【10月17日・木曜日】実習生&バザーの準備・東京第9編
6時40分過ぎに、東京第9に着く。「阿佐ヶ谷朝鮮学校サランの会」の月例会に参加するためだ。いつもと違って、3階の教室にも明りがともっていた。

校長室から、「サランの会」の長谷川会長の声がもれてきた。
「曲がっていない?」、「少し大きいのでは…」
長身の金さんと向かい合って、大きなパネルに写真と説明書きを貼り合わせていた。「次はこれです」。梁さんの声もした。
10月下旬のバザーで展示する、「東京第9にゆかりのある在日同胞」のパネルづくりだ。今年の春から、準備が進められいよいよお披露目の段階に至ったようだ。

隣の教員室では、いつもとかわらず、先生が授業の準備なのだろう、パソコンに向かったり、本を開いたりしていた。
鄭校長は、校長室と教員室を行ったり来たりしていたが、趙教務主任の姿が見えない。
1階と2階の間の踊り場に貼ってある「新刊図書」の案内を見ていると、教務主任が階段を下りてきた。
私・「3階の教室に明りがついているのですが?」
教務主任・「朝大の実習生と…」
早速、明りがついた教室に行くと、6年担任の金先生が、実習生と机を挟んで向かい合って話をしていた。
金先生・「いつもごくろうさまです」
金先生は何年か前、東京第3に教育実習に来ている。
私・「ビシバシ、鍛えて…」
先生・「ファン・ヘミ先生のことを思い出します」

早々に退散して校長室に戻ってくると、作業は続いていた。
鄭校長に、実習生のことを尋ねた。
毎回、受け入れは1人で、自宅から通えるのが望ましいと言っていた。朝大から通うとなると、朝早く、夜も遅いので、朝食と夕食が心配。昼食は、何日か前までは、「注文弁当」だったが、この頃は「担任」をしている6年生の保護者が持ち回りで作っているとも。授業や児童指導だけではなく、日常生活にまで気を回さなくてはならないことが少なくないようだ。

バザーの品物が山積みされた会議室で、少し縮こまっての月例会が始まった。
5日に行われた5回目の給食と2回目の特別授業についての話は尽きなかった。
「ご飯が足りなくなってしまって…」、「シチュー類のときは予想がつかない…」、「どうしても牛肉にしたくて、隣の商店街まで行ってようやく…」
年3回の一日給食は、費用から準備まで、すべてを「サランの会」でまかなうので、やりくりが大変だ。
「理解してくれたんだ…」、「来年も楽しみにしていますと書かれても…」、「時間があったら今度は遊びましょうだって…」、「発表するときドキドキしました? 私の方がもっとドキドキでした」
学年別にまとめられた、特別授業への児童の感想文に目を通しながらの感想だ。
理科の実験をした先生も、ラオスの話をした先生も、紙コップで鳥のさえずり聞いたり、軍手で顔をさわったりした先生も、宮沢賢治の「よたかの星」を読み聞かせた先生も、みんなの顔がほころんでいた。
そんな様子を見ながら、ひそかに「来年は」と、思った参加者もいたようだ。
学校の備品の確保と、「ハングル教室」の案内、そして高校「無償化」と自治体の補助金の問題の報告もあった。
そして月末のバザーへの協力について。バサー品の提供と販売の補助、託児所での人員確保、3年目だということもあってか、話はスムーズに進んだ。

バザーでの「第9のゆかりの人々」の展示会については、たくさんの時間が割かれた。梁さんからはこれまで10人から協力を得て、14枚のパネルを展示することになったということ、このなかには、東京第9の1期生からも貴重な証言も含まれているということ、これで終わるのではなく、これからも引き続き聞き取りを行うことなどが報告された。

展示方法についても意見が交わされた。多目的ホールにするか、校舎の正面のフロアーにするか、意見が割れ、実際にパネルを展示してみることに。展示されたパネルを見ながらも、「名前はもう少し大きく」とか、「長い説明文の前には見出しを」とか、初の展示会の成功に向けて積極的な意見が交わされた。
そんな様子を「朝鮮新報」の長身の李記者が背伸びをしてカメラに収めていた。
「サランの会」の月例会が30回目だというので、取材に来ていたのだ。記事が楽しみだ。
9時を過ぎていた。少し前まで灯っていた教員室の明りは消えていた。実習生を担当している金先生は、実習生にたくさんの「宿題」を出したのだろうか。さきほど、学生時代の東京第3での実習を振り返りながら、「こんなことができないという不甲斐なさを知って奮起した」と言っていたことが思い浮かんだ。
