『朝鮮学校のある風景』誕生秘話・その3(了)
「統一評論」があって今の『風景』が…
*前回から続く
その1 https://blogs.yahoo.co.jp/uil21/70039212.html
その2 https://blogs.yahoo.co.jp/uil21/70039643.html
教職に就いたことがない。教員らしき経験といえば、大学三年の時、三週間余り大阪朝高に教育実習に行っただけだ。新報社でも、研究所でも扱ったのは「南朝鮮情勢」、身近にウリハッキョはなかった。それだけにウリハッキョに行くたびに新しい発見があった。児童たちはかわいい、新しい世界が無限に広がっていた。書きたいことがたくさんあった。当初は、色々質問をした。そのうち、質問は「何年生?」ぐらいになった。子どもたちは利発だ。大人が喜ぶ答えをする。ありのままを伝えるには、傍に寄り添い、ひたすら観察し、自然に聞こえてくる言葉を拾うほかない。かといって、観て聴いた、すべては書けるものではない。その場にいた者にしか書けないことを書かなければならないという欲も出た。それで思いついたのは「紙芝居」。大方のストーリーは決まっているのだが、そこには必ず紙芝居屋さんの思いが込められる。自分が思ったことを加えることによって、臨場感も増すようだ。
一年も過ぎると、中央大会などで、思いもよらぬ人から声がかかるようになった。「評論、読んでいるよ」、「チェーサムだけではなくうちの学校にも…」、「シンポジウムに来てみなに」。年長の専従活動家や教員の中には「評論」の読者が多い。ウリハッキョの行事、体育大会や芸術大会などの報道は多いが、動物園に一緒に遠足に行ったという記事は載らない。ウリハッキョの「日常」を身近に感じる読み物が珍しかったようだ。
新報社や研究所にいた頃は、名刺一枚でどこでも受け入れてくれた。「評論」に掲載しているということが、名刺代わりになり、徐々にではあるが、活動範囲を広めることができるようになった。すると、「評論」で与えられた八ページには収まり切らなくなる。それで『朝鮮学校のある風景』の刊行に踏み切ったのである。

あの時、崔編集長の「いいんじゃない」の一言が無かったら、『朝鮮学校のある風景』は生まれていない。まさに、「評論」は『風景』の産室である。そこで大切に育てられ、たくさんの栄養分を与えられたお陰で、五六ページ足らずの冊子が、二年後には一五〇ページ余りのブックレットになり、そして今のような二五〇を超える雑誌らしい体裁を整えられるようになった。再び私を書く・編む世界に引き戻してくれた崔編集長には、感謝しても仕切れるものではない。
◇◇
この日も崔編集長の言葉数は少なかった。席を共にした六人がなんとなく言葉を交わす。「評論」はいったん休んでも、こうしてたまに集まるのもいいかもしれないと思ったのは、私だけではなさそうだ。(2017年4月)