【4月24日・木曜日】

4・24 今、再びあの日を称え心に刻む場 2014
これからも各々が「4・24」と向き合う場になれば…
4・24教育闘争から六六年目の日、青山霊園の「無名戦士の墓」の前で、「今再びあの日を称え、心に刻むマダン(場)」を共にすることができた。
■朗読ではなく「黙読」に
昨年に続き二回目。今回、こだわったのは昨年、遺族が提供してくれた南時雨先生の「歌による詩劇 4・24」の黙読だ。ウリマルを読めない学生や日本人の参加を念頭に、日本語訳を載せた冊子も準備した。遺族の南珠賢さんの「文字をたどると、その日の光景と今日も変わらない惨状が重なる」という言葉が耳に残っていた。各々が黙読することで長編詩と向き合うことができればと思った。詩編を読みすすみ、心に引っかかる所で読み終えてもいい、何行かだけでも心に残ればとの思いで、あえて朗読者を決めず、黙読とした。
まずは、その黙読に時間を割いた。そして宋岩佑さんが「朝聯東神戸初等学園」一年生の時の実体験をおりまぜながら、民族教育が置かれている厳しい現状をのべ、「4・24の精神」を称え、犠牲者の冥福を祈り黙とうを促した。
次に、在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮顧問が「無名戦士の墓」の建立と在日朝鮮人の合祀の経緯について語ってくれた。金太一少年の死を五〇メートル離れたところで目撃した、今年九一歳になる白宗元さんの生々しい体験談を聞くこともできた。東大に通う申泰革君は体験者の話を直接聞く意味と語り継ぐ意義について述べてくれた。
参加者は、昨年より多少少ない二七名。しかし、日本の大学で学ぶ同胞学生を含めて、半数が若者だった。子連れの若いオモニもいた。その場でも「日本人はもっと知るべきだ」と語ってくれた、「無償化連絡会」の森本考子さんの参加も嬉しかった。
「4・24の歌」を誇らしくうたっての散会となった。昨年、歌ったのは、一世と二世だけだったが、今年は日本の大学に通う学生たちも歌声に加わった。今年三月、東京での大学生全国集会で「4・24教育闘争」期の朝鮮学校を舞台にした演劇の時に覚えたという。
■広めたい「称え、語り継ぐ」輪
来年は? 七〇周年を迎える二〇一八年は…。
今は何も考えていない。ただ、これからも「この日」には、個々人がたたずみ、各々が思いを馳せる様々な場を設けることができればと思う。
できれば「4・24」の犠牲者が眠るこの場で、午前中は、体験者の話に耳を傾け、静かな時を送り、夕方には、部活を終えたウリハッキョの生徒たちがうたう「4・24の歌」を聞きたい、夜には青年学生たちがキャンドルを持って、一人ひとりが「思い」を語る姿を見ることができればと考える。また、ウリハッキョに広く南時雨先生の「歌による詩劇 4・24」が普及されればいいと思う。
大切なことは、一人ひとりが「4・24」と真摯に向き合うことであり、「称え、語り継ぐ」、その輪を着実に広めていくことだと思う。

5月下旬に配本する奇数月刊行誌『朝鮮学校のある風景』25号で特集を組みました。
<主な内容>
これからも各々が「4・24」と向き合う場になれば… 金日宇
●その場で語ったこと・語りたかったこと
在日社会の未来を担う若い世代に「称える」心を引き継いでほしい 呉亨鎮
犠牲者の前に立っているという臨場感ある墓前での集い 森本孝子
●発掘資料
1>歌による詩劇 4・24(日文訳) 南時雨
2>少年の死―阪神教育事件の思い出 白佑勝・当時大学生
3>次の世代に残したい話 金代承
東京での1949年教育闘争・朝鮮人学校閉鎖令が下された日 姜敏子
●語り継ぐ 梁基祚・李春桃・髙橋 仙恵・朴徳洙・Yusun Kim・申在均・「日刊イオ」(瑛)
今、ウリハッキョでの「4・24」 東京朝鮮第一初中級学校・神奈川朝鮮中高級学校
●梶井陟先生の回想記と小説『ぼくらの旗』につい 朴基碩
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