【11月2日・土曜日】
「ついに!大移動!」「力のある人はちからを!」という、アボジ会の呼びかけをフェイスブックで見て、荒川区の東京朝鮮幼・初・中級学校へ。
「11月5日から子供たちが新校舎に移動します! それに伴い11月2日から3日間、引っ越しが行われます! できるだけたくさんの力が必要です!」
喜びに満ちて、やたらと「!」が多いチラシには、「募集対象」としてアボジ・卒業生・ウリハッキョを愛する男性と記されていた。それでアボジでも、卒業生でもないが「ウリハッキョを愛する男性」の一人として参加することにした。新校舎を見たかったこともあった。
××
ところが当日、寝坊。こういう時に限って、電車の乗り継ぎがうまくいかない。おまけに乗り過ごして戻るなどして、三河島駅に着いたのが集合時間の30分遅れ。学校でいうならば、1時限目の終わる間際に校門に滑り込むといった体たらくだ。
3階建のモダンな建物だ。出入り口になるのだろう、校庭にはコンクリートが注入されていた。

運動場の出入り口に回り込んで、話し声がした幼稚班の部屋に行き荷物を整理していた先生に声をかけると、「アンニョンハシムカ」ではなく、「コマッスムニダ」だった。「まだ、何もしていないのに…」。「2、3階の荷物を…」というので2階へ。窓から運動場を見ると、ロッカーを台車に載せて運んだり、段ボールを運んだりする人影が。新校舎の外壁の時計は10時47分を指していた。

2階からいくつかの荷物を下ろすと、誰が指示することもなく一列に並んで、荷物をリレー式に受け渡し、新校舎に搬入することになった。「幼稚班」、「3階の美術室」とか、「教育会室」とか、「〇年生の教室」とか、伝言しながらだ。みんな声が弾んでいた。
「教員室に」と言われた荷物が将棋盤だったり、お菓子が入った透明なケースだったりした時は、伝達しながらも笑いが漏れていた。

作業をスタートするとき、新校舎まで荷物を運ぶグループと新校舎でそれを受け取り整理するグーループとに分けられたようだ。新校舎内での作業は、女性陣・オモニたちが多いようだ。文千の女性同盟の委員長は、「シニア、シニア」と言いながらも、オモニたちに混じって笑顔で重い荷にチャレンジしていた。白髪組は地元支部の委員長と私ぐらいだ。時間が経つにつれ、仕事に慣れ手際が良くなる若者とは異なり、どうしても動作が鈍くなる。

11時。15分の休憩時間に何人かのアボジたちと新校舎を見学した。吹き抜け、明るいが第一印象だ。運び込まれた荷物がいくつかのグループに分けて置かれていた。
教室にも入ってみた。大きな教室に机がぎっしり並んでいた。どの学年も30人前後だ。
その後も作業は続いた。黙々とではなく、笑い声と共にである。

昼食後、作業再開だ。「30代は4階へ、40代は3階へ」との指示が飛ぶ。1階の幼稚班と2階の初級部の教室からの運び出しは終わったようだ。30代ではないが、4階に上がってみた。まずは舞踊部の荷物だ。隣の教室は民族器楽部の部室のようで、カヤグムなど、たくさんの民族楽器が置かれていた。上がったついでに、衣装ケースをもって、何度かの「自主休憩」を挟んで、非常階段を下りた。
教育会室への大金庫の搬入は大仕事だった。校舎の前はでこぼこした土だ。何枚かの合板を並べて、台車の上に載せた金庫を一気に新校舎に入れた。重い金庫は床に傷がつかないように慎重に運ばれていた。
新校舎の中での作業は、靴を脱ぎ素足か、靴下のままで行われていた。

校庭に置かれた水槽のカメも引っ越しの順番を「首を長くして」待っているようだった。

そして休憩タイムだ。運び込んだ荷物の整理が追いつかないようだ。
3階建と4階建の旧校舎が見える駐車場で、「昔話」である。
「俺、誰だかわかる?」
一見、この場に似つかわしくない風体の男性が、10センチは身長の高い男性に話しかけていた。
「名前は分かりませんが、いらっしゃいましたよね」
誰々と同級だとか、その弟の…その下の…だとかで、中3当時の小2のチビッ子であることが分かった。
「あんなにちっちゃかったのが…学父母か…」
「隣に日暮里中学があって、あの3階のテラスで楽器を吹いていると、『朝鮮人××って』。黙らせましたけど…」
強面の彼は、そんなことも話していた。
やがて取り壊されるその3階建ては、1966年に共和国から22種97点もの民族楽器が送られてきて、保管場所もなく、教室も足りないというので増築が決まり、1968年に幼稚班の校舎として竣工した。
彼も、1972年かに幼稚班の年長組に入園した当時に、民族楽器が収納されていた倉庫のようなものがあったと語っていた。
運び込んだ荷物を整理することになり新校舎に入って行った。もちろん、素足か靴下である。
幼稚班のスペースをのぞくと、先生たちが忙しそうに荷物の区分けをしていた。
その隣で3人がカード遊びに夢中になっていた。ブルーのジャージを着た女の子は中学生、後の2人は園児には見えない、小学生の児童のようだった。

炊事室からは、オモニたちの話声が聞こえてきた。
「お鍋をどこに置く…」、「シンクがここだから…」。
時折、手を大きく広げて、お鍋や窯の大きさをみたてて、炊事室の中を行ったり来たりしていた。

1階の幼稚班や2階の初級部の教室に荷物を運び終えると、先生たちの荷物を分類して、教員室に運ぶことになった。○○先生の荷物はここで、××先生のは壁際に…。「朴○○先生、荷物多すぎ」、「崔○○先生も…」
分類した荷物を教員室に運んでいると、机の上に荷物が乗りきらない先生が3人ほどいた。教材や参考書など書籍が詰まった段ボールは、抱えて運ぶ他なく思いの外、重かった。それでも、それぞれの荷物に「1階」、「教員室」、「参考図書」、「責任者○○○」と書かれた紙が貼ってあるので、作業はスムーズに進んだ。
「3年、使わないものは思い切って処分しなければ…」、そういう女性の先生の机の周辺にも荷物があふれていた。捨てられない男性の先生もいるが、ものを大切にしすぎる女性の先生も少なくないようだ。

一段落すると、「保護者たちは自分の子どもがいる学年の教室で…」との指示だ。
初級部は教室の後ろの児童用の物入れの上に、荷物が山積みにされていたが、中級部は旧校舎からまだ荷物が運ばれてきていないようだ。
中3の教室には、部活を終えた3人の生徒が「視察」に来ていた。真新しい椅子に座ったり、ベランダから外をのぞいたりしてはしゃいでいた。担任の先生は、黒板を何度も上下にスライドしていた。小柄で困ったことがあったようだ。そして「チョンマル チョッスムニダ」を連発していた。

小3の教室では、女性の先生が荷物の整理に取り掛かっていた。
「1,2年生は副担任がいますが…。みんな活発過ぎて、それでも…」
火曜日からの新しい教室での「第一歩」が待ちきれないという様子だった。
東京第3の2年生担任で、舞踊部担当の金先生が妹だというので、少し長話をしてしまった。
5年生の教室では、男性の先生が一人、机を4列から3列に並べかえていた。4列だと一番前の児童は黒板が見にくいので、と言っていた。
隣の4年担任の女性の先生が「教材はどこに置きます?」と、相談に来た。「新しい教室づくり」を楽しんでいるようだった。

その頃、旧校舎の4階では「お疲れ様」のビール乾杯がはじまっていた。
卒業生でもなく、保護者でもないので学校を後にした。新校舎と旧校舎にL字で囲まれた運動場に、部活に興じる生徒の大きな声が響き渡っていた。小雨がぱらつき始めていた。

××
11月5日、園児、児童、生徒たちはついに新校舎へ。
フェイスブックには、「絶好の入舎日和」、「みんな喜んでいました」「テンション高かったです」、「子供たち興奮気味でした」、「子供達は歓声をあげながら新しい教室にはいったそうです^^(ちなみにうちの次男(年中)は昨日床屋に行き上履きもおニューです。)」、「うちも上履きはおニュー」、「うちも、もちろんおニュー」、「子供たち、靴脱いでまずは靴下で校舎に入ったんだけど…移動した後にはゴムチップが。先生たち、タンジャン[すぐに]ピッチャル[ほうき]で掃いていた」、「はるばる島根から見学に来てくれた先輩もいました」などのコメントが載っていた。IK
*11月下旬に刊行する隔月刊誌『朝鮮学校のある風景』22号に掲載します。