気ままに名古屋の学校へ
【1月19日金曜日】
名古屋で一泊二日を過ごした。一九日に市内で催された、日本人学生による訪朝報告会に参加し、後はいつものように気ままにウリハッキョを訪問した。
新幹線から降りると、足は名古屋朝鮮初級学校に向かっていた。一二時を過ぎている。行くのは初めて、思いのほか駅近だ。
校門は開いているのだが、校舎の入り口は閉ざされている。児童の声は聞こえる。休みではないようだ。隣の神社を通って運動場に出る。園児が走り回っている。駐車場には、何台ものスクールバスが止まっている。ひと回りして戻ると、校舎から人が出てきた。登下校以外は、この小さなドアから入るようだ。
金校長とは、昨年、岐阜のハッキョでの東海・信越地方八校の初級高学年による「ヘバラギ学園」で会っている。
私・「突然来てしまいました。校内を…」
金校長・「残念ながら授業は終わって…」
翌日の東海地方の「口演大会」と二月初旬の芸術発表会(学芸会)の練習をしているようだ。「…教室に貼られたポスターだけでも撮ることができれば…」。許可を得て、いつものように学内を何周かした。
一階は併設された幼稚班。「コキリ(像)班」、「ピョンアリ(ひよこ)班」に「トッキ(うさぎ)班」の三つの教室が並んでいる。男女の児童が教室をのぞきこんだり、歯磨きを終えた園児の顔をぬぐったり、抱き上げて丸い窓から教室をのぞかせている。みな、六年生だという。弟や妹を見に来たのではないとも。


教室をのぞくと、床に座り込んで人形を抱きしめる子がいたり、じゃんけんをする子がいたり、カバンにおもちゃのバイオリンをしまう子がいたり、机の前に座って何かを読んでいる子がいる。なぜか青い帽子を被っていた。何人かの児童は先生と向き合ってまだ弁当を食べていた。その教室の中には児童の姿はない。
園児が児童によくなついている。園児を目で追い、さりげなく手をさしのべる児童の笑顔が素敵だ。
一年生の教室、女子児童が駆け寄ってくる。「一年生は何人?」、「女子が一〇人で…男子の方が多いです」。ウリマルで答えが返ってくる。それだけで心が和む。全員が「一〇点最優等生だ」と自慢していた。
三年生の教室では、女子児童が椅子の上に立って入り口の窓を磨いていた。後ろで歯磨きをしていた男子児童が一斉に「アンニョンハシムニカ」だ。ほかの教室をのぞくと、弁当を食べている児童がいて、時間表を作っている児童がいて、衣装にアイロンをかけている先生がいた。男子の先生は各教室を周り、理科のノートを集めていた。何日か後の研究会で、報告に用いるとのことだ。五年の教室では、男子児童が一人で弁当を食べていた。食べるのが遅いのではなく、歯の矯正をしていて少しずつしか食べられないようだ。

六年生の教室に入る。机の引き出しからものがあふれている。教室が狭く感じられる。一言で「雑多」だ。こんな雰囲気は久しぶりだ。そんなざわざわ感がとても心地よい「空間」だった。
黒板に、「注文の多い料理店」「宮沢賢治」の文字が消されずに残っている教室があった。黒板の左隅に、この日の時間表が書いてあったが、一時間目が国語で、二時間目が音楽、三時間目が地理で、四時間目が日本語、昼食時間を挟んで、五時間目は芸/連、六時間目が合唱練習と書かれていた。芸/連とは、芸術発表会の練習のことだろう。

教室から運動場をのぞく。青と赤の帽子をかぶった園児がスクータを押している。一輪車を上手に操っている園児がいて、凧を飛ばしながら走る園児もいた。ボールを追う児童も何人か見えた。
青い芝に園児、児童の黒い影が映えていた。園児・児童数の割には、運動場が狭いようだ。学年別に時間を分けて使っているとのことだ。
階段に貼られた「長谷川和男先生がウリハッキョにいらっしゃいました」が目についた。「高校無償化」実現を訴え、全国六七校のウリハッキョを行脚していた長谷川先生の講演への感想文だ。

「私は長谷川先生が朝鮮学校を歩いて回っていることを知ってすごくおどろきました」(金)、「…先生のお話しを聞いて朝鮮学校の良さをもっと知りました」(李)、「…先生は日本で生活しても朝鮮人らしく胸をはりどうどうと生きていることがとてもすばらしいといってくださいました」(金)、「朝鮮学校の生徒たちはどうどうと学校にかよっているとおっしゃりすごく心がおちつきました」(金)。
高君の感想文には心が痛んだ。
「…長谷川さんの話を聞き、ぼくはすこしすっきりしました。なぜかというとぼくは江南駅という駅から名古屋にかよっていますが、そこには日本学校の生徒たちもかよっていてぼくはいちど『うわ! ちょうせんじんだ』とい(せ)われたことがあります。すごくいやでした。でも、きのう長谷川さんの話をきいて日本人でも長谷川さんみたいないい人もいるんだなーと思いました。ぼくも大人になったら長谷川さんみたいな人の役にたてる人になりたいと思いました」。五年生の感想文だ。
三階の講堂に行く。児童の声が広い講堂に響き渡っていた。
…一羽のツバメが庭に落ち…この恩は決して忘れません…
「フンブとノルブの話」、「口演大会」での演劇の練習だ。
先ほど階段ですれ違った「三年生いや全校生でも大きい方だ」と言っていた男子児童がノルブの役を演じていた。体つきは「ノルブ」のイメージだが、難点と言えば、「お化けだ!」と叫ぶ、「悪役」のはずのその表情が優しすぎることだ。

教室に戻ると、「明日の口演大会に力を出し切ろう!」、「口演大会頑張ろう」をクラス全員で叫んでいた。「フンブ」君の声が教室の外まで聞こえてきていた。
しばらくすると、全校生が講堂に集まり始めた。合唱の練習だ。
学年別に整列した。髪を後ろで束ねてきりりとした舞踊部は二手に分かれてウォーミングアップ、司会を任された一年生なのだろう、男女の児童が黄色いチョゴリを着た先生の前で、何かを繰り返していた。

歌い始める。
「혹시 우리 나라가 통일된다면 얼마나 좋을가…」
教室のドアや廊下の壁に歌詞が貼り出されていた「가슴펴고 걸어갈래요(
胸を張って歩いて行こう)」だ。
「…口の形がとてもいいです…発音も…少し表情が怖い…」「…よく声が出ています…気持ちを一つにして…姿勢を正して…」
「삼천리 금수강산 하나 된다면 …」
指導する先生、身振りも大きいが、歌声が響く。児童だけではなく、ピンクのチマの先生、声は出していなかったが、口がだんだん大きくなっていた。

学年別にうたう。
「一年生は…二年生、表情がとてもいいです」、「三年生、もっと軽やかに…」、「「四年生、とてもいいです」、「五年生、いいです。正面を見て…」、「六年生、表情をもっと柔らかく…」。
そして再び一二〇人の全校生が声を合わせる。
「찬란한 우리 미래 그날을 위해 씩씩하게」
「一番楽しかったこと思い浮かべて…五年生、担任先生はいつもにこにこしていらっしゃるょ…みんな、担任先生の笑顔を思い出して…、叱られている時ではなく…」
児童のやる気を引き出す、話術も巧みだ。二〇~三〇分の練習で、歌声は一段と大きくなり、何よりもみなが笑顔でのびのびうたいきっていた。指導している女性の講師の先生が一番楽しそうだった。東春のウリハッキョでも音楽を教えている彼女は「学校の大小にかかわらず、児童たちに音楽を親しんでもらうことが何よりも大切だ」と、語っていた。
続いて、校歌の練習。学年別でもうたったが、四年生が歌い終わると、全校生から自然に拍手がわくシーンも。みんなの一生懸命さが伝わってきた。「휘황한…」の「フィファンハン」ではなく、「フィファンファン」、「ファンファン」と聞こえるとの指摘に、なぜかパンダを思い出し、ハンカチを口に当てて笑いをこらえた。
練習を終えた児童に教務主任が一言。
「…学年別にみると、口をもっと大きく…姿勢を正し…もう少し頑張れそうです」
合唱の練習は、全校生と先生による「コマッスムニダ」の大きな声と拍手で終わった。「スゴヘッスムダ」でない、それがとても新鮮だった。
加筆して、3月刊行の『朝鮮学校のある風景』48号に掲載します。