『朝鮮学校のある風景』誕生秘話・その2 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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『朝鮮学校のある風景』誕生秘話・その2
 「統一評論」があって今の『風景』が…

*前回から続く
 ソウル五輪の翌年、平壌で開催された第13回世界青年学祝典に全大協を代表して林秀卿が参加した。平壌と板門店での日々、軍事境界線を突破して帰還後の裁判などを「林秀卿周辺ストーリー」として、「評論」に連載した。再び夢がかなったのだ。
 
 「統一評論」への連載は、「その後の林秀卿」として一九八九年12月号から二三回、ひきつづき九二年一月号からは「その後の林秀卿・周辺ストーリー」として一五回、その姉妹編ともいえる「スギョンと歩んだオモニの五〇〇日」(上・下)と「『統一の花』慈しむ北の人びと」を加えると四〇回、六五万字を越す。それにスギョンさんの獄中書簡、法廷陳述と彼女への思いを綴った北と南、海外同胞の手記などを合わせると九〇余万字に達する。(「長期連載を終えて」より)
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 一九九九年だったと思う、目白の研究所の閉鎖に伴い、「評論」に掲載できる原稿を書くという機会は失われていった。
 二〇〇五年、母校の東京朝鮮第三初級学校が六〇周年を迎え、関係者への聞き書きをはじめた。それらを「私たちの東京第三物語」にまとめるうちに、過去の記録だけではなく、現在の記録も残さなくてとの思いが強まり、母校に再び「通学」しはじめ、入学式や卒業式、公開授業や夜会などイベントだけではなく、普段の学校生活や遠足などウリハッキョの「日常」をルポするようになった。ところがそれを発表する場がなかった。

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 ある日、意を決して評論社を訪ねた。事務所は、すでに御徒町の富士銀行裏のビルから白山に移っていたと思う。
 「実は…」と。原稿を見るなり「イルウトンム…いいんじゃない」と、二つ返事だ。正直、意外だった。というのも「評論」といえば、南北関係をめぐる朝鮮半島情勢、統一運動が主なテーマだ。在日問題といえば、強制連行・東京大空襲の実態リポートぐらいで、朝鮮学校については権利擁護関連。ウリハッキョの「日常」ルポなど載せてくれるとは思っていなかったからだ。それも「統一評論」と出会って、三五年がたっていた。この時からようやく金日柱や禹一など、ペンネームではなく、本名で書くことになった。それだけでも考え深かった。
 
 こうして、「朝鮮学校のある風景」の長期連載は始まった。月末が近づくと、「イルウトンム、あれまだ?」と、原稿の督促メールが届く。「…物、送ります」、「あれ」と「物」の交換は、かれこれ八~九年つづくことになる。

*次回につづく