東京第三・卒業式と謝恩会
【3月22日・日曜日】
68期生一七人が巣立っていった。
退職した一、二年生当時の担任の先生、朝鮮大学校の教育実習生、駅で児童たちに優しく声をかけられ、ウリハッキョのファンになったという視覚障害者の小暮さんもお祝いに駆けつけていた。四年生の時の担任と一年生の時、図工の授業を受け持った先生からは祝電が届いた。

卒業式後、謝恩会が催された。担任の黄先生が男女の児童の手をしっかりと握って入場、涙はなく、満面の笑みだ。
…この六年間、子どもたちは先生たちの愛をいっぱいもらって育った。悲喜こもごも…親も頑張れた…八年後の成人謝恩会、この場で会って色々な話ができれば…。
乾杯の音頭をとるアボジの言葉が少し震えていた。


今年の卒業生が入学した頃から、チェーサムに足繁く通うようになり、『風景』を書きはじめのもこの頃からだ。分会の新年会で、新入生として紹介されるとオモニのスカートをひっぱり陰に隠れていた彼はサッカー選手を夢見ている。3・11大震災の年に福島のウリハッキョから転校してきた彼女はオモニに似て、とてもおしゃれだ。朝大に社会見学に行ったとき、軽音楽団が奏でるエレキギターに誘われ、舞台に上り踊り出したお茶目な彼の姿は、今でも時々思い浮かぶ。
そんな彼らと謝恩会の場にいられることだけでうれしかった。

恒例になっている、スクリーンに映し出された幼児期の写真を見て本人を当てる「これ誰ですか?」は笑いの渦、一気に会場を和ませた。すぐにわかる子もいたが、ヒントを出し続けても当ててもらえず、男子の名前ばかり出るので、思わず「私です」と手を上げる女子児童がいた。
思い出に残った出来事は、修学旅行やスキー教室、チビッ子サッカー大会など、校外でのイベントが多かった。将来の夢は、サッカー選手とバスケの選手が少なくなかった。看護師に薬剤師、研究者、芸能人、アイドル…。中には、田舎で暮らしたいというのも。進行を務めたオモニが誰よりも楽しんでいるようだった。

卒業生の公演。タイトルは「一七は大きな一つに」だ。
…いく手は遠く険しくても…前だけを見て力強く生き抜こう…
感極まってか、声が上ずっていた。
息のあったダンスには笑いとアンコールの声が…。何年か前の学芸会の再演だ。
そして、先生一人ひとりの名前をあげて感謝の言葉が述べられた。
社会の時間面白かったです/歴史の勉強好きになりました/バスケットボールを教えてくれて…/ウリマルちゃんと使います/チェサミとミレは第三の誇りです/…/中級部に行ってもよろしく…。
「キミルソンセンニム」。突然、呼ばれ、あまりの嬉しさに何を言われたか…。

担任の黄先生の話。卒業生に贈る言葉というより、プロジェクターを使っての最後のホームルームのようだった。
先生・三つの「無」が大嫌いです。これさえ守っていれば、けっして恐い先生ではありません。何か、わかりますね。
スクリーンの三つの「無」という文字の後ろに二文字が入る四角が映し出される。
児童・(口を揃えて)無秩序・無責任・無関心!
先生・そうです。これからも忘れないでください。
そのあとも幾つか伏せ字を当てる形で、児童とのやり取りが行われた。
他人の話は眼と耳と心で聞く/他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べる/マイナスの発言はせず、プラスになることを言う/やりたいことより、しなくてはならないことからする/…/失敗を恐れることはない、何もやらないことを恥じよう/錆つかずいつまでも輝き続けよう/…
途中から、保護者たちも息子、娘と一緒に伏せ字当てを楽しんでいた。
結びの言葉は「徹頭徹尾」「以身作則」、自らすすんで模範を示せだ。一年間教室に掲げられた標語でもある。

アボジ会からの「六年間を忘れるな。ウリハッキョが一番だ」、オモニ会からの「トンムたちは東京第三の未来、たくましく育って」との言葉と共に歌のプレゼント、最後は児童と先生、保護者の「大きな輪」ができていた。
