【11月9日・土曜日】東京第5の公開授業と交流会へ
最寄りの八広駅の改札口を出ると、主催団体の「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会事務局の森本さんの姿が。昨年から始まった、「連絡会」による「ウリハッキョ訪問」は、東京第一、第二、西東京第二、茨城初中高、東京第四、東京第三に続き7校目だ。何人かの「常連さん」の顔も見えた。公開授業開始30分前に改札口集合になっているようだ。
学校に直行する人もいるというので、一足先に学校に向かった。
すでに、校舎の玄関先では、「連絡会」の長谷川会長が校長先生と話していた。
下駄箱の前に出された長テーブルに、「連絡会」が準備したスケジュール表、喫煙と撮影など幾つかの確認事項が書かれた案内書と学校が作成した学校案内と授業の時間割などを並べ終わると、いつものように校舎をひと回りした。
校舎の右隣の教員室の前が騒がしい。
男性の先生が「静かに」、「列を崩さないように」と、注意をしている。児童たちは列から抜け出し、ドア越しに校長室をのぞいている。校長室から出て来る児童は一応に神妙な顔つきだ。「痛くない?」、「痛かったでしょ」とか、「ちょつと痛かった」との児童の声が交差していた。
校長が「3時限目、中級部はインフルエンザの予防注射で、授業が中断するかも知れません。なるべく、その時間は初級部の教室へ…」と話していた。初級部の低学年から順次予防注射をしているようだ。

公開授業は3時限目と4時限目だ。1階の低学年の教室では2時限目の授業が始まっていた。その奥の炊事室をのぞくと十数人の女性たちが昼食の準備をはじめていた。それにしても多い。昼食を希望する来校者は40人前後と聞いていたからだ。さらに「ヌッケデヨソ…」と言いながら、女性たちが次々と炊事場に入って行っていた。

3階の講堂に行くと、直前まで中間試験を受けていた中学生が3人掛けの長テーブルと椅子を並べ替えていた。
男子児童は、少し絞りの甘い雑巾で机を円を描くようにして拭いていた。それでも森本さんが何度も「偉い、偉い」と声をかけていた。

注意事項を聞いて、さっそく講堂と並んでいる高学年の教室へ向かった。4年生は算数、5年生は図工、6年生は日本語、1クラス10数人ということもあるが、教室が広く感じられた。1週間前に荒川区の東京第1に新校舎への引っ越しを手伝いに行ったときの教室いっぱいに30前後の机が並べられた光景が頭に焼き付いていたのかもしれない。

低学年の教室に行くために、1階に戻ってくると、予防注射の順番を待つ、中級部の生徒の姿が。マスクをした女子生徒は、分厚い本を片手に廊下を行ったり来たりしていた。「漢字検定に備えている」と言っていた。
高齢の女性が、彼女の後姿を見て、「孫かと思ったが…」そんな独り言をいっていた。初級部3年と中級部に孫が通っているとのことだ。「チョゴリを着ていると、みんな孫に見えて…」。

一番奥の3年生の教室をのぞいた。日本語の時間だ。黒板には「期」「化」「写」の3つの漢字を書いた紙が張り出されていた。
先生・「部首は…」、「それでは『期』がつく漢字は?」
児童・「定期の期です」
先生・「そうですね。あと…」
児童・「きらいのきです」
女性の先生は、困り顔だ。見学者がいるので、少し焦っているのかもしれない。そう答えた、男子児童は我関せずといった様子でノートに「定期」という字を書き写していた。
児童・「期待の期です」
先生・「そうです。先生はいい答えを期待している、の期待です。今日は宿題がないといいな?期待している?」
児童・「期待していません」
思わず見学者の中から笑いが漏れた。

一番後ろの男子児童のノートを後ろから恐る恐る覗き込もうとしている女性がいた。先ほどの高齢の女性だ。廊下に出ると、「来ると嫌がるんです。いつも知らんぷりされて…」、笑顔でそんなことを言っていた。

何年生の教室だったか、教室の後ろの壁に貼られた、「もみじ」、「いちょう」、「松ぼっくり」、「どんぐり」、「さんま」、「まつたけ」の日本語とウリマル訳のポスターを眺める見学者がいた。「さんまはコンチか…どれも季節の言葉ね」、朝鮮語が少しわかるようだ。

中級部3年の教室に行くと、男子児童が詩の朗読を終え、着席するところだった。いくつか空席はあったが、机は30、教室は満杯状態だ。
先生は、「ノンナジ」が大切だと。もっと抑揚をつけるように、注文をつけていた。
「次は…」。何人かの生徒から「〇〇カラ(行け)」との声が飛ぶ。「ビデオも回っているぞ」の声も。
なぜか、男子生徒だけが「指名」されていた。指名された生徒は、席から立ちあがった後、決まってひと呼吸、ふた呼吸して、詩を諳んじていた。完全に「詩の世界」にひたっていた。詩の朗読会のよな、そんな雰囲気だった。
そんな生徒たちを先生は、言葉巧みにリードしていた。中には、教科書やノートを閉じたままの生徒もいたが、先生の話は聞いているようだった。

教室の様子を「連絡会」の西村さんがビデオにとらえていた。
授業が終わると、「今日はカレーか」、「味噌ラーメンじゃないのか…」。そんな声が聞こえた。ある参加者は生徒のノートを見て、「達筆すぎて読めない…」と。達筆ではなく、ただ字が汚いだけだ。

先ほどの初級部3年生の教室に戻ると、もぬけの殻だ。「期」の字を巡って児童と問答を繰り広げていた先生に話を聞いた。
「うれしいのは、卒業生が学校に訪ねてくることです。卒業生の子どもたちも教えている、とてもうれしいことです。私もそうです。先生はいつになっても先生です。母校に一人ぐらい知っている先生がいるべきだと思って…担任は持っていませんが…」
毎日の児童たちのバトルを楽しんでいるようだった。
炊事場の前では、4人の女性たちが慣れた手つきで、学年別に透明なケースに入った食器を棚から取り出していた。学校給食の日でもあったのだ。道理で人が多いはずだ。 来校者はピビンパ、児童・生徒はカレーだ。
「カレーとか、ピビンパ、夏は冷たい麺が多いですね」
味噌ラーメンはないとのことだ。

4時限目、中級部3年の教室では、長谷川会長が教壇に立っていた。朝鮮学校との「出会い」について話しているようだ。教室に入れなかった、何人かの参加者が廊下にはみ出して聞いていた。

隣の2年生の教室では、先ほど生徒に詩の朗読を教えていた女性の先生が自ら教科書を朗読していた。
黒板には「番犬脱出記」と書かれていた。地主や妾など、登場人物からすると、封建時代の物語のようだ。30分は読み続けていた。登場人物によって、声色を変えるので飽きない。児童たちも目で教科書を追い続けていた。
運動場からは、児童の元気な声が聞こえていた。低学年の児童は「部活動」の時間だ。スカイツリーを背景に、サッカーとバスケットボールに興じる児童たちの姿が見えた。
授業が終わって、生徒に「眠くならなかった」と聞くと、「そんなこと…」、「教科書に難しい言葉やよく使わない言葉には注釈が付いているので、話の内容も分かる」と、笑って答えていた。教室を出ていくと、それでも見られて、緊張していたのか、大きな伸びをしていた。

昼食の時間だ。中級部3年生の教室では、運んできたご飯とカレーを思い思いに器に入れて、食べ始めていた。
2年生の教室の黒板には、黄色いリボンのイラストで囲まれた「인짱 생일 축하!!(インチャンお誕生日おめでとう)」文字がピンク色で大きく書かれていた。「インチャン」は愛称のようだ。先生が教室に入ってくると一斉に拍手だ。女子生徒が駆け寄って、「チュカハムニダ」を連発していた。男子生徒はなぜか一人だけだった。
先生は丸い大きなチョコレートケーキを嬉しそうに受け取っていた。この教室で3時限目、英語を教えていた先生だ。黒板には英語でも「ILOVE♡HAPPY BIRTHDAY!!」とも書かれていた。

私・「いいですね。ところで何歳に?」
先生・「…2×歳になりました。あっという間に30手前です」
それを聞いていた生徒は、「もう2×歳?、そんな風に見えない」。笑っている。中間試験は終えたばかりだ。採点の手加減を願ってのリップサービスかもしれない。
私・「ケーキは?」
先生・「サッカーの試合に行った男子が戻ってきたら、みんなで一緒に…」
中級部の教室のいやに目立った空席は、対外試合に行ったサッカー部の席だったようだ。
西中さんがそんな様子を撮りつづけるので、嬉しさもあってか、教壇の上に載せたケーキを見たり、大きなカレー鍋をみたり、落ち着かない素振りだった。

初級部低学年の教室では、オモニにたちが児童に話しかけながらカレーやご飯をよそっていた。
食べ終わった大きな鍋と食器を児童たちが炊事場に運んでいた。「重くない?」と声をかけたが、うなずくだけで、返事は返ってこなかった。

そして、交流会だ。校長が学校の歩みと現状を話し、絵画による南北と日本の子どもたちの交流に携わっている先生が、在日の児童の役割は決して小さくないと述べ、「連絡会」の田中先生が「無償化問題の現状と展望」について語った。
オモニ会の会長の「…苦しい中で、日本の高校に通わなくてはならなくなった子もいる」との言葉に胸が痛んだ。

多くの参加者からウリハッキョにエールが送られた。
森本さんは「連絡会」の事務局メールで、次のように書いている。
「初めて参加したという若い二人からの発言が素晴らしかったので、簡単に紹介します。
・墨田区の小学校教員-自分も海外の日本人学校で学んだ経験から、朝鮮学校に親近感があり、しっかり目的意識をもって、学習していることがうらやましかった。日本の学校では子どもたちが無気力だったり、何故勉強するのか考えられず、問題も多い。これからも学芸会など来たい。
・メディア関係の若者-関東大震災時の朝鮮人虐殺について深夜番組で放映しようと企画したが、40代の上司は事件そのものを知らなかった。自分から共和国に行ってみたいと朝鮮新報のツアー[注・世界文化遺産に指定された開城の観光]に参加した。日本で報道される北朝鮮の姿では、そこにいるのは政治家・軍人・洗脳された国民という図式になるが、普通の庶民の生活を知りたかった。攻撃されない抑止力としてナイフを持つというが、仲良くなった相手は刺させないはずだ、相手を知り、仲良くなることが一番の抑止力だと思う。」
また、学祖母としてただ一人参加した高齢の女性は、「50年前に嫁に来て、孫まで15人がこの学校に通った。今も2人が通っている。学校に来ると、みんなが孫のように見える。元気の素のようなものだ。なくしてはならない。奪わないでください」と、切々と語った。
交流会の間中、どこからともなく伽耶琴の心地よい音色が聞こえた。隣の教室で女子生徒が、言葉通り一心不乱に奏でていた。

その隣の教室。ここでは舞踊部が何かを書いていた。何日か前にあった芸術大会の反省文だと言っていた。

「今の世の中、朝鮮学校に行くことさえためらう風潮がある。踏み出せない人があまりにも多い。一歩踏み出してほしい」、「道であって○○さんと呼び合える、いつでも立ち話をすることができる、そんな関係が築ければ…」
参加者のそんな言葉が心に残った。
× ×
その後、一部の参加者と一緒に90年前の関東大震災で多数の朝鮮人が虐殺された荒川土手に行き、「ほうせんかの会」の西崎さんの説明を聞き、追悼碑を訪れた。

追悼碑には、「1923年 関東大震災の時、日本の軍隊・警察・流言飛語を信じた民衆によって、多くの韓国・朝鮮人が虐殺された。(略)この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願ってこの碑を建立する」と刻まれていた。
