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東京中高学区の少年団の集いへ
【12月5日・土曜日】
会場の東京朝鮮文化会館のロビーに入ると、学校別に運動靴が「整列」していた。第六、第九、西東京第二…千葉や埼玉、東京中高の学区の一一の初級部の少年団員が一堂に会しての集まりだ。
写真を撮っていると歌声。聞きなれた母校の東京第三の「愛校歌」だ。慌てて会場に入って行ったが、児童たちは舞台から下りてきていた。

児童たちがハッキョの歩みを発表した後、校歌を合唱する手順だ。
母校のの発表を聞けず残念だ。

会場の左右の壁には、発表内容を記した壁新聞がずらりと貼り出されていた。東京の場合、一九四五年八月の解放直後、国語講習所としてスタートし、「東京第○朝聯初等学院」、「東京第○朝聯小学校」に統廃合し、一九四九年一〇月の「学校閉鎖令」によって、「東京都立第○朝鮮人学校」に移管し、一九五五年から校名も現在の「東京朝鮮第○初級学校」になった。そうした経緯とともに、各学校の特色、近況などが写真とイラスト付きで描かれていた。
「第一学校の隠れた話」―日本で初めて幼稚班、初級部、中級部がつくられ、全国で学生数が最も多い。昔の幼稚班の地下はプールで、日本の学校の児童・生徒も一時間五円で一緒に遊んだ、祖国から初めて民族楽器を贈ってきた(一九六六年五月)。「秘話」というより、「学校自慢」だ。
東京第三はズバリ「学校自慢」を書いている。ひとつは同校の人気キャラクターの「チェサミ」と「ミレ」についてだ。「二〇一二年四月に第三に入学しました」、「夢は少年団員になることと踊り手になることです」と書かれている。お披露目された日を「入学」?、「夢」? 子どもらしい表現だ。もう一つは校舎がたくさんの植物で囲まれているということをあげていた。

東京第九は「誇れるアボジとオモニ」を紹介している。金剛山歌劇団や歌舞団、文芸同で活躍する保護者がいるようだ。
「上手に踊るためには?」という問いへの答えは「誰よりもたくさん練習を…何よりも朝鮮の踊りが好きだという気持ちが大切で」と。
東京第五の児童は、学校がある地域になぜ同胞が住み始めたのかということについて調べていた。
「当時、隅田には八広プレス工場、皮革工場、油脂工場などがあった。これらの工場で厳しい肉体労働を同胞たちが担っていたので、この地に多くの同胞が暮らすようになった」
東京第一〇との統合についてふれ、スクールバスが「김치호(キムチ号)」になった経緯についても記している。

「今から三三年前、立石分会で、トンネ[同胞社会]のニュースを知らせる『鳳仙花通信』のハガキを買うため、キムチを漬けて売り始めた。そのお金を集め、学校にコンピューターや運動会の道具、通学バスなどを購入することができるよう寄付してくれた」
発表会の途中、休憩時間になると、児童たちは行ったり来たりしながら他校の壁新聞に見入っていた。
「見て、見て! これは自分が…」と、誇らしげに他の児童に声をかける子どもも何人かいて、その姿はほほえましかった。

東京第二は、二〇〇七年三月の土地をめぐる東京都との裁判での「和解」成立から、新校舎の建築、旧校舎の解体、二〇一一年四月の新校舎竣工式の過程を十数枚の写真と共に紹介していた。
西東京第二は「一〇年前初級部の児童数が二一人だったウリハッキョは先生、父母、地域同胞、児童たちが気持ちを一つにして努力した結果、今は児童・幼稚園生合わせて七五人まで増えた」と。二〇〇七年に幼稚園が再建され、二〇一二年に新校舎が建設され、その後今年一一月の学芸会に至る過程がカラフルに描かれていた。
今年四月に新校舎を竣工した東京第六は、新校舎建設の経緯について二人の建設共同委員長の言葉を載せていた。
「子どもたちをより良いところで学べるようにしたいという同胞たちの熱意が建設のきっかけになった」(洪)、「民族教育を今度は私たちが守らなくてはいけないという固い決意で建設事業を繰り広げた」(朴)。
辺顧問の話は、「貴い話」として紹介されていた。
「子どもたちに民族教育を受けさせなくてはならないとはじめた国語講習所は私たちの家だった。当時、朝鮮人たちの暮らしは貧しかった。そんな厳しい環境の中でも民族教育を始めた。学べる環境は先代たちが戦って得たものだ。二度とこの財産を奪われてはならない」。

「私たちの家」、「先代たちの戦い…」、「財産を奪われてはならない」と言う文字は、赤色で書かれていた。児童たちも、その大切さを強調したかったのだろう。
昨年一二月に校舎移転三〇年と今年創立七〇周年を迎えた東京第四の児童たちは、一二〇〇人が参加した公演や運動会、学芸会など記念行事の様子を大きな写真と共に誇らしく記していた。
西東京第一は、バザー、一日給食、図書管理、ベルマークの収集、リサイクル運動に対外活動など、オモニ会の活動について詳しくふれていた。バザーのはじまりは、一九五〇年代後半の「국밥(クッパ=朝鮮風具だくさん汁ご飯)の販売」で、一九八二年から「大規模」になったと書かれていた。

千葉ハッキョの壁新聞には、JR定期券割引制度適用の突破口を開いたオモニ会について、当時のオモニ会会長の話を載せていた。アボジ会の学校美化のための一日労働、青年同盟の「나!너!하나!(菜の花)」基金、青商会による「ウリ未来課外授業」の取り組み、地域商工会による五二〇〇冊以上の図書の寄贈について、事細かく書かれていた。
埼玉のハッキョは青商会の活動を紹介しながら、五人のアボジのインタビューを載せていた。
「○○のアッパに聞きました!」。小学生にとってはアボジではなく、まだアッパなのだろう。
青商会の目的については「学校を支援すること」、最も重要な活動は「同胞社会の未来を育むこと」、印象深かったことは「幼稚園に人工芝を敷いたことと、埼玉の代表として東北のウリハッキョに支援物資を持って行ったこと」、最も嬉しかったことは「児童たちの笑顔をみること」、今後の目標は「児童たちにより良い環境をつくること」、最も大切なことは「児童を増やすこと」などの答えが、写真と共に貼り出されていた。
今年(二〇一五年)と来年、創立七〇周年を迎える学校が多い。児童自ら母校について調べて発表するというタイムリーな企画だけに、残念な思いで会場を後にした。
注・今年、全国で一〇校のウリハッキョが創立七〇周年を迎えた。東京中高学区内では、東京第一初中、東京第三初級、東京第四初中級、東京第六初級の四校。
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午後からは代々木公園での「国連人権勧告の実現を!」求める集会に。目立ったのは、高校無償化を求めるノボリだ。

集会アピールでも「朝鮮学校の子どもたちは依然として高校「無償化」から排除されたままに置かれて」いる状況が指摘された。
*再整理して2016年1月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』35号に載せます。