ただいま、おかえり -13ページ目

ただいま、おかえり

山田花畑の番外編

虐待を受けた子供は、その存在を否定されることが多々ある。

そのため、自分がここにいて良いのかいつも疑心暗鬼になる。
自分はここにいていいんだろうか、じゃまではないか。

本来その存在は尊く、大切にされるべきものだ。

しかし、気づけばいつも周囲に気を使い、周囲の目を気にし、出過ぎた存在にならないよう細心の注意を払っている。

毎日息が詰まるような思いを抱えながら、早く大きくなりたいと切実に思っているのである。
しかし、明日に希望がないため、将来の夢が描けない。
現実離れした夢物語はいくらでも描くことができるが、自分が生きる為に何で食べてゆくかを考えることができない。

必死で考えてみるのだが、ピンとこないし、出過ぎた存在にならないために使ってきた気持ちが、こんなところで邪魔をするのである。
自己主張を許されなかったので、将来への希望を考えるとき、自己の希望を強く持つことができないのである。

ただ一つ現実的なことは、地獄の生活から離れたい、早く独立したい。
それがただ一つの切実な願いなのである。
なので、これ以上の夢を抱くことができないし、自分の人生のレールを敷くことができない。
ダメージの大きい子供はなおさらである。

私はいったい何がしたいんだろう。
本当は、誰かに見てほしい。
本当は力を発揮したい。

しかし、自分らしく、、、といったことがわからないのである。
いったい私は何?
何がしたいの?
どんな風に生きたいの?

ある時こんな答えを聞いたことがある。
安心して、温かい布団でぐっすり眠りたい。

この子は、安らかな気持ちで眠ったことがなかった。

力強く未来を勝ち取ってほしいと、願うばかりである。
かつて体調が思わしくなかった時、同じサークルの先輩が私にこう言った。
「ああ、あなたには頑張ってねって言っちゃダメなのよね?」

「ぬぁにーー?」

頑張ってって言っちゃいけないって、どう言うこと?としばし考えた。
後から知ったが、このかたは適応障害のご家族がいて、予備知識としてウツ病の人には「頑張って」は禁物だと思っていたようだ。
さらに冷静に考えたら、とても失礼な発言と思った。

残念ながら、私はウツ病ではありませんでした、、まったくナンセンスな話。
それより疾患のあるご家族がいながら、その認識の浅さに悲しさを覚えた。
本当に頑張ってと言ってはいけない人がその言葉を聞いたら、どれだけ気分が落ち込むことでしょう。

以前読んだ本の中にこのような記述があった。

日本人はよく「頑張って」と言う。
苦境に直面し、力を尽くしている人への励ましとしても普通に「頑張ってね」という。
この様子を外国人が見てあきれたと。
なぜなら、もうすでにベストの力を尽くして苦境に対峙している友人に、さらに追い打ちをかけるのかと。十分健闘しているではないかと。

なるほど。

ちょうどこの時、外国人の友人から英会話を教わっていた。
その際、日本人が頑張ってと言うタイミングで使われる英語を教えてもらった。
文化や発想が違うと、出てくる言葉が違うんだと思った。

頑張ってねというときは
Take it easy
You can do it

何かを成し遂げたとき「頑張ったね」と言うときは
Good job !

などなど

私は Good job と言われるのがとても心地よいと思った。
頑張ったと言われるより、仕事の質を褒められたような気持になるからだ。
しかも抑揚をつけて
「Ohーー!Hanabatake ーー!Good job ーー !!!」
と言われたら、嬉しくなってニヤニヤしてしまう。

日本人は奥ゆかしいと言われるが、あまりダイナミックに相手を褒めないと思う。
ところが英語では、率直に相手を褒める言葉を使う。

またこんな会話を聞いた時もとても感心した。
友人の家族の誕生日会に誘われ、その席で息子さんがピアノを弾きだした。

ところが、食事と談笑が始まっていたので、友人はピアノをやめるように言って
「You can later」 と。

これを聞いたとき、素敵だなぁと思いました。

少なくとも私の母はそうは言わないと (笑)
「ちょっと!もうご飯だからやめなさい!」が関の山。

「You can later」は言われた息子さんの自尊心を尊重する言葉だと思った。
この言葉には、否定的な要素はない。
これが、みんなの前でやめろと怒られた日にゃ、孤立した気持ちに北風が吹いてしまう。

何気ない一言が、人の気持ちの中に優しさも作れば、卑屈さも作るのだと思った。

私はレッスンの時間に、日本語の表現を英語にするとどうなるかという質問をよくしていた。
でも、友人はいつも答えに困っていた。
そしてこう言われたことが忘れられない。

「おー、Harabatake 、英語では Negative words は使わない」
そっか、日本語は確かにネガティブな表現が多い。
ネガティブな言葉を使うと、気持ちまでネガティブになる。

私はこの時を境に、「頑張ってね」という言葉を使うのをやめた。
少なくとも、言葉としての温かみをあまり感じないと思ったからだ。

そして、人生が生きにくい人ほど、「頑張る」という言葉をよく使うことに気がついた。

発明家が歴史に残る発見やひらめきを見つける時はどんな時だろう?
それは、もっとも体の力が抜けている「寝入りっぱな」の一歩手前だという。

どういうことかというと、人がもっともその力を発揮できる時というのは、もっともリラックスしている状態の時だということである。

肩の力は抜いて、自身の力を気持ち良く発揮したいものである。
仕事で知り合った J さんの、ある行動が不思議に思えたことがある。

J さんは、一見人当たりが良く、めったなことではノーと言わない。
そんな人が、宅配便の到着が遅れたことで、大変激怒して配送センターに電話をかけていた。

依頼した時間にどうして持ってこないのだ。
やっぱり、御社のサービスは最低だ。
こんなことで顧客満足と言えるのか。
今日は持ってこられないのか。
では、明日、朝 8 時きっかりにもってこい。

電話口で応対した人は、はいはいと返答するしかなかったと思う。
この件は、交通事情で配送が遅れたので、少なくとも配送会社の怠慢ではないことが分かっている。

なぜ温厚に見える J さんが、相手の逃げ場がないような怒り方をするのか、この時はわからなかった。
そこまで激怒することなのか。
何がこのような怒りを表出させるのか。

J さんについて、私は大変興味を抱き、いろいろ話を聞いてみた。
そして、この人の怒りはこの件にとどまらず、ある一定の条件を満たすと表出されることに気が付いた。

条件 1
相手が絶対に反撃しないこと

条件 2
相手が黙って最後まで言い分を聞いてくれること

条件 3
相手の社会的立場が確実に下であること

J さんの件は 「怒り」 について考える、良いきっかけとなった。
しばらくして J さんが本当に怒りたかったのは、宅配業者ではなかったことに気が付いた。
本当に怒りをぶつけたかったのは、お母さんである。

J さんはお母さんに頭があがらない。
良く言えば、お母さんに優しいとも見える。
いえ、対外的に優しく見えるように振る舞っていたのである。

幼少期、J さんの両親は大変仲が悪かったそうである。
お父さんの仕事が安定しないため、給料は非常に少なく、そのため子供は J さんだけ。
貧乏で生むことができなかったと、お母さんが愚痴をこぼしていた。
お母さんは宿泊施設で深夜まで働き、J さんはおばあちゃんに育てられたのだと言う。
お父さんはお酒を飲んではお母さんに暴力をふるっていた。
J さんは両親を前に、どうして良いのかわからず、わざとおかしな言動で両親を笑わせようとしたそうだ。

なるほど。
J さんが時々、意味不明な独り言を言ってヘラヘラ笑っているのは、その時の名残りかと合点がいった。

親が子供の前で喧嘩をすると、子供はひどく傷つき、自分の存在を否定されたような心情になるという。
子供の存在は両親の存在の上にあるので、その両親が喧嘩をすることは、子供にとって我が身が真っ二つに裂ける思いであろう。

傷ができることは、心に明らかに変化が起きていることを意味する。

最も自分を大切にしてほしい両親という存在が、自分に危害を加えたら、どのような気持ちになるであろう。

どうしてお母さんは私に痛いことをするの?
どうしてお父さんは私をいじめるの?

どうしてなの??

理不尽な現実に対する悲しみと怒りが必ず湧き起っている。
そして、ひっそりと心が血を流すのである。
その悲しみと怒りは自覚したままでは生きづらいため、潜在意識の下に埋め込まれる。

見えないし、埋め込まれるため、意識ができない。
しかし、癒えていない傷は、口を開けたまま、悲しみと怒りとともに存在し続けている。
それが、思わぬきっかけから表出するのである。
本人は自覚できないことが多い。

子供のころの J さんの気持ちを代弁してみよう。

「お母さん、なんでお父さんとけんかするの?ねえ止めてよ。ひどいよ。私はどうなるの。バカバカバカバカバカーーーー!!!!喧嘩なんかしないでよーー!!!!」と泣きじゃくる。
あえてお父さんは割愛する。
お母さんがしっかり機能していれば、子供は傷つかないからだ。

このような親子関係が築かれている場合、子供は親に本音を言うことができない。
フラストレーションは、何歳になっても蓄積され続けることになる。
いい加減出した方が良いわけだが、出せないと宅配業者に向かって激怒することになるのである。

J さんは、一時カウンセリングに通ったが、自分がメンタルケアを受けている苛立ちに耐えかねて、郷里に帰ったきり、治療も途中でやめてしまったようである。

もし、自分に抑圧された心情が潜んでいるのではと懸念があるならば、解消し健全さを取り戻す方法がある。

ぬいぐるみに登場してもらおう。
それから、クッションにも登場してもらおう。

自分の分身であるぬいぐるみを抱きしめて、傷ついたシーンを思い出してみよう。
たとえば、喧嘩をしている両親の姿でも良い。
瞼の裏側にイメージがわいてきたら、ぬいぐるみをギュッと抱きしめて
「たろちゃん、お母さんが喧嘩して嫌だったね」
「つらかったね」
「悔しかったし、苦しかったね」
「大声で泣きたかったよね、でも怖くて泣けなかったよね」
「もう我慢しなくて良いよ」
と言ってあげよう。

ここで、心の緊張がほどけたなら、自然と涙がこみあげてくる。
辛かった気持ち、悲しかった気持ちが顔を出すのである。
あとは、怒りを出してあげれば良い。

大きめのクッションを自分の前に置こう。
そして、
「お母さんのバカバカバカー
喧嘩なんかしないでよーー
どうして喧嘩するのよーー・・・」
と怒りながら、クッションをげんこつでボコボコ叩こう。

不思議と頭で考えなくても言いたかったことが口から出てくる。
その思いのまま正直に、クッションを叩こう。

そこで現れた気持ちを隠す必要はまったくない。
素直に、正直に出すことが大事だ。

もし、気持ちを出したら自分が壊れてしまいそうで怖いと感じるようなら、専門家の手を借りよう。
それは一日も早い方が良い。
心を早く軽くしてあげることだ。
オカメインコを飼いはじめてから今年で 9 年目になる。

オカメインコのみーちゃん (♂) は 5 月で 9 才。
猫ではなく、れっきとしたインコだ。

インコと書いて、何をしゃべるか期待されたことと思う。
みーちゃんはあまりたくさんはしゃべらないが、数少ない言葉を会話しているようにしゃべる。

いつだったか、鳥専門の腕の良い獣医さんにお世話になった時に怒られたことがある。

鳥はきれいで、可愛いけれど、体は野生。
でも、人間と心を通わすことができる。
話すのは人間とコミュニケーションを取りたいから。
でも、コネコネと可愛がるだけでなく、野性を尊重しなさいと。

色々注意を受け、扱いを改めたが、「人と心を通わすことができる」という言葉が心に残った。
みーちゃんは、こんな言葉を話す。

「ただいま」
「帰ってくる」
「みーちゃん?ただいまって帰ってくるー?」
「みーちゃん、バイバイッ」
「ほーほけきょ」

一番たくさん発するのが「ただいま」で、おそらくみーちゃんはこの言葉が一番好きなのだと思う。
なぜなら毎日 「ただいま」 と言って私が帰ってくるからである。

「みーちゃん、ただいま。帰ってきたよ、今日は寒いね、良い子だったね?」
など、上着を脱ぎながら話しかけると、みーちゃんは嬉しそうに 「ただいま」 を連発するのである。

次に 「帰ってくる?」
私が出かけようとバッグや上着を手に取ると間髪入れずに 「帰ってくる?」 と聞いてくるのである。
だから
「帰ってくるよ、みーちゃん。良い子で待っててねー?ただいまって帰ってくるよ」 と繰り返す。
みーちゃんは
「みーちゃん、ただいまって帰ってくる?」
時には
「ただいまって帰ってくる?、あーっはっはっはー、おかあちゃん」
(お姉ちゃんと教えれば良かった・・・)
さらには、「みーちゃん、バイバイッ」
だから私は
「そーなの?みーちゃん、バイバイが好きなの??」と答える。
みーちゃんは、バイバイを
2-3 回繰り返し、、、
「みーちゃん、じゃぁ、バイバイって行っちゃうよ」と聞くと
「ただいまって帰ってくるー」
と言いなおすのである。
だから
「そうだね、みーちゃんはただいまが好きだよねー」と答える。
そんな時のみーちゃんの表情は、ニコニコしているように見える。

また
「みーちゃん、可愛いね」
というと、とても嬉しいらしく、ぴー!と絶叫する。
何度も 「可愛いね」 とサービスすると、絶叫した後 「うううんん・・・」
まんざらでもないと言う声を出す。
その様子がとても人っぽい。

他のインコに比べたら、決してしゃべる方ではない。
しかし、みーちゃんは明らかに、聞いて嬉しい言葉を発している。

そして言われて嬉しい言葉を私が発するように、言葉を選んでいるように思える。
(鳥はとても知能の高い生き物らしい)

飼い主のひいき目か??

いや、決してそうではないと思う。
これこそ、獣医さんの言っていた心が通っている姿なのだと思う。

鳥と人間、異質な生き物同士でも、とても心が温まる関係になれるのだから、人間同士ではもっと幸せな関係になれるであろう。
親から可愛い可愛いと愛情を注がれ、嬉しくなる言葉をたくさん浴びて育った子と、あまりかまってもらえなかった子ではその差は歴然としている。

可愛がられ、大事にされると自尊心が育ち、安定した奥行きのある人へと成長できるが、存在を否定され、いつも怒られてばかりいたのでは、委縮し、人を信頼できない人となる。
子供にとって親とは、生れ落ちて初めて出会う最も信頼すべき人である。
が、この最初に出会う親との信頼関係が構築できない場合、その他の人間関係がうまく構築できないというリスクを背負う場合が多々あるのである。

嬉しくなる言葉をかけると一口に言っても、なかなかうまくできない場合がある。
うまくできないのは、自分が嬉しくなった経験が乏しいからである。
どうしたら良いか。
日々、自画自賛を繰り返すのである。

人と比べるのではなく、どんな小さな一歩も見逃さずに自分の成長を喜ぶ。
どってことないことも褒めてみる。

赤ひげ先生から教わった美人になる極意を紹介しよう。

毎日鏡を見て
「私って本当に美人ね」と何度も言ってあげること。

お試しあれ。
大学の友人 B さんと久しぶりに会った。
以前の印象は、とても朗らかで、ユーモアにあふれた楽しい人です。

数年お互いタイミングが合わず、久しぶりに再会し積もる話に盛り上がっていたところ、突然 B さんが泣き出した。

それは決して泣くような場面ではなかったはずなのだが、彼女にとっては色々なことを連想した会話だったようだ。

ちょっと待って、どうしたの?
何か言いたいことがあるなら、言ってしまおう。

彼女は、ちょっとしたことの積み重ねから自分に対しての自信を喪失しており、少し前にウツと診断されたのだという。
しばらく大きな病院に通院していたが、薬を処方されるだけで、良くなっているように思えず、ピークを越えたら通院をやめてしまったとのこと。

「私治ってないよね」
「そりゃー、治していなけりゃ治ってないよ」
またしてもシクシクと泣くのである。

私は適切な病院を受診し、しっかり自分と向き合うよう話した。

病院ではカウンセリングを受けることになり、周りではなく、自分にしっかり目を向けるよう先生から言われたそうだ。

その後時々ご飯を食べに来てくれるようになったのだが、ある時成人式の話になった。
私は、振袖が着たかったことを母親に打ち明けられなかった話をしたところ、B ちゃんは、アルバイトしたお金で買った振袖の話を極々当たり前のように話した。

彼女の家は普通の一般家庭のように思えたので、不思議に思い聞いてみた。

「え?B さん、振袖ってさ、お母さんが娘の成長を喜んで、娘に着せたいものでしょう?」

「そうなの?あたしは親にお金かけちゃいけないから、自分が買おうと思って買ったし、お母さんは何も言わなかったよ。」

他愛もない会話だが、気になった。
B さんは常に先回りをして、親に心配させまいと、時には親に落胆したくないがために、気を利かせることがあるのではと。

「違うと思うよ。そりゃさ、家にはそれぞれの事情があるけれど、お母さんは娘の成長が嬉しくて、晴着を着せたいものだと思うよ。」

「えーー、そうなんだ、うちはさ、そんなにお金持ちじゃないし、兄弟も多いからお金がかからない方が良いと思ってなんでも自分でしてきたよ」

「それってさ、本心はどうなの?本当はしてほしかったこともあるんじゃないの?」

「親に気を使うって不自然じゃない?」

B さんは、涙をポロポロと流し、やっと生まれた女の子が自分だったから、母親からとても神経質に扱われた。だからいつも顔色を伺って、面倒をかけちゃいけないと思ってきたことを話してくれた。

そして、さらにポロポロと泣いた。
まだきっと気づいていないことがいろいろあるんだな。

彼女の心の傷がまだ生々しく痛むため、こんな風に泣けるのだなと思った。

B さんのお母さんは喜怒哀楽に乏しく、愛情表現がとても淡泊だそうだ。
彼女が欲しかったのはお母さんの確かな愛情表現であったようで、それが得られないために幾度となく失望し、傷が痛んだため、ある時から傷が浅くて済むような先回り行動をとるようになったのだと思われた。

それが晴着を自分で買うという行動にも表れたのだと思う。

親に気兼ねするのは不自然なことだと思う。
自分も多分に気兼ねをしたからそう思うのだ。
親に気兼ねをする親子関係は、どこかいびつで不自然であり、そこにはぶっちゃけた会話の入るすきはない。

そして B さんは、いつのころからかお母さんを恥ずかしいと思うようになり、特に外に対しての目を気にするようになった。

B さんの日常の評価基準は、気が付けば世間が第一となっていった。

あまりに自分のことを気にしすぎるため、こう言ったことがある。

「ねー、B さん、B さんが気にするほど、周りの人は B さんのこと見てないし、気にしていないから平気だよ」

「いやだもん。気になるものは、気になるんだもん」

「それってさ、自意識過剰すぎるし、変だと思わない?」

言われればそうかなと思うけれど、嫌なものは嫌なのだそうだ。

B さんは常に周りの目を気にしながら、身だしなみを整え、自分が所属するコミュニティのルールを守り、おそらく多大な労力を使い疲れていると思えてならない。

それでも、カウンセリングの効果が少しずつ影響し始めているようだ。
もっと B さんの肩の力が抜けたら良いと思うのだった。