□■ねねへのお手紙■□
1581年(天正9年)頃 信長48歳頃
信長というと、自分の家臣団や女子供に対して、とても厳しく冷淡なイメージがあるのではないかと思う。
だが、様々な資料や文献を調べていると実はそうでもない。
天下布武への道を阻む者たち、嘘をつく者たち、規律を守らない者たちに対しては、厳しさを見せるが、自分を支えてくれている者たちには優しい一面も見せている。
以下に紹介する手紙は、秀吉の正室・於祢(ねね)に宛てたものだが、この文面には信長の優しさや慈しみが真っ直ぐに伝わってくる。
原文は、於祢が読めるように、かな文字が多く用いられており、そこにも暖かい配慮がある。
①現代語訳
私の命に従い、この度、この地(安土)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう。」と思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何をお返しすれば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が何か不足を申しているとのことだが、言語同断。
けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみ(秀吉のこと)は見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時は、言いたいことをすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。
又々 かしく(恐惶謹言に同じ)
藤吉郎 女ども
のぶ
②書き下し文
(※ここでは読みやすくする為、かなと漢字に直した。)
仰せの如く、今度はこの地へはじめて越し、見参に入り、祝着に候。
殊に土産色々美しさ、中々目にも余まり、筆にも尽くし難く候。
祝儀は仮に、この方よりも何やらんと思い候はば、その方より見事なる物、持たせ候間、
別に心さしなくのまま、まずまずこの度はとどめ参らせ候。
重ねて、参りの時、それに従うべく候。
就中、それの見目ぶり、形まで、いつぞや見参らせ候折節よりは、十の物廿ほども見上げ候。
藤吉郎、連々不足の旨申のよし、言語同断、曲事候か。
何方を相尋ね候共、それさまの程のは、又二度、かの禿ねずみ、相求め難き間。
これ以後は、身持ちを良う快になし、いかにもかみさまなりに重々しく悋気などに立ち入り候ては然るべからず候。
ただし、女の役にて候間、申すものと申さぬなりにもてなし、然るべく候。
尚、文体に羽柴には意見、請い願うものなり。
又々 かしく
藤吉郎 女ども
のぶ
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於祢の見事な土産に心を喜ばせ、於祢を褒め、暖かく諌める。
このような人間味溢れる手紙は、真に残忍で冷淡な人には書けないものである。
また、この手紙を2014年、名古屋市にある「徳川美術館」で実物を見てきたが、
手紙の冒頭は字間も広めにゆったりと書いているのだが、途中から筆が載って来たのか、字間がギチギチに書かれていて思わず微笑んでしまった。
信長の自筆と言われているが、定かではない。
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参考文献
・於祢の手紙
重要美術品 個人蔵
・西ヶ谷恭弘 『考証 織田信長事典』
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