<番外編>在日韓国人カトリック墓地
【11月30日・日曜日】
チャンモ(義母=嫁の母)の4周忌で、滋賀県にある「在日韓国人カトリック墓地」へ。北白川教会で日曜ミサを終え、連れ合いの妹と弟と一緒に向った。紅葉のシーズンが終わり、渋滞に巻き込まれることもなかった。

雑草をむしりながら、墓石に刻まれたチャンモの名前を見ると、「キム ソバンなぁ…」と、優しく呼んでくれた姿が思い出された。14、5年になる。はじめて挨拶に行った時から、優しく呼んでくれた。いつも何かを美味しいものを準備してくれていた。東京に来た時は、アボジの家の玄関に飾られていた、初めて見る「三大将軍」の肖像画にビックリしていた。その表情が忘れられない。
××
チャンモとは2001年に一緒に平壌に行った。最初の日曜日は4月15日、行事が終わって、大使館街近くの長忠聖堂に行ったときは、すでに日曜ミサは終わっていた。それでもチャンモは、お御堂に腰掛け、いつものように祈りをささげていた。たまたま「万景峰」号の出航が2、3日遅れ、22日の日曜日にミサに行くことになった。
案内人は「車をチャーターするから、自分達だけで行ってくれ」と。15分遅れでミサに参加した。100人余り、一見して外国人らしき人が10人前後。高齢者に混じって、多くの40代の男性が大きな声で讃美歌をうたっていた。チャンモも声を合わせていた。
ミサは、新旧聖書の朗読に耳を傾け、賛美歌を歌うという、全世界で行われている形式に則って行われていたが、司祭が不在のため中心となる「感謝の典礼」は省略されていた。ミサ堂の入口の聖水盤も乾いていた。聖水は司教・司祭によって聖別されることになっているからだ。
ミサが終わると、聖堂の庭で大使館員なのだろう、外国人と市民が和やかに歓談していた。信者さんの胸に金日成主席のバッチはなかった。チャンモは、一緒に来た関西地方の民団の婦人会の役職についていた親戚と、そんな風景に溶け込んでいた。
墓地でたたずみながら、そのときの姿がふと、思い出された。
××

京都コリアンカトリックセンターが管理する墓地は、テニスコート3面分以上の広さがある。芝がきれいに刈り込まれていた。当初は決まっていた規格も、バブルの時代には守られなかったようだ。規格外の墓がいくつも並んでいた。○○李氏など本貫と本籍地を刻みながら、名前は通称名のものもある。人が参った痕跡がない立派な墓もあった。
ここでも在日が辿ってきた歩みを垣間見ることができた。
