中級部が復活した西東京第二の入学式 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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中級部が復活した西東京第二へ

【4月2日・土曜日】

 西東京第二に、一〇年ぶりに中級部が復活するという話を聞いたのは、二月に東京第六で催された「日朝教育交流の集い」でだった。李校長先生がいつもの笑顔で、同僚教師に話していた。

 fbで「入学応援隊」が最寄り駅に集まることを知り、当日、「入学おめでとう」と記されたオレンジ色ののぼりの後を追った。近隣の住民だけではなく、遠く和歌山の現職教師の姿もあった。

 

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 西東京第二には竣工式の時に来ている。二階の三つの教室の前には、全校生の集まりができるほどの広いスペースがあった。「いつか、ここに中級部の教室を」との説明を聞いていた。半信半疑だった、それが四年もしないで実現したのだから誇らしい。 

 校門の左手には真新しい「西東京朝鮮第二幼初中級学校」という看板が輝いて見えた。


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 学校に直行した「応援隊」と合流。一二~一三本ののぼりの前を新入生が保護者と通り過ぎる。一斉に朝鮮語で「チュカハムニダ」だ。

 入学式には、学父母だけではなく、祖父母や卒業生の姿も。「応援隊」の全員が参加した。

 保育班二人と二歳児が二人、初級部九人、近々一人増えるとの報告があった。一〇年ぶりに復活した中級部の三人の新入生には、一段と大きな拍手が送られた。新たな一歩を刻んだ、この学校に新たな春風を吹き込むであろう「小さな先駆者」たちである。


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会場で、「入学おめでとう」-日本語と朝鮮語で書かれたオレンジ色ののぼりは目立った。本部の高委員長や、李校長のあいさつの中でも、「応援隊」への感謝が繰り返し述べられていた。


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  初級部の教室を挟んで向かい側に作られた教室では、男子三人の新入生が保護者と並んで座っていた。初級部を卒業した女子生徒は、例年のように神奈川中高や東京中高などに進学したとのことだ。希望するクラブ活動を優先させ、大人数の学校を選んだようだ。中一の教室の隣には、生徒を待ちわびる二つの教室がある。来年には、より多くの新入生が見込まれている。二〇〇六年には全校生が二一人、その後、幼稚園を復活させ、今年中級部を再建し、現在、全校生は園児を含めて八一人、「在校生一〇〇人台」も夢ではないようだ。

 

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 帰り際、教員室の前の掲示板を見ると、同校の「七〇年の誇らしい歩み」を記した三枚のポスターが貼られていた。

児童の手書きだ。

 草創期(1946・1・15194711) 一九四五年九月から相模原市、淵野辺、相模大野、鶴間などで国語講習所を、町田でも町田市原町田一丁目公会堂を借りて、国語講習所をスタートさせる。一九四六年一月一五日、各地域に分散していた講習所を統合し町田朝聯学園を創立。

 木造校舎(194712・2~1968・6) 一九四六年一〇月、民族教育を拡大強化するとの町田支部の決定により、一九四七年一二月に新校舎(寺町)を建設。一九四九年一〇月一九日、学校閉鎖令によって、多くの苦難を強いられたが、一九五五年三月三一日、東京朝鮮第一二初級学校として再スタート。

 高ヶ坂四階校舎の時期(1968・7~2012・3) 私たち同胞は、立派な教育環境を整えようと、大きな体育館とプールまで備えた校舎を建設。広い運動場にたくさんの樹木が生い茂り、立派な校舎で、思いっきり学び、身心を鍛えた。

 新校舎の落成(2012・4~現在) 10年前初級部児童二一名だった学校は、教職員、学父母、地域の同胞、在校生が心を一つにして努力した結果、現在は園児・児童合わせて七五名にまで増えた。七〇年の誇らしい歴史を刻んできたウリハッキョを一層輝かしていきます。 

 そしてこの日、新たに「二〇一六年四月-中級部再建」の「誇らしいあゆみ」が付け加えられたわけだ。

 

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  西東京第二での「入学応援隊」は今年で八年目、神奈川の各学校での「応援隊」は一四年続いている。

 この数年「応援隊」に参加しているという女性は「応援隊の趣旨は『子どもたちの笑顔を守りたい』と、とてもシンプルだ。年に一回というのも参加しやすい。近隣の朝鮮学校のバザーに行ってみようかとか、夜会に参加してきたという人もいる。日ごろ、街角で朝鮮学校の児童を見かけると、事故にあわないか気遣うようにも…」。年に一度の「出動」がもたらす効果は小さくないようだ。

 

*五月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』37号に掲載します。