【4月4日・火曜日】
学生会の文化公演は久しぶりだ
チョチョンウォンなのだろう、圧倒的に若者が多い。東京中高の顔なじみの先生、総連本部と幾つかの支部委員長の姿も。さほど大きくない会場なのに空席が目立った。

いきなり伝統打楽器演奏だ。プログラムを見ると、一〇人の出演者のうち四人が東京朝高の二年生だ。つづいて、江戸川区在住の二人による民族舞踊・ソゴの舞い。緊張したのだろう、少しぎこちない。動作が微妙にずれるたびに、交わされるアイコンタクト、「日頃からとても仲のいい二人が支えながら作ってきた作品です」とのプログラムの言葉を物語っていた。
この舞踊以外は、演劇にも合唱にも朝高生が混じっていた。出演者の総勢は、一三人、そのうち四人が朝高生だ。東京朝高の文化祭には、日本の高校に転校していった多くのトンムたちが来ているので、学生会にも元朝中生を含む、もっとたくさんの生徒が集まっているだろうと思っていた。ところが正直、肩透かしを食らった感じだ。
豊島、城南、練馬、江戸川在住の日校生と朝高生による演劇は、日校生が置かれた現状を反映したもの。あまりにリアルな言葉のやり取りに心が痛んだ。
…日本学校に通う朴(木村)佳秀。自分が在日コリアンであることに対する嫌悪感を抱き、隠しながら生きている。そんな中、本名で堂々と日本学校に通うヤンスと出会い、接する過程で自分はなに人なのか、どう生きていきたいのかという葛藤を抱きながら…(プログラムの解説)
そのヤンスも「中学二年までウリハッキョに通い、受験対策のために(劇中では経済的理由とも)日本の中学に転出。ウリハッキョを出た後に自分の『立ち位置』について葛藤している」(同上)、それに「息子が生きやすいように尽力してきた」(同)オモニが絡む。
「周りから日本人だと思われている」木村佳秀と、「…朝鮮学校の子から感じる『日本人に対する拒否感』に対して嫌悪感を抱いている」、松井雄二、、そして佳秀とヤンス。それぞれのやり取りを軸に物語が展開されていくのだが、一言で「やるせなさ」、息苦しささえ感じた。「声を上げられない人も」、「朝鮮人であることがハードルではなく…」という言葉は、その場を共にした多くの人々の胸にぐさりと突き刺さったのでは…。

公演は「共になら」と「心の扉を開いて」の合唱で幕を閉じた。
「友情出演」した東京朝高生の率直な言葉が心に残った。
…日校生と違う所と共通点を…自分たちが何をできるのかを…「ウリトンムチャッキ(私たちの友を探し出す)運動」の大切さを…これからも輪を広げて…手を取り合ってハムケ(共に)…。
また、学生会の卒業生のあいさつからは、学生会の大切さ、その根を絶やさず、輪を広げなくてはいけないということを実感した。
…二人だけで活動した時もあった。明るい文化祭公演ができてよかった。もっとたくさんの日校生がハムケ(共に)学生会に…チョソンサラム(朝鮮人)として真剣に向き合える場だった…一人ではなく、みんなで一緒にやるから楽しい。笑顔があれば…一緒に在日スピリットをもって…。
…くじけた心をいやす/仲間がいるさ/どんな時でも夢抱き/…/창을 열어 보자 다같이/心の扉を開いて/輝く未来に向かって/愛の…
フィーナレは底抜けに明るかった。みんなが笑顔で「ハムケ」になれたと思った。

今年で二四回目を迎えた公演のテーマはハムケ(共に)だ。「公演を通じて、東京学生会の明るい未来へと『ハムケ』進んでいくための新たな一歩を踏み出す決意を込め…」(出演者一同のメッセージ)てだ。その想いは、出演者が意図したように、会場だけではなく、「まだ見ぬ日校生の仲間たち」(同上)にも、十分に届いたと思う。
××
学生会の卒業生が地域のチョチョン(青年同盟)に出るのは、敷居が高いようだ。ウリハッキヨ出身者が大多数を占めているのに加え、日校生のほとんどが日本の大学に進学するという事情があるようだ。これからの学生会活動は青年同盟と、日校生の最大の関心事である進学の相談にものることができる留学同とのコラボが求められているようだ。ハムケ(共に)輪を広げることができる可能性はある。会場で会った人々から得た感触だ。
*加筆して、5月に刊行する『朝鮮学校のある風景』43号に掲載しまする