ゆうきの話 -32ページ目

星空

星空を眺めて、のんびりと歩きたい

一度きりの夏

夜は少し涼しくなって、もしかしたら少しずつ夏が過ぎ去りつつあるのかと感じたりもする。

考えてみれば、今年の夏はもう、永久に訪れない夏だ。

季節は巡ると言うけれど、人間にとって、全ての年の全ての季節が一度きりの季節なのだ。

2012年の夏は一生に一回の夏で、来年の夏は、今年の夏とは違う夏だ。

後悔しないように、今年の夏にやりたい事は、今年の夏のうちにやろう。

すいかが沢山食べたいな

絵を描くと・・・

絵を描くと、止まらなくなる。

あっという間に時間が経過する。

そして、絵は無限に加筆修正が出来る。

つまり、一枚の絵に終わりは無い。

だから無理やり終わらせる。

それ以外に絵を発表する方法は無い。


絵を描くのは楽しい。

自分の理想の世界が目の前に現れるからだ。

だから、上手く描けない時は辛い。

何時間も下書きを書いて、結局そのまま放棄した絵など山ほどある。

それでも、また次の一枚を描けば良いだけなのだ。

絵を描く事そのものを辞める必要など無い。


絵を描くのは楽しい


みみ

昨日描いた1枚。

とっても可愛い耳


諦める事には意味が無い


何事も諦めが肝心、と言う言葉がある。

私もそう思うこともある。

でも、そもそも、「諦める事に意味があるのだろうか」

人生は、より楽しく、より充実したほうが良いはずだ。

諦めると言う事は、それを放棄すると言う事になる。

楽しく無い人生が確定してしまう事になる。

つまり、諦めると言う事は、人として生きる意味を放棄してしまうことになる。

だから、諦めると言う事は、人間が人間を辞める事に等しく、人間が人間で無いのならば、何者なのだろうか。

そこにあるのは、ただ生物学的にその状態を維持しているだけの、生物化学反応装置に過ぎない。

我々は人間である。

幸福を追求する事こそが、人間の究極目的の一つであるはずだ。

諦める事はそれを放棄する事であり、人間は、諦める事により、人間ではなくなる。

だから、諦める事に意味は無い。

諦めたら人間ではなくなってしまうのだから、諦めない心こそが人間を人間として維持させる最低条件なのだ。

だから、例え、諦めた方が楽だからと言う理由で諦めたとしても、その瞬間にその人間は人間ではなくなってしまう。

ただの化学物質の塊が、辛いだの楽だのと言う感情を持つ事に、何の意味があるのだろうか。

それはただの脳内の化学物質の作用に過ぎず、人間で無いその物体にはとっては、単なる化学反応でしかないはずだ。

人間だから、苦痛を苦痛と感じるのであって、喜びを喜びと感じる事ができるし、それに意味があるのだ。

だから、諦める事に意味は無い。

最後まで、人間である最後の瞬間まで、諦める必要も無いし、諦める意味も無い。


だから諦めてはならない。


結果は、付随的なものに過ぎず、未来を知る事は誰にも出来ないのだから、諦めないと言う以外の選択肢は我々には無い。

人間ならば諦めると言う選択肢がそもそも無いはずなのだ。

諦めたくなっている時は、人間である事を放棄しようとしている時だ。

其の時は、人間が何故生きているのかを思い出し、喜び・幸福を追求する為に生きている事を思い出せば良い。


人間である限り、諦める事に意味は無い


掃除ついでに色々撮った


掃除をしたついでに、色々な物の写真を撮ってみた。




ゆうきの話


タンタンは小学生の頃からの愛読書だ。
海のトリトンは、見た事は無いが、なぜかある。



ゆうきの話



指輪物語のTRPG。D&DはDMもやった事があるが、指輪物語はやった事が無い。貰いもの。


ゆうきの話


昔ペプシのオマケに付いていたスーパーマリオのテープ。
あと12本くらいある。


ゆうきの話


愛読書の猫のカタログ。
猫の下僕になりたいお


ゆうきの話


ゆいいつの友達。
ちなみに娘ウサギがいる。
以前は何処でも連れて行っていたが、だいぶくたびれてきたので最近は留守番気味。


これからも気が向いたら色々な物の写真をUPしよう。

写真を上げると、だいぶ普通のブログっぽくなるね

夕立だ

:久々に夕立が降りだした。

そう言えばしょこたんがシンガポールでもすごい雨が久しぶりに降ったって書いていたな。

こっちにもその雨が着たんだろうか。

さっきこっちに来いと、念じたので、そのせいかも知れないな。

・・・まさかね

でも・・・








ブログは衝動で書くべきだ

幾つかブログを見ていたけれど、頻繁に更新する人はあまりいないみたいだ。

これは多分、書く事の意味を見出せないからではないかと思う。

書いた所でお金になるわけじゃないし(アフィリエイト系の人は別として)、書いた所で大して反応があるわけじゃない。

反応があったらあったで、色々と面倒なこともあるかもしれない。

だから、結局、たまに気が向いた時に、当たり障りの無いことをちょこっとだけ書く。

でも、ブログと言うものは、そんなお行儀よく書かなければならないものでも無いし、見返りを過度に期待するのも考え物だ。

ブログに限った事では無いが、一番大事なのは、やりたいと言う衝動であり、何か書きいと言う衝動が発生したら、迷わず書くべきだ。

そして、書いたものを、できればどこかに発表する方が良い。

何故なら、発表されない情報は、存在しないも同然だからだ。

生きた証と言うか、自分の心の中の宇宙をこの世界に引っ張り出して知らしめる事が、人生の大きな目的の一つだと、私は思う。

だから、何か頭の中にひらめいたら、それを迷わずメモしておいて、都合の良い時間にでも、まとめてアップすれば良い。

それだけで、色々とスッキリするし、後で忘れても、ブログならば簡単に検索も出来る。

まあそれは、PCの中のメモ帳でも出来る事はできるけど。

でも、間違えなく言える事は、その頭の中の想いは、何かの形で外に出さないと、決して誰にも伝わらない、と言う事だ。

どんどんなんでも書けば良い。好きな事を書けば良い。ためらわず、今すぐに。


どんな人が読んでいるかな

このブログ、確かにアクセスはそこそこある。

だから、誰かが読んでくれている事は確かだ。

どんな人が一体読んでくれているのだろうか。

勝手に妄想してみる。


それにはまず私が何故ブログを読むのかを考えてみる。

暇つぶし・情報収集・仲間探し、等かな?

一番多いのが、検索エンジンを利用した情報収集目的でのブログへの訪問。

でも、このブログ、先月に再開してからは、情報らしい情報を載せていない。

私の情報、と言う意味では、これも情報なのかもしれないけれど、それを積極的に欲しがる人は、いないはずだ。

なぜなら、私が完全なる無名の人物であり、私の名前を頼りに検索をして来た人はいないはずだからだ。

となると、記事の内容が、それなりに興味を引くものだったと言うことなのか、そう言う事にしておこう。


でも、どんな人なのかはやっぱり想像付かない。

ブログは男女比で言えば女性の方が多いらしい。

特に私はプロフィールに男と明記しているので、少なくとも私が女性である事を理由に訪問している人はいないはずだ。

確かに「ゆうき」と言う名前はどちらとも取れる名前だけれど。

まあ、生まれた時からこの名前(本名)なので、仕方が無い。

ブログを読む女性と言うのは、どんな人のだろうか。

もちろんこれではざっくりしすぎているので、もう少し妄想力で絞ってみよう。

しょこたん好きは多少なりともいると思う。

私の感覚では、しょこたんファンは女性の方が多いような気がする。

それは、ファンとの集合写真では圧倒的に女性が多いからだ。

もしかしたらあれって、男女別で撮影しているのかもしれないけど。

そこのあたりは詳しくは無いが、真実はどうなのだろうか。

まあ、それはともかく、そういう人も見てくれているはずだ。

あとは、私のこのややこしい話が好きな人、たぶん妄想癖があって、アレコレ考えてしまいやすく、引っ込み思案、そんな感じかもしれない。

類は友を呼ぶと言うからね。

まあ、これは完全なる妄想だけど。


これからも、あんな人やこんな人が読んでくれていると妄想しながら、書きたい事を書きたい時に書きたいだけ書いていこう。

睡眠時間

3時間しか眠れなかった。

大丈夫か、ワシ