「朝鮮ろう者とろう者にまつわる環境について」の講演会に行った。
講師は、二〇一一年以降、十回訪朝し、朝鮮聾協会との交流、支援活動を地道に行っている桑原絵美さん。
「皆さん、北朝鮮のイメージいかがですか? 怖い? ミサイルとか…マイナスのイメージ…」

講演会は、手話通訳者を介して、こんな話から始まった。
「朝鮮には聾学校がいくつあるでしょう」、「東京は減って…現在四つ…それでは平壌には?」テンポよく話が進んでいく。手話による講演は初めて、手話通訳の巧みな「通訳」に感心するばかりだ。
朝鮮での聾学校の歴史が語られ、平壌近郊の成川と「おそらくカメラが初めて入った」という元山の聾学校のリポートは初めて見て、聞く話だった。
朝鮮には、現在八校の聾学校があるという。桑原さんは「ビックリしましたか? 意外ですか?」と、質問を投げかけられたが、正直私は「ビックリ」するにも、「意外」と思うにも、関心がなかったというところだ。
元山には一三〇人の生徒に対して四〇人の手話ができる先生がいる、木工、被服、理容科があり、職業訓練を施している。成川の学校に通う八〇パーセントは平壌の子どもたちで寄宿舎生とのこと。
両校とも、年齢のばらつきがあり、それは子どもが聾であることを恥じ隠す、聾学校の存在を知らない親もいるからだとの説明だった。
三十人前後の少年団のネクタイをした児童の授業風景、手話で文法を習っている姿、コの字型に座って先生の質問に答える姿と寄宿舎の写真、教員室で校長にインタビューする動画が紹介された。韓国への留学経験があり、韓国語も韓国の手話もできる桑原さんが、学校関係者と充分に意思疎通する様子が動画からうかがえた。桑原さんと手話で言葉を交わす若い男女の表情は明るかった。
ヨーロッパ公演をしたという「舞踊団」の練習風景の動画には大きな関心が寄せられ、会場からは「生で見たい」、「日本でも公演することができたら…」との反応が。
朝鮮障害者保護連盟の活動は伝え聞いていたが、障害者保護法や、朝鮮聾協会と手話通訳協会があるのは初めて知った。「聾者とは手話を第一言語として使用している者」と書かれた規約があるとか、三年前、朝鮮聾協会の三人がフィンランドで催された世界聾連盟の総会に参加したのを機に活動が活発化したとか、平壌市内の五階建ての建物のワンフロア―に事務所を構えることになったとか、昨年四月にはそこに幼稚園を開園し、通園のためのスクールバスがあるとかいう報告は新鮮だった。
桑原さんは、訪朝するたびに聾学校を訪れ、鉛筆やレゴなど学用品を支援している。歯科技工士、美容師の養成などに機材が必要だが、朝鮮側の「中国製品は壊れやすいから…」との「注文」には場内から「笑い」が起こった。手話通訳者の養成も手助けしたいと語っていた。
毎年、五月のゴールデンウイークを前後した交流ツアーの定員はすぐ埋まるほどの人気があるとも。「聾者としてできることがある。それを地道にやっていく。ヨーロッパより近い隣国のことに目を向けてほしい」、「二〇一一年に初めて行って…こんなに深い付き合いになるなんて…知らないうちに引っ張られて…」との桑原さんの話が心に残った。
南北の手話の違いはあるのかとか、日本の植民地政策が南北朝鮮の聾教育に及ぼした影響とか、一九五九年に金日成首相の「令」によって、全土に九つの聾学校が設立されたというが、その後の経緯など、聞きたいことがたくさんあったが、時間切れ。

会場では、平壌で発行された手話トランプ、「私の初めての朝鮮手話の本」なども紹介された。「手話」を朝鮮では「손말(ソンマル)」というようだ。
桑原さんのまとめの言葉、「朝鮮のイメージ変わりましたか? とにかくお隣の国のことを少しでも知ってほしい。興味をもってくれればうれしい」。
四〇人前後の参加者には、その思いは十分届いたようだ。


七月に平壌に行ったとき、「科学技術殿堂」に障害者閲覧室があった。点字機と共に、モニタに手話通訳の様子が映し出されていた。入り口には二年前の二〇一五年一〇月二七日に、金正恩最高指導者が「現地指導」した、と記されていた。桑原さんの話を聞きながら、朝鮮で聾者のための施策の大きな第一歩が踏み出されたと思った。
この日の集まりは、「品川区聴覚障害者協会総務部企画・第一弾特別講演」として、五反田市民センターで催された。
*再整理して九月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』45号に掲載します。