東京第三・創立七〇周年記念行事 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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東京第三・創立七〇周年記念行事
【2月・28日・日曜日】
 いつもの成増や練馬ではなく、家に近い赤羽会館だということもあっで、開演の二時間前に一度顔を出した。
 ロビーには、卒業生のサッカーの安英学選手から贈られてきた胡蝶蘭が、正面には、四色の「七〇周年スペシャルデザインポロシャツ」が飾られていた。東京第三のキャラクターのチェサミとミレを「∞(無限大)」で囲んだマークが可愛い。「チェーサムハッキョへの愛が未来(ミレ)にも無限に続く」ということを表しているとのことだ。
 舞台では一〇人前後の男性がうたっていた。青商会の特別出演かと思ったら、一年生のアボジだ。
子どもたちよ これがウリハッキョ…
「…顔をあげて」とか、「ギターのコードが間違っている…」とか、そんな声が聞こえた。
第二部の記念公演の最終リハーサルの最中だった。
 
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 観客席には、招待者の名前を記した紙が貼られていた。歴代教職員と、懐かしい先輩の名前が並んでいる。日本人の名前もちらほら、学校にゆかりの人たちなのだろう。


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  受付開始三〇分前、会場ると、入り口でチェサミとミレが出迎えていた。この日は、七〇周年の晴れやかな催しを彩るように、華やかなチマチョゴリ、パジチョゴリ姿だ。何人かの幼児が恐るおそる近づいていた。
 
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 全校生による「輝く未来へ」の合唱が始まると、中央後部の招待席から前方の席に一斉に移動していた。少しでも近くで孫の顔を見たかったのだろう。
「誇り高きウリハッキョ」、「開校の鐘音」、「輝かしい未来」、そして「新しい明日への出発」。二時間ノンストップの公演には、これまでの七〇年と「明日」とが、ぎっしり詰まっていた。
 一九五六年四月、東京第三に入学した時が思い出された。その時の校長は、鄭求一先生だ。豊島朝鮮初等学院から東京第三朝聯初等学校、都立に強制移管された時も教壇を守り、東京朝鮮第三初級学校の五代校長として、その後もウリハッキョを一線で守り続けた鄭先生がいらしたら…、終始そんな思いに駆られた。
 
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 この日、荒川区の東京第一、墨田区の東京第五でも七〇周年の記念行事が催された。気になったのは、学区がかぶる東京第一だ。入場順の抽選を行ったという。前日まで、支部委員長が自転車で同胞宅を訪問する姿がfbにアップされていた。当日のfbでも「(会場の東京中高の体育館は)一階も二階もいっぱいです」、「一二〇〇人が…」、「老若男女コルゴル(まんべんなく)…」と。
 「1946 この始まりがあったから 2016」―とても魅力的なタイトルをつけていた、東京第五の記念行事を見逃したのが残念だ。
 
 第一章のバスケット部の芸術宣伝の結びの言葉が心に響いた。
 「ウリハッキョ八〇周年を迎える時、私たちは卒業生として、九〇周年の時は学校の先生、支部の働き手として、一〇〇周年の時はアボジ会、オモニ会の活動を! 約束しよう! 一〇〇周年も私たちの力で!」
 そして、最終章のアボジ会の重唱、きりりとしていた。自信に満ちていた。「心の扉を開けて」もよかったが、アンコールでうたった「ウリチャラン イマンジョマン アニラオ」。総連の初代の議長が全盛期につくった歌だ。困難な時代を乗り越えるのは、その場かぎりの、小細工ではなく、「直球勝負」しかない、ふとそんな思いがよぎった。
 
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 舞台では、恒例の卒業生と保護者による記念写真、ロビーでは演劇「ちびっこクレヨンのたからもの」の衣装のままの一年生が、笑顔満面のオモニたちと写真に収まっていた。
 
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 創立七〇周年記念公演のテーマは「異国のタンポポ」。ウリハッキョとそこで学ぶ子どもたちがタンポポのように大地にしっかり根をはり、いつでもどこでも鮮やかな色を放ち、咲き続けてほしいものだ。***


再整理して、3月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』36号に載せます。