職人に彫らせた像であったというから、大変美しい空間を演出していたに違いない。
①翻訳文
「1580年9月1日付、都発信、ジョアン・フランシスコ師の書簡」
(前略)
信長の城は非常に高い山の上にあり、そこへは約三百の階段を経て登るが、はなはだ困難ながら馬によっても登ることができる。
この山の周囲には彼の臣従する大身らの家々があり、それらは互いに隔離され、各々強固な壁で囲われている。
あたかも一つ一つの家が城のようである。
山の頂上はそれよりも遥かに大きく堅固な壁で囲われ、その内に主たる城がある。
これが信長の城であるが、むしろ宮殿というべきである。
城は七層あって、城内の部屋が余りにも多いので、信長の言によれば、彼も最近、迷ったとのことである。
部屋までの道筋を知るための標識は城内に沢山置かれている種々の彫像であり、これらは、いずれも驚くほど美しく完全であるが、信長は少しの不完全にも我慢することができないので、日本で最も優れた職人を各地に求めた。
足を置くべき床は天井板のように清潔で磨かれており、扉と窓はことごとく塗って光沢を出しているので、鏡のように己れの姿を(映して)見ることができる。
外部の壁はいとも白く、最上階のみは、ことごとく金色と青色で塗られ、日光を反射して驚くべき輝きを作りだしている。
瓦はポルトガルの瓦と同じくらいの大きさだが、きわめて巧みに造られているので、これらを外から見る者には薔薇か花に金を塗ったもののように思われる。
この山の麓は長さ十五、乃至二十里に及ぶ非常に大きな湖に接している。
今、この市には司祭二名と修道士二名が滞在し、説教を聴く者は数多く、その中にははなはだ高貴な者数人がいた。
(後略)
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参考文献
・『十六・七世紀 イエズス会日本報告集 第Ⅲ期 第5巻 1577年-1581年』
松田毅一 監訳、同朋舎出版、1992年
※その中の 「1580年9月1日付、都発信、ジョアン・フランシスコ師の書簡」より
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