なんとなく東京中高へ
【2月22日・月曜日】
週に一、二度、行っている整体院から一〇〇メートル、校門が開いていたので寄ってみた。授業中だ。運動場からは、生徒の声がする。体育の授業のようだ。
平壌での迎春公演の話でも聞けたらと、二階の校長室に直行した。テーブルの上には、いくつものDVDのケースが積まれていた。

私・「これは…」
慎校長・「迎春公演に参加したハッセン(児童・生徒)たちに配ろうと…」
平壌に四〇日間滞在中に撮った八千枚の写真と動画を練習編と日常生活編に分けて編集したという。
編集中のDVDを見せてもらえた。
「一二月一日 西日本のハッセンたち平壌旅館に到着」だとか、「一二月四日 初めての全体集会」だとか、「写真でしか見ることができなかったチュチェ塔…市内を一望」、「初対面だが、会った瞬間仲良しに」などの説明も付されていた。

「…写真を選んで、音楽を入れて…二時、三時まで…」。この何日間、自宅での作業は深夜に及んだようだ。
滞在中、日々の出来事を日記風につづり写真も載せ、平壌からメールで各学校に送ったという「通信」も見せてもらった。詳しい日程とともに、練習や見学先でのハッセンたちの感想などもつづられていた。
一週間に二回、東京に送るのは大変だったようだ。「『朝鮮新報』の記事と動画、各校長に宛てたこの『通信』が、保護者の不安解消に少しは役立ったのでは…」と、少し得意げに語っていた。確かに、祖国とウリハッキョ、祖国と在日の距離を縮めたようだ。
DVDは、数日後の全国校長会議の参加者を通じて、公演参加者一七〇人と引率教師に伝達されるという。ハッセンたちは言うまでもなく、保護者の喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。
××
校長室の隣の階段を一斉に生徒が降りて行く。「アンニョンハシムニカ」。初級学校の児童には、負けずと大きな声で「アンニョン…」と返すのだが、女子高生にはなんとなく恥ずかしく、目礼だけだ。
壁には、「高2支部運動『私たちの姿こそ朝高の姿』」のポスターが貼られていた。「一年間追求してきたウリマルに対する考えを一層深め集大成する場を…」。運動の目的の一つだ。
その下に、五つのクラス別の研究テーマが記されていた。
なぜ、朝高生はウリマルを一〇〇パーセント使えないのか?
なぜ、ウリマル運動を行うのか?
朝高生からウリマルを抜くと何が残るのか?
私たちにとってウリマルとは何か?
ウリマルと民族はどんな関係にあるのか?
―の五つだ。研究発表を聞きたい。なかでも「朝高生からウリマルを抜くと何が残るのか」は、興味深いテーマだと思った。

学校のあちらこちらに貼られた、ウリマルと関連したポスターが目を引いた。間違った表現を正すものもあれば、冬によく使う言葉をウリマルで表したものもあった。

「かさつく」、「すりきず」、「ささくれ」、「毛玉ができる」、「寒がり」-少なくても三つは初めて知る言葉だった。

一階の学食には長い列ができていた。この日のメニューはかつ丼、fbで「東京中高昼食ナウ!」をしたかったがパスした。いつもは授業が終わる直前に行って食べているが、この日は話が弾んで、その機会を逃してしまった。席を譲ってくれるであろうが、生徒たちに交じって食べる勇気はなかった。
**加筆して、3月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』36号に載せます。