横浜初級・43年ぶりの訪問 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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横浜初級・43年ぶりの訪問
【12月10日・木曜日】
 横浜駅から坂道を一五分くらい登り切った高台に二つのウリハッキョがある。
 神奈川朝鮮中高級学校と横浜朝鮮初級学校だ。

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中高級部が校外で行う民族管弦楽部や吹奏楽部などの演奏会や、美術部の展示会などには行っているが、学校を訪れるのは初めて。同じ敷地にある横浜初級学校は、かれこれ四三年ぶり、朝大を卒業した年に、「新報」の記者として取材に来て以来だ。
 二時過ぎ、校長室にも教員室にも人気がない。玄関に貼り出された沿革史を目で追う。
一九四六年二月二五日 地域の国語講習所を統合し横浜朝鮮初等学園を開園
「来年七〇周年か…」
一九四九年一〇月 朝鮮人学校が廃止されて青木小学校の分校になり、一九六五年一二月には学校法人設置認可を獲得し、現在の横浜朝鮮初級学校に改称。
 一九七二年八月、「日本で初めて音楽舞踊部員祖国を訪問」。
 「これこれ」 
次から次へと独り言がつづいた。
祖国への往来は、北半部出身者の故郷訪問か、帰国者した肉親との再会に限られていた。今のように修学旅行に行くなんて夢にも考えられなかった時期だ。金日成主席が生徒・児童たちと会ったというニュースには、誰もが心をときめかした。
 日本に戻ってきた、その横浜のハッキョのクラブ員たちを取材した、駆けだし記者当時の記憶が蘇った。

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 何人かの児童が階段を下りてきた。
 「何年生?」「一年生です。」、「一年生の教室はどこですか?」、「二階です。一緒に行きましょう」
 はきはきしたウリマルが返ってきた。上着を着ていないので、「寒くない?」と聞くと、「チュプチアネヨ」、寒くないとの答えが瞬時に戻ってきた。
 ドアの隙間から教室をのぞくと、下校準備をしている。
 一階に戻って来ると、男性の先生に声をかけられた。梁校長だ。
 隣の神奈川中高に用があって来たとのこと、横浜の児童たちの祖国訪問の後日談を取材に来たことがあるというと、当時の写真が載ったアルバムをもって来てくれた。

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 「…日本学校に通う児童の家を訪ねて行って、祖国で撮った写真を見せながら、そこでの出来事を話し…それを記事に…」 

「その話は、いまでも伝えられています…これからも…」
 写真を見ながら思わず、「
하나가 열이 되고 열이 백되고…」の歌を口ずさむと、(43年も前のことなのに覚えているものだ)、先生も声を揃えてくれた。

 それにしても、児童たちに囲まれる笑顔の金日成主席は若い、六〇歳だったのだ。
 校長室と教員室がある一階の廊下には、歴代の卒業生の写真と共に、歌の歌詞にもなった、「一が十、十が百、百が千に…」という金日成主席の言葉が掲げられていた。一人ひとりの腕に時計をはめながら、「バンドが大きいようだ…大きくなって…」。記録映画で見た、主席のそんな肉声が聞こえてくるようだった。

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 運動場に出ると、しゃがみこんで運動場に何かを書く先生を男女の児童が真剣に見つめていた。もう一人の先生がそれをのぞきこんでいた。低学年の下校は一段落したようだ。
 私・「何年生ですか?」
 先生・「一年生と二年生です」
 児童たちを見送ると、一人の先生は校舎に戻って行った。
 残った、一年生の担任だという先生にも四三年前に取材に来た話をした。その当時を思い出し、少し興奮していたのかもしれない。その後、運動場で、ソフトボールに興じる生徒の姿を追いながら、神奈川中高の先生にも同じ話をしてしまった。

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 隣の神奈川中高でのひと時、厳しい状況をはねのけ勉学に励もうとする朝高生の姿はまぶしかった。用事を済ませ、四階建ての校舎を見あげ、道路につながる階段を降りながら、「白頭山に登って」の詩を口ずさんでいた。金日成主席とのお別れの場で、サッカー部の主将がそらんじた、日本に戻っても白頭山の気概を忘れないという内容だ。
우리의 몸은이제 백두산을 내려갈수 있어도우리의 마음은한치도 백두산에서 내려가지 않으리라
 
우리 이역땅에 살아도마음은 언제나 백두산에 살며백두산의 꿋꿋한 의지로 백두산의 슬기로운 기상으로
 当時の児童は、すでに五十を過ぎているはずだ。今何をしているのだろう? 横浜のハッキョに行ったことをフェイスブックに書くと、「当時、初六の私。訪問団の一員です。先生の取材を受けていたとは光栄です」とのコメントが寄せられた。四三年前の新米記者当時が蘇り、そのときのときめきがつながった、幸せなひと時だった。