【4月28日・土曜日】
孫の授業参観に行く、廉トンムと高崎駅前で待ち合わせ、彼の車で学校に向かった。
六年生の孫娘がバスケット部の主将になったと、嬉しそうに話していた。
「部員が一六人も…ユニフォームが九人分しかないというので、ハラボジが作ってやると言うと、その九人枠に入るために練習に熱が入るから、作らなくていいって…そんなものかね…」。
「遠距離通学が多く、練習時間の確保が大変だ」とも、三人の孫の話は止まらない。
今年、一人だけだった茨城朝高の卒業生に感謝しているとの話も。彼女が中二の時に入学した廉トンムの孫を二年間、学校に連れて行ってくれたというのだ。
運動場の跡地は整地され、すでに何軒かの住宅が建っていた。校舎の隣に新たに作られた校門をくぐると校舎の前にはミニサッカー場と遊具が、校舎と並んであった寄宿舎と食堂は取り壊され、そこが運動場になっていた。
廉トンムは「狭くなっちゃって…」と言っていたが、東京第三や第九の運動場に比べても大きい。
二人きりの一年生を相手に巧みな授業をする先生に感銘を受けた、その子たちが五年生になっていた。二年生の教室では、制服を着ていない女子児童が一緒に授業を受けていた。編入を希望しているとのことだ。四年生の教室では今年からスタートした電子教科書による授業が行われていた。一つのタブレットを三人が囲んでいた。授業時間が終わっても児童たちはタブレットを放そうとしない。
何人かの日本人も教室をのぞいていた。「算数も朝鮮語で…」、「新入生が三人…朝鮮語で授業…」。

校内を行ったり来たりしていると、顔なじみの双子のオモニに会えた。
「今日は…」
「保育園です」
「残念…楽しみにしていたのに…」
最初に会ったときは、双子用のバギーに乗せられていた。当時、オモニは現職の教員だった。その後、学校創立五五周年や、昨年広い運動場での最後の運動会の時にも会えた。よちよち歩きだった双子が校庭をかわいらしく走り回っていた。
「ぼちぼちウリハッキョでは?」
「まだ…あと二年…」
「ということは、後二年間は『風景』を…」
何回目に会った時、入学する姿を必ず載せると約束していたのだ。
「なに言っているのですか…卒業するまで頑張ってください」
こんなひと時があるから、『風景』を出し続けられるのかもしれない。
昼食を挟んで、体育館で「4・24を語る」講演会だ。

校舎の前では、温かい陽ざしの下、男子生徒がオクラの種を植えていた。それを一輪車に乗った女子児童が見ていた。
体育館の入り口では、五~六人の女子児童が弁当を広げて食べ始めた。
受付をする青年同盟の女性やオモニたちが「トンムたち教室で食べないの?」と声をかけるのだが、「今日はここで…」。話声は聞こえないのだが、笑うときは大声だ。一クラスの児童数が最も多い四年生とのことだ。明るく元気で騒がしい、いつも「女子会」状態のようだ。

予想外に日本人支援者の参加が多いとのことだ。保護者に祖父母に同胞、合わせて一三〇人余り。「見ました? 見たでしょ!」、「泣いちゃった」、「よかった!」。受付をしながら、椅子に座っても、うきうき感が伝わってくる。誇らしさすら感じさせる。板門店発の「興奮」と「感激」が冷めやらぬ風景だ。
廊下には、両首脳が握手をし、抱き合い、並んで歩く六枚の写真と「熱烈に支持歓します」のポスターが貼られていた。
そういえば、高崎駅で廉トンムが発した第一声が「凄くない」、そして授業参観に来た保護者と先生が交わす言葉もまた、板門店の感想だった。(金日宇)
* 加筆して、5月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』49号に載せます。