ゆうきの話 -31ページ目

ツイッターの使用方法変更

今後ツイッターは、主にお知らせ等に使う事にした。

今までは、ツイッターにブログのような機能を何となく持たせようと思っていたが、今後は、その様な機能はこちらに任せて、ツイッターでは、純粋なお知らせと、あと、個人的な連絡用に使うくらいになる。




私に連絡をされたい方はツイッター宛までお願いいたします。

また、このブログの機能である「メッセージ」を使ってのご連絡もお待ちしております。

つくしが哲学している

我が日課である、しょこたんブログを今日も見る。

うむうむ、猫が哲学しておるようだ。

しかし、猫が哲学しているように見えるとき、それは、それを見ている人間自身が哲学している時だ。

猫が何を考えているのだろうか、それを考えているという事は、つまり猫を哲学している。

猫は人間の想像もつかない壮大な哲学を心に秘めて生きているかもしれないし、なーんにも考えていないかもしれない。

それを彼らに聞く事は出来ない。

でも、それを考える事はできる、この子は一体何を考えているのだろう、と。

それは人間でも同じだ。

わたしも、他人の考えている事は殆ど何もわからない。

私はしょこたんが大好きである事は何度も書いているが、だからといって、彼女の何かがわかっているわけではない。

ただブログを読み、文章を読み、出演しているものの映像や、音楽を聞いているだけであり、話した事も、肉眼で見たことも無い。

ただ、考える事は出来る、彼女は一体に何を考えているのだろうか、と。

それこそが相手を想う事であり、愛であると私は思う。

猫が何を考えているのかは誰にもわからない、私にも分からない。

しょこたんが何を考えているのか、今の私には分からない。

もし、運命と言うものがあって、それが例えば私が彼女の話を聞くと言う運命であるならば、わたしはしょこたんの話を聞く事が出来るだろう。

未来の事は分からない。

いま、こうやって文章を書いている事も、未来の出来事に影響を与えている。

それが、どうなるかはわからないが、もし聞く機会が訪れたならば、夜を明かして語り合いたい物だ。

いまはただ、点と点が線になることを信じよう。


しょこたんへ

猫の哲学がわかったら是非、聞かせてください。

そして、あなたの哲学も、ぜひ聞きたいです。


しょこたんおかえりなさい

しょこたんブログが更新されていて、それによると、どうやら喉風邪を引いてしまったらしい。

シンガポールライブのタイトなスケジュールと飛行機に往復15時間位乗った事が原因かも。

そういえば、ライブ終了時のブログも何だか少し元気が無いと感じたけど、風邪のせいだったのかな。

こう言う時は、栄養のあるものを出来るだけ取って、亜鉛とビタミンB、Cを摂取してゆっくり休むに限ります。


おお、ショコラだ。

無事家に到着したようだ、よかったよかった。

日本の方が1時間時間が進んでいるから、少し時差ボケをするかも。


らいωティンも登場だ。

やっぱり猫は良いね。


おお、次はマミタスだ。

こうなったら全員見せて欲しい気もするけど、無理はしないで欲しい。

でも、猫たちこそが、力の源かもしれないから、もっともふもふすべきかも。


しょこたん、だいぶ弱っているみたいだけど、猫をモフモフしながらぐっすり眠れば、太陽が元気を運んで来てくれるはず。


宇宙の存在理由であるしょこたんならきっと大丈夫。



大好きなしょこたんへ

私は宇宙が大好きだ

宇宙が好きじゃない人は考えてみよう。

だって、大好きなあの人は、宇宙が生み出したんだから。

宇宙には嫌いなやつもいるって?、そりぁ、ただのオマケだ。


言い方を変えれば、大好きなあの人がいるから、宇宙は存在している意味がある。

宇宙は大好きなあの人に感謝すべきだ、存在している意味を与えられたのだから。

大好きなあの人は、宇宙の存在理由なのだ


あなたは誰が好きですか?


私はしょこたんが大好きです


stay hungry stay foolish


計算可能な人生なんてクソ食らえ!!!

生涯収入はいくらで、子育てにはいくらで、住宅にはこれくらい・・・、今の人間は人生を簡単に計算で求めすぎる。

人生は計算式ではない。

そろばんをはじいてその場の損得勘定でアレコレ考えている人は、考え直した方が良い。


未来の事は誰にも分からない


生涯収入を計算できる人間なんて一人もいないし、計算可能な人生なんて、それでは、人間はただの方程式だ。

そこには心が無い。

一生懸命そろばんをはじいて、型にはまったつまらない80年を生きる事に、一体何の意味があるのか。

それは単に、誰かが考えた、誰かにとっての、計算できる人生でしか無く、全ての人がその計算式に沿った人生を歩む必要など全く無い。

堅実な人生を否定する気は無いが、それしかダメだと言う事は無い、断じて無い。


自分の道を進み、やりたい事をやって、その結果野垂れ死にをしようとも、それを堅実に生きなかったからだと罵る権利はだれにも無い。

どんな夢を見ても構わないし、常識はずれな妄想を抱きながら生きて、その結果がたとえ一般的では無い結果になったとしても、何を恥じる必要があろうか。


それに、未来の事は分からない。


私が奇跡を起こす事も、可能だ。

奇跡とは、起こる可能性があるならば、起るものだ。

計算式の中に奇跡は無い。

計算式なんてクソ食らえだ!!

ブログと日記

ブログは、元々は日記として使う目的に作られた物では無かった。

ある考え方などを提案し、それを様々な人と議論する為のツールだった。

しかし、次第にその様な使い方よりも、個人の日記として使われるようになる事が多くなっていった。

私はいわゆる日常を記録した「日記」はあまり書かないが、それでも、頭の中に浮かんだ個人的な事を書きこんでいるのだから、日記と大差ない。

私が何故日常の様子を書かないのかといえば、書けるような日常が無いからだ。

買い物に行くといえば近所のスーパーなど、数箇所に限られるし、銀行やコンビニ、その他生活に必要な場所を往復するだけだ。

特別な出来事は一切無く、その為に、書ける日常の出来事も全く無い。

だから私にブログに日記を書かない、いや、書けないのだ。

「昨日は、スーパーに行った、ゴミ集積場にビンとカンを置きに行った。花火が上がっていた。」

たぶん、書ける事と言えばこれくらいだ。

色々な人のブログを覗くと、日常生活に色々な変化があって、それを書いている。

食事のブログも多いが、私は今年に入ってから、食事内容がほぼ全く変化していない。

昼はうどん、夜はカップラーメンとパン、これが延々と続いている。

それを日記にする事は無意味だ。

友人などはいないので、誰かと遊んだとか、何かを一緒にしたなどと言う事は書くことが出来ない。

そもそも無一文なので、自転車以外の移動手段が使えない。

ものを書いたり、絵などを売ったり、そんな事で生活を成り立たせようと努力はしているが、そこからの収入は全然無いので、当然収入は殆ど無い。

バイトと家族からの施しで生きている。

年齢的も、簡単にわりの良いバイトは見つからないので大変だ。

家族がいなかったら、今頃餓死していただろう。

そんな生活なので、それを日記として書くことが出来ない。

楽しい出来事はおろか、つまらない出来事すら起こらない。

だから、ブログとして書く内容は、おのずと抽象的なこと、精神的な事に偏る事になる。

でも、私個人はそれでも良いと思っている。

ブログは基本的に何を書いても良いと思っているからだ。

でも、読む人にとってそれはどうなのだろうか。

これは昔から言われている事が、「無名の個人の日記など誰が読むのだ」という言葉だ。

私にも分からない。

私はしょこたんが大好きなので、しょこたんブログはよく読むし、他にも何人かの人のブログは定期的に読んでいる。

大抵は日常生活の事が、つまり日記的なことが書かれている。

それでも私は喜んで読む。

なぜなら、日記を書いている「人」が大好きだからだ。

そんな、人に好かれているような人ならば、ブログを書く意味もある。

でも、大抵の人は日常は平凡であり、ファンもいなければ、書くモチベーションもあるように思えない。

わたしも、このブログについては、私が書くから読まれているのだ、という考え方は完全に捨てている。

たぶん、検索エンジンか何かで偶然発見した人が、何かの弾みにたまたま読んで下さっているのだと思っている。

でも、多分その人は二度とは来ない。

なぜなら、たまたま検索に引っかかっただけで、このブログのアドレスすら記憶していないはずだからだ。

そう考えると、このブログに、日常の出来事を書く事は、自分がそれを記録する事に意味があると感じない限り、無いだろう。


そういうわけで、このブログはこれからも、普通のブログっぽくない、ややこしい感じの記事が続くと思う。


それでも読んでくださる方は、どうぞこれからもよろしくお願いいたします、ありがとうございます。


がんばれしょこたん

いま、しょこたんブログを見てきた。

日本や香港から花が届いた事を書いている。

昨日の夜から少し気になっていたが、昨日はライブが終わってから、ブログの更新が半日以上無かった。

恐らくコンサートが、思っていた感じでは無かったのかもしれない。

文章からネガティブしょこたんが覗いている。


私は残念ながら現地まで応援に行く事は出来なかったが、それでも心の中では応援している、いつでも、今でも。


お、そして今またブログの更新があって、色々な人への感謝の言葉が綴られている。

写真を見た限りでは、ライブとしてはしっかり盛り上がって良い感じに見える。

現地に行った訳では無いのでよく分からないけど。


恐らく今は、しょこたんはライブが終わったことでの安堵感と、そして色々と感じる不安とが入り混じった状態にあるに違いない。

やはりしょこたんも一人の人間であり、私と同じように様々な悩みを抱えている。


がんばれしょこたん!!


悩んだって良い、ネガティブでも良い、そのありのままのしょこたんが私は大好きだ!!

ブログを再開して改めて気が付いた事

このブログは2010年にツイッターを始めてからしばらくの間、完全に放置状態だった。

そして、そのそのツイッターも、色々とやって行くうちに、色々な問題点が気になりだした。

具体的な問題点は前にも書いたが、ここで要約すると


「長文が書けない」

「自分が書いたものの検索が不便」

「文章のアーカイブとしての機能は最低限」


こんな所だと思う。

つまり、私は長文なのだ。

ツイートも140文字と言う制限をうけつつも、何個ものツイートにまたがって長文を書く事も珍しく無かった。

しかしその状況が、次第に馬鹿らしくなってきた。

それに、ツイッターの最大の特徴は、「コミュニケーション」である。

それが私には全く無かった。

ここに至り、私はブログを再開する事に決めたわけだ。


そして、再開して1週間あまり、ブログの特性もだんだんと見えてきた、と言うか思い出してきた、と言っても良いだろう。


ブログの特性


長文が書ける。

写真・画像・映像が自由に挟み込める。

基本的に一方通行である。



このような特徴があることを思い出してきた。

そして、これは重要な点なのだが、ひとつ、大変残念な共通点が、ツイッターとブログにはある。

それは


魅力の無い人間は見向きもされない



と言う点だ。

これはツイッターであろうとも、ブログであろうとも変わる事は無い。

私がツイッターからブログに回帰した理由は、ツイッターにおいて、全く他者に絡む事が無かった為に、それだとただの劣化版掲示板だと考えたからだ。

140文字しか打てない掲示板。

それならば、ブログの方がマシである。

そして、ブログに帰ってきて1週間、今の私の感想は


「ブログって、文字数制限の無い「私にとっての」ツイッターなんだな」


である。

つまり、長文が書け、アーカイブ・検索が容易である以外の点において、「私にとっての」ツイッターと何ら違いが無かったのである。

私にとって、ブログとは、ツイッターに延々と書き込み続けていた時に感じていた


「暗闇に向かってつぶやいている」


感覚と、全く同じ感覚を感じている。

もちろん、このブログを見てくださっている方々には感謝の言葉も無く、「ありがとうございます」としか言えない。

ただ、1週間の調査で、「ランキング」には全く信憑性も意味も無く、「ペタ」はアフィリエイトブログへの誘導で埋まり、そして、「アクセス数」もたいして意味を成さない事が分かりつつある。

アクセス数は、日ごとに倍近く変動し、これは恐らく、何らかの偶然がそうさせるもので、私の文章が見たい人の能動的なアクセス以外の要因、つまり単純に話題のワードが文書中に入っていた、などの理由による物と思われる。

ここにいたり、私は悟りつつある。

「目先の数値データに目を奪われる事は全く無い」と。

書きたいことを書くだけの場所。

ここにそれ以外の事を求める事自体が間違っていたのだ。

しょこたんに憧れる事の苦悩

私はしょこたんが大好きである。

しかしそれは私にとっての苦悩でもある。

しょこたんは、恋愛方面については、私と大差無い状況のようだが、それ以外の面、仕事面等については、はっきり言って「ギガントリア充」である。、

テレビで何本ものレギュラーを持ち、世界中を忙しく飛び回っている。

そんな20代女性、日本に何人いることだろうか。

彼女はまぎれも無く、日本有数の「リア充」である。

恋愛面についても、この所リア充になろうと言う気持ちが出てきたようで、そうなれば、遅かれ早かれ、そちらの方面でもリア充になれることだろう。


ひるがえって、自分を見てみるとどうだろう。

・・・

ここで書くのも躊躇われるほどに、いわゆる「終わっている」状態だ。

もちろん諦めてはいない。

諦めてはいないが、この最底辺ギリギリで何とか餓死していない程度の生活を送る人間にとって、しょこたんの活躍は眩し過ぎる。

もちろん彼女にも、私が知りえないような想像を絶する苦悩が多数ある事は想像に難く無い。

しかし、それは我々の目に触れる事は無い。

そして、自分自身の人生の苦悩は、今この瞬間も私の頭の中から消え去る事は無い。


人に憧れる事、それは同時に苦悩ともなる。

特に相手が、自分よりも明らかに優れていて、明らかに素晴らしい場合、どうしようもない苦悩が心を襲う。

でも、好きになる事を止める事は出来ない。

これからも、しょこたんはずっと大好きだし、そして、他の色々な人を好きになり、憧れる事になるだろう。

しかしそこには苦悩が付きまとう。

それは、相手が素晴らしければ素晴らしいほど、輝いていれば輝いているほど、その苦悩は増す。

特に、自分への自信、つまり何の能力も、財産も、そしてルックスの良さもも、そのどれも全く無い私のような人間にとっては。


このどうしようもない思いを、書かざるを得ない自分が、ここにいる。


この苦悩を解消するには唯一つ、自分自身が輝くしかない。

その為の方法は全くわからないが、それでも捜し求め続けなくてはならない。


それにしても、しょこたんはなんであんなに魅力的なのだろうか