【4月4日・火曜日】
『風景』42号の発送も一段落して、ぶらり東京中高に行った。JRだと一駅だが、この日は家の前のバス停から、バスに乗った。一五分とかからない。団地の桜も、西が丘競技場の桜も満開、花弁は散っていなかった。
春休みだというのに、校門の付近で何人もの生徒とすれ違う。
女子生徒が頭を下げて通り過ぎた。
東京第三の卒業生だ。『風景』を出し始めて、「通学」するように通ったころからの顔なじみだ。
「何年生?」
「今度、高級部二年生です」
あの時の面影がある。遠足にも一緒に行ったのでは…。そんなことを思って歩いていると、体育館からはバスケットのボールが床で弾む音が、校内からは金管楽器の音が聞こえた。
運動場ではサッカーのボールを追う部活生の隣で、二人の児童がブルーの大きなボールを長い棒にあてようと…バットではない。竹馬の棒を逆さまに持ってだ。
楽しそうだ。それを椅子に座った生徒が笑って見守っていた。心和む光景だ。

校舎に入ろうとすると、楽器を奏でる生徒が三~四人。ホルンにトロンボーン、チューバ? 高校生の頃、ブラバンの部室をのぞいていた時に覚えた楽器の名前がよみがえった。

二階の校長室へ。二階の踊り場の壁に貼り出されたポスターが目に飛び込んできた。ポスターはその学校の有様を知る大切な手がかりだ。
カメラがない。スマホを向けた。
「들려오는 일본말 안들려오는 지적소리 가슴이 아프지 않습니까」[聞こえてくる日本語 聞こえない指摘する声 胸が痛みませんか]


廊下には、「ウリマルは財産だ」、「ともに起こそうウリマル革命」、「ウリマルこそ民族の象徴」など、クラス別に「ウリマル常用運動」の標語ポスターが貼られていたが、気に入ったのは、「胸が痛みます」の一言だだ。
もう一つ「ウリマルを正しく使う万里馬の騎手になろう」からは、今の時代を反映させようとの努力の痕跡が読み取れた。
スマホを向けていると、笑顔で先生が通り過ぎて行った。「怪しい人間」に見られたのかもしれない。あわてて校長室の前で、「シン・ギルン校長…いますか」と、叫んでいた。
同級生の慎校長の顔を見に、ふらっときたのだが、次号の編集と関連し、三つほどの「懸案」があった。
一つは、42号には載せられなかった平壌で暮らす同級生からの手紙を受け取りにだ。第二は、39号から連載している東京中高の「編入生物語」の筆者が一九七一年入学の二四期生ではなく、一九七二年入学の二五期生ではないかとの、読者からの指摘を確認したかった。「学籍簿」で確認してもらうと、一九七五年度卒の二五期となっていた。戻って、筆者の原稿を読み返すと一九七二年に編入と記されていた。編集過程で間違ったようだ。そしてもう一つは、41号に掲載した「『今どき』の朝鮮高校生&卒業生」の続編を次号に組むためだった。すでにいくつかの学校から「卒業文集」が送られてきているが、東京朝高の「文集」も参考にしたかった。「学窓生活-高級部六七期卒業記念文集」一二三頁、読みごたえがありそうだ。
数日後には入学式だ。地方の花見に行くか、入学式を見に来ようか、迷いながら校門を後にした。
*加筆して、5月に刊行する『朝鮮学校のある風景』43号に掲載します。