東京第二・70周年を祝うイベント
【4月3日・日曜日】
今年、一月に江東区にある東京朝鮮第二初級学校は創立七〇周年を迎えた。昨年から地域ぐるみの記念行事に取り組んできたが、四月三日、その締めくくりの行事としての記念式典と七輪を囲んでの祝賀宴、焼肉パーティーが催された。
東京第二出身の中高時代の同級生・金トンムから、「朝高の同窓会に出てこない、同級生に会えるから…」と誘われた。この日は、朝からしぐれていた。それでも東京第三での入学式を終え、第二に向かおうとする頃には雨は上がっていた。第二の校門の前の桜の木は満開、何年か前、この下で七輪を囲んだことが思い出された。
会場は、地元の同胞や卒業生だけではなく、顔見知りの「枝川朝鮮学校支援都民基金」のメンバーの姿も見えた。記念公演には、今年の卒業生が特別参加し、在校生と一緒に華やかにマダン(場)を盛り上げていた。

講堂に飾られた、背表紙に「心の故郷」と記された一〇冊の分厚い写真ファイルと、歴代卒業生の記念写真に、人だかりができていた。東京都立時代の卒業アルバムもストックされていた。
記念式典で、李校長が「チェイー(第二)の宝」だと、誇らしげに報告していた代物だ。


同校の児童・生徒が表紙を飾った「친한 동무(親しい友だち)」、「해바라기(ひまわり)」、「조선중학생(朝鮮中学生)」と、「教科書に載った学生たち」のコーナーの周辺は、ひときわざわついていた。自然と恩師を囲んでの話の輪ができ、同級生同士、「この時からあなたはお澄ましさんだった」とか、「乱暴者の面影が…」などと、話が弾んでいた。


「わが校の歴史」とのタイトルの下には、国語講習所や、創立時の木造校舎、周辺の朝鮮人集落の写真も展示されていた。その隣には「朝鮮新報」や「イオ」に掲載された児童たちの詩や作文、同校のルポなども貼りだされていた。

もう一つ、『「マンギョンボン」号』と題する文集は貴重だ。第一号は、一九七三年に同校を訪れた、共和国の貨客船「マンギョンボン」号の船長と船員を迎えたときの感激を綴って出した文集だ。今でも国語指導委員会の名で、年に一回定期的に出されている。四六号すべてのバックナンバーがそろっていた。この間の学校の歩みとともに、児童のそれぞれの思いが「凝縮」した、これもまたウリハッキョの「宝」だといえよう。

草創期から現在に至るまで、学校の歩みをこれほどそろえた学校は、全国でも珍しいのではないか、うらやましく思った。昨年、母校の第三でも、七〇周年の記念事業の一環として、資料の収集を試みようとしたようだが、形にはならなかった。
写真集は、修正を加え、DVDにして、卒業生に配布するとの案内が配られていた。
校舎の入り口の壁に飾られた、七〇周年を記念したタイルアートも素敵だ。

タイトルは「心のふるさと」。
次のような説明文が付されていた。
「学校創立七〇周年をお祝いして、子どもたちと先生たち、学父母が作成したタイルアートです。
外外枠には朝鮮民族の象徴であるセットンと、子どもたちが大好きな学校の桜の花を七〇個あしらいました。
子どもたちの成長を見守る七〇の桜の花ひとつひとつに、わが校の歴史と、わが校を支えてくださる全ての方々の愛情と、また、その愛情への感謝の気持ちを込めました。
タイルアートの真ん中にある七一個目の大きな桜の花は、七〇年の歴史を経て、より大きな一歩をあゆんでいこうという力強い決意を表しています。
大空高く飛んでいく一二個の風船。これは、一二歳で初級学校を巣立ち明るい未来へと羽ばたいていく子どもたちを表しました。
子どもたちよ、心のふるさと東京朝鮮第二初級学校はずっとここにあり、あなたたちを深い愛情で見守っていることを忘れないでください。二〇一六年三月吉日」。
記念式典を終えての全校生と参加者による記念写真もまた、新たな「宝」として保管されるのであろう。

記念式典の後の運動場での祝賀宴、焼き肉パーティーでは、八人の同級生と会うことができた。日ごろ同胞社会から遠ざかっているトンムたちも「母校の行事には」と言っていた。

異国の地で生まれ育った私たちにとって、ウリハッキョはかけがえのない拠り所であり、ずっとそこにあってほしい「故郷」のような存在だといえよう。
*再整理して5月に刊行する『朝鮮学校のある風景』37号に掲載します。