東京朝高18期・「チングの会」へ
【12月12日・土曜日】
同窓会は二~三年に一度だが、「チング(親友)の会」は、五月のバーベキューと年末の忘年会が定例化されている。往復はがきで出欠を取るでもなく、フェイスブックやラインで一斉に知らせるでもなく、誘いあって参加する、卒業生だけではなく、縁がある者がなんとなく集っているパーティーだ。
…今年もどうにか…健康だからこうして…会えてよかった…
朴会長のそんな短いあいさつの後、何人かがマイクを握り、思い思いの言葉で何度も乾杯の音頭をとっていた。
高崎から来たトンムは、「嬉しいニュースです」を。長男に男の子が、一〇人目の孫が生まれとのことだ。同級生のサドンは、子どもの子守のために参加することができないと、嬉しそうに報告していた。
舎人公園でのバーベキューの「常連」でもある、愛知朝高のトンムが「よろしく」と一言、朝高の同級生ではないというトンムは、「東京第一に中一まで通い、その後、日本学校に行った『ミンジョクパニュッチャ』です」と、自己紹介していた。医者になり、職安通りで開業していたが、引退して今は自由きままに生きているとも。「朝鮮学校のトンムたちが懐かしい」と言っていた。

それからは、飲んでしゃべって、飲んで歌っての三時間だった。
最初は中学の出身校別に座っていたが、歌って、踊り終わると、なぜか違う席についていた。「どこの学校?」、「チェー(第)○」。すると誰だれはどうしているとか、あれとはサドンだとかで、話しが弾む。
途中、白い封筒を配るトンムが。「…○歳、良い娘さんなのよ。東京に行くと言ったら…」。結婚相手探しを頼まれて来たようだ。
大型のモニターには、歌詞にそった映像が流されているのだが、なぜか、海と波、雪国、トンネルと物悲しい女性の後ろ姿ばかりだ。みんな「演歌の世界」にどっぷりだ。「青春時代の真ん中…」は、「初老時代」に、「美しき十代…ああ…」、「元気すぎる六〇代…ため息…」に替えてうたっていた。
トイレには順番待ちの列ができていた。「マックスいくつ?」、「我慢指数」を聞いて、譲り合っているのだ。

「…『花園』…夢のような話だ」と、母校のラグビー部に応援募金の協力を申し出るトンムもいた。名前が出ているとか、孫の入学が心配だと言って、『朝鮮学校のある風景』を購入してくれたトンムもいた。
二次会は、やはり出身中学別だ。「足立は…」と、一番大きな高で参加者を募っていたのは東京第四だった。「前橋と高崎の最終電車は…」との声も聞こえた。
「来年五月にまた…」。幾つかの群れとなって、不忍池の前の道の雑踏にまぎれて行った。