神奈川中高の文化交流祭 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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1111日・土曜日】
神奈川朝鮮中高級学校の文化交流祭にお邪魔した。毎年この時期に行われる文化交流祭への参加者は二百人ほどだが、今年はもっとたくさんの人に来てもらおうと、様々な集会に出かけていって参加を呼びかけ、近隣の民家にもビラを配布して、宣伝に力を入れた。甲斐あって、この日は例年の二・五倍の五百人以上が集まった。
 交流を重ねている日本の高校の生徒たちも多数参加した。最後は、舞台の生徒たちの歌に併せて運動場に大きな「統一列車」の輪ができた。参加者も生徒たちも表情が明るい。

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会場で、神奈川朝高と交流を重ねて六年、昨年からは毎月一度、授業を通して朝鮮学校について学んだり、交流したりしている和光高校の相良武紀先生に話を聞いた。
授業は多文化理解・研究を目的にした高校二年生と三年生の選択科目で、各学年の約一〇パーセント、三〇人ほどが受講している。生徒たちの関心は高いという。四月には神奈川朝高の金燦旭先生が講義し、六月には両校生徒たちが焼き肉を食べながら交流した。
「誰とでも仲良くなれるわけではない。皆が友だちにもなれない。でもたとえ仲良くなれなくても、考え方や文化に違いがあっても尊重できる関係を構築する術を、授業を通じて学んでほしい」、そのために「互いが見えて息吹が聞こえる環境を作っていきたい」と言う。
朝高生のイメージについて聞くと、「しっかりしている」との答えが返ってきた。高校無償化制度から排除されたりして、「なぜ自分たちは差別されるのか?」「自分たちは何者なのか」と常に考えさせる日本社会の構造が彼らを「しっかり」させるのではないかと問いかけると、相良先生は「そうなのでしょう。でも待機児童の問題など様々な問題が山積みな中で、今生徒たちに無償化の問題を投げかけると、朝高生の主張を支持しない生徒たちもいるはずです」という答が返ってきた。生徒たちに真摯に向き合っている先生の、正直な答だと思った。

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朝鮮新報社の記者として朝高の高体連加盟問題を追っていた頃、大阪のある高校の先生は「子どもたちは差別などしたくないと言っている。大人たちが、子どもたちが無意識に差別する仕組みを作っている」と話していた。あれから二五年、一八才から選挙権が与えられ、高校生をただ「子どもたち」と呼べない時代になった。金銭がらみとスポーツという違いもある。「無償化問題」の厚い壁を改めて感じたインタビューだった。
解決までは、気が遠くなりそうな道のりかもしれない。そんな中でこうしたイベントや日常の授業を積み重ねて行くことの意味を考えた。「日本社会の未来を一緒に考えるためには、他の外国人学校ではなく朝鮮学校だった」という相良先生の言葉が印象的だった。(この項、金淑子)
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 運動場の仮設舞台では、エンディングセレモニーの準備が進められていた。急ぎ、校舎の階段を駆け上がった。目指すは、修学旅行で祖国に行った三年生の展示だ。七月に平壌に滞在中、東京朝高と大阪朝高の修学旅行生の話を聞いたので、神奈川朝高生からも聞いてみたいと思ってだ。
 「Youは何しに朝鮮へ?」の大きな看板が目を引く。展示室の前の大きなモニターには、修学旅行先での数々の「思い出」が映し出されていた。祖国の人びとの暖かな眼差しに朝高生の笑顔が重なっていた。展示室(教室)に入ると、モランボン楽団のビデオを三人の男性が見入っていた。

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 左手の壁は、平壌市街地の二枚の大きな写真で埋められていた。反対側には、見学先の地図と生徒たちが撮ったスナップ写真が無造作に貼り出されていた。
 正面、モニターの横には、「一心団結 自立更生 万里馬先駆者大会に…」、「チュチェの核強国、世界的な軍事大国の自主的尊厳と威容を…」とか、「農業生産で一大転換を!」、「…無謀な軍事演習をはじめすべての戦争策動を打ち砕こう」などのポスターの縮小コピーが貼られていた。
「朝鮮のおみやげ」も展示していたようだ。看板には、しおり、ポーチ、ストラップ、小物入れ、スリッパ、CDにボディーソープと書かれていた。朝鮮産のボディーソープは見たかった。
 祖国を訪れた生徒たちが見て、聴いて、感じたことを伝えようと、作り上げた「今日の朝鮮」だ。
 
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 「平壌? 高層ビル群…七〇階建てのビルもあるんだ…」、「ウォータースライダー…」、「韓国の音楽じゃない? これも北朝鮮の…」
 ポチョンボ電子楽団の音楽にときおりかき消されたが、若い男女が交わすそんな言葉が聞こえてきた。

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 運動場からは軽やかな音楽が流れてきた。
 朝高生が選んだ好きな曲のランキングをメモしていると、チマチョゴリ姿の先生が「運動場で公演が…」と声をかけてきた。
 「修学旅行に行った生徒の話を聞きたかったのですが…」、「公演が終わったら何人か上がってくるはずです」。
 お気に入りのベストスリーは「私の心の歌」、「千里でも万里でも&前線列車」と「私が守った祖国」。東京朝高の修学旅行生たちもよくうたっていた歌だ。
 写真を撮っていると、後片付けに来た二人の女子生徒と目があう。互いに「アンニョンハシムニカ」だ。
 「白頭山、雪だったの?」
 「…バスを降りて、途中から雪道を歩きました」
 「칼바(カルパラム)、身をさすような寒風…初めての体験でした…」
 「それでは天池は?」
 「見ることができませんでした。カルパラン、いつまでも忘れないでしょう…」。
 「冷麺が美味しかった。○○トンムは八杯? 積んだ器で顔が隠れるほどお代わりした」とか、「ジェットコースターがこわかった」とか、「板門店での同じ年のような兵隊さんの姿が今でも…」。
 初めてだというトンムは、「行く前は…情勢も緊張し、少し怖かった」と、迎春公演で二度祖国訪問をしたことがあるという、もう一人のトンムは、「高層のビルが立ち並び、街の雰囲気がとても明るく…」と、四年間の変貌に驚きを示していた。
 二人が口をそろえて言っていたことは、「言葉も通じ…どこにいってもぬくもりを感じた」ことと「三四人の学友と同じ空間を共有ることができよった」だ。
 何度も「行ってよかった」と繰り返していた二人の目は生き生きとしていた。
 運動場で会った金校長に「修学旅行の写真見てきました」と言うと、先生は「何よりも良かったのは、全員が行けたこと…同級生が二週間、寝食を共に…それも祖国で…一生の宝になる…」との答えが返ってきた。

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生徒たちがてきぱきと後片付けをしていた。テーブルをたたみ、椅子をかさね…舞台を解体し、ビールの箱をリヤカーで運び…。手際がいい。やり切ったという達成感がみちあふれていた。(この項、金日宇)

*加筆して、11月に刊行する『朝鮮学校のある風景』46号に載せます。