*掲載日の順序が入れ違っています。。
東京中高の運動会
【10月25日・土曜日】
東京中高の運動会の「名物」と言えば、校門に設置される大きなアーチと、全校生によるマスゲームのフィナーレを飾る運動場いっぱいになびく共和国の旗(대기발・テーキッパル)だ。
当初、予定されていた一三日は、台風19号の接近のために一五日に延期になった。その日は、午後から大雨に見舞われ中断、十日後のこの日の午後から競技が続行されることになった。
今年も五メートルはゆうに超す巨大なアーチが、学父母、卒業生、学区の同胞を迎えていた。道行く人も、いったん立ち止まって見上げていた。
美術部の崔先生によると、「朝鮮の鬼がわらをイメージして作った。…まさか、あんなに大きくなるとは、作った部員たちも想像しなかったようだ」とのことだ。

運動場の入り口に、もう一つの「統一門」があるものと期待したが、この日は設置されていなかった。一五日にはあった。fbに写真が載っていた。
*美術部担当の崔先生から次のようなコメントが届きました。
「統一門は台風で破損し、組み立てに耐えられない状況になりました。中止になってしまったあの日が最後。また、来年には、リニューアルした門を作ると美術部は意気込んでいます」。
母校の東京中高の運動会には、たくさんの思い出がある。
在校中(一九六二~六八年)、生徒、教職員は合わせて二七〇〇人余りにも上った。リーゼントにハイカラ-の学ラン、尖った革靴を履いた先輩たちも、茶髪に長いチマをはいた先輩たちも、運動会の練習が佳境に入ると、「チョゴセンウィ ポンテル ポイジャ(朝高魂をみせよう)」と、先頭に立っていた。
運動会の当日は、最寄りの十条駅から学校まで長い列ができた。白の長いチマチョゴリ姿の女性たちも少なくなかった。寄宿舎だけではなく、学校の近隣に暮らす下宿生もいて、全国各地から学父母や近隣の同胞ら八千人以上が詰めかけた。運動場の隅にはいくつもの仮設トイレが設けられ、運動場はぎっしりと人で埋まった。
朝大に入学した後も中高の運動会が待ち遠しかった。卒業式の時の合言葉が「毎年、朝高の運動会で会おう」だった。今思うと不思議なのだが、なぜか、みんな背広にネクタイをしめて行った。胸を弾ませながら校門をくぐり、同級生や恩師との再会を楽しんだ。
× ×
そして、東京中高の運動会と言えば、テーキッパルだ。駒沢競技場で行われた初めてのマスゲーム(大集団体操)の最終章でも、グランドいっぱいに共和国の国旗が波打った。観客は総立ちで拍手だ。テーキッパルを持つ手が震えた。その時の感激はあれから半世紀が過ぎようとしているのに、はっきりと覚えている。一九六五年、高校一年のときだった。その後、そのテーキッパルが東京中高の運動会に引き継がれたと、聞いている。
この日、マスゲームのフィナーレを飾るテーキッパルが真新しいグリーンの人工芝の上を波打つ頃には、日もとっぷりと暮れていた。夜間照明に浮き上がる、テーキッパルもいい。気がつくと、観客の最前列にいた。

真ん中近くでテーキッパルを持って両手をひろげると一瞬、体が宙を舞う。駒沢競技場で体験したあの心地よい感触が蘇るようだ。
このテーキッパルは、二代目だという。昨年、新調したテーキッパルは、私の体を浮かせた、幅四八メートル、縦二四メートルより少し小さめ、幅三六メートル、縦一八メートルだと、同級生の慎校長が図を描いて説明してくれた。

あの時のテーキッパルが、五〇年を経た今日まで、「チョゴセンウィ ポンテルル ポイジャ(朝高魂をみせよう)」という精神と共に受け継がれていると思うと嬉しかった。
*11月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』28号に掲載します。