その14・時折、ドシンと鈍い音が(9月26日・水曜日)
旧校舎の解体が始まったというので、チェーサムに行った。まずは売却が決まったという運動場を見ようと、校舎の裏側の道を行ったが、裏門に「解体工事のお知らせ」が貼ってあるものの、工事が始まった形跡がない。
時折、ドシンと鈍い音が聞こえてくる。正門側に回り込む。閉ざされた校門に「関係者以外立ち入り禁止」の看板が貼られている。三階の廊下側の窓の下が大きくえぐれている。校舎の中での解体が進んでいるようだ。

時折、鈍い音が、校舎が悲鳴を上げているようだ。目を凝らしてみると、窓のガラスが何枚か割れている。二時五〇分―校舎の壁の大きな時計は変わらず時を刻んでいた。

この校舎は、私が卒業した年の年末に竣工している。授業中時々、コンクリートを打つ音が聞こえてきたことや、登下校時に建築中の鉄筋校舎をみあげていたことなどをうっすら記憶している。
この校舎の思い出と言えば、二〇〇五年の創立六〇周年だ。前後して、卒業生、学父母、教職員らチェーサムと共にした人びとの思い出を二冊の「物語」として綴った。二階に上る階段の壁に歴代の卒業生の写真が貼り出されたのもこのころだ。草創期の卒業生の写真を探しに、松本や神戸に行ったりもした。その後、「昔話」だけではなく、「今」の姿をというので、「統一評論」に連載を始め、やがて『朝鮮学校のある風景』という小冊子として、一人歩きを始めた。いわば旧校舎は『風景』を育ててくれた揺り篭のような場所であった。
二〇二〇年春の竣工時には、『風景』がどのように「成長」しているのか、そんなことを思いながら、道路の向かい側のジョナサンの二階からスマホを向けた。

*加筆して11月刊行の『朝鮮学校のある風景』52号に掲載します。