茨城・創立60周年記念行事へ・下 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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式典がはじまるというので、急ぎ会場に戻った。 
受付はひと段落したようだ。大きなおなかを抱えた女性が、杖をついた高齢の女性と話を交わしていた。受付のチマチョゴリを着た女性が少しかしこまって挨拶している。待ち合わせをしたのか、プログラムを持った男性が校門の方を何度も見ていた。男性の受付担当者は、多少遠慮気味に、会場に入るように促していた。みんなの表情が明るい、笑みがこぼれていた。
 会場に入ったものの、余りの人の多さに席を探せない。「連絡会は右手の前方です」と整理員が示す方向を見ると、長谷川代表が手を振っていた。事務局の森本さん、大石先生の姿も見えた。
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最前列のテーブルには「無償化連絡会」の名札と並んで、児童・生徒による手書きの歓迎カードが貼られていた。私の席には初級部3年生のカントンムの「よくいらっしゃいました」だ。
 一つ後ろのテーブルには、「よくいらっしゃいました。輝く一番星になります」と書いたメッセージが貼られていた。高校1年の李トンムだ。
 ポスターに書かれていた「『私』の学校創立60周年」の意味が少し分かるような気がした。
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舞台の左手には、60周年に際しての「補修修理・寄贈品一覧」が掲示されていた。 
寄宿舎のボイラー、校舎と寄宿舎の洋式便器、食堂のエアコン、体育館の照明…11月には運動場の整備も行われるようだ。プロジェクターが4台展示されたていた。
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 記念行事は、式典と児童・生徒の記念公演、そして小宴会の三部構成だった。
式典は、40分。意外と短かった。必ず語らなくてはならないこと、伝えるべきことだけが凝縮されていた。崔校長は、60年の歩みをたどりながら、「学校があったらこそ」の話をし、記念行事実行委員会の李委員長もまた、「なくてはならない大切な拠り所」としての学校について語った。原稿を単調に読み上げることはなかった。総連中央の南副議長のあいさつもそうだった。時折、原稿を確認しながらも、視線は常に会場に向けられていた。
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  記念公演のタイトルは「私たちの拠り所 輝け一番星」。
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  「ああ 私たちの未来が広がる所/ここ茨城初中高は/私たちの拠り所/輝く一番星です」
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   後ろ隣りに座った高齢の女性は、オープニング曲と共に踊りはじめ、つづく「祖国の愛は暖かく」の歌は手拍子を打ちながら口ずさんでいた。
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  たくさんの拍手と笑いで舞台と観客が一つになったのは、低学年児童による「ウリハッキョ大好き」の演劇だった。1年生が草創期のハッキョにタイムスリップするという話だ。しぐさがかわいい。ピンマイクが児童の台詞を拾っているのだが、観衆のみんながその発音の素晴らしさに魅了されていた。
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舞踊「微笑む鳳仙花」は、高校生離れした優雅な身のこなしだ。重唱「チョゴリ」の歌声は、何度聞いても胸を締め付けられる。
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 全国から寄せられた「折り鶴」をもって、高校授業料「無償化」から朝鮮学校を排除する日本政府の理不尽を訴えに国連に行ったオモニたちの姿をモチーフにした舞踊も披露された。舞台の正面に置かれた黒板に貼られた「高校無償化排除!!」の文字を背景に踊る児童らを西中さんのカメラが追い続けていた。
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   エンディングに近づき、舞台右手のスクリーンには、次のような言葉が映し出された。
 
私との道 私の根(ルーツ)/学ぶことができる ウリハッキョ/60年の歴史を 愛で受け継ぎ/鳴り響け ウリ(私たち)の歌/はばたけ 私たちの希望/ウリハッキョ 輝かせる/セッピョル(一番星)に なろう!
 
私、愛、ウリ、セッピョルの4つの言葉は赤い文字で記されていた。60周年を迎えることができたキーワードであり、70周年、100周年に向けてのアピールなのであろう。
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 公演は、「ウリチャラン イマンジョマン アニラオ(われらの誇りは限りなく)」で、幕を閉じた。児童・生徒に教職員、地元の同胞による大合唱だった。 
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 この日歌われた「祖国の愛は暖かく」と「われらの誇りは限りなく」の2曲は、1970年代によくうたわれていた。前者は、祖国から送られてきた教育援助費と奨学金に感謝する歌であり、後者は、朝鮮総連の全盛期、在日同胞社会を称えた歌だ。 
 「懐メロ」と言うべき、40年前の歌をうたい継ごうとすることに、観衆もまったく違和感がないようだった。 
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公演で繰り返し発せられた言葉は「ウリハッキョ」であり、「ウリナラ(私たちの国)」、「ネチョグッ(私の祖国)」であった。
 幕が閉じる舞台を見ながら、みなが「これからも」と、その気持ちを強くしたのではないだろうかと思った 
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  小宴会がはじまるまで、再び「資料室」を見に行った。公演での民族打楽器の合奏の力強いチャンダンが頭の中をリフレーンしていた。
 「無償化」の森本さんが展示物の声明文を丁寧に読んでいた。大石先生は貴重な資料を見つけたのか、シャッターを切っていた。勉強熱心、研究熱心、好奇心旺盛な面々だ。
「ブルマ? ぎりぎりセーフだった」、「私のときは…」 そんな子供連れの卒業生の話し声が聞こえてきた。運動会の写真を見ているのだろう。「この先生…あだ名しか思い出せない」。そんな声も。
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1階に降りてくると、舞踊部が記念写真におさまっていた。見守る学父母も満足げだった。 
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  その隣では、幼児が同じ仕草を繰り返していた。見守りながら同じ動作をするオモニたちのふりの方が大きいのは、気のせいではないようだ。
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  小宴会では、平壌の姉妹校からのビデオメッセージが映し出された。記念式典でも祝電の祝旗が紹介された、「平壌リュルコク高級中学校」だ。
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歴代の校長と教育会の会長が紹介され、先ほどの「ヘバラギ」サークルの幼児が踊り、地域の合唱サークルが気持ちよさそうにうたっていた。 
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 記念公演を含めて唯一、2曲うたったのは青商会だ。アンコールの「拍手部隊」はどう見ても、身内? 「連れ合いグループ」のようだった。「拍手部隊」は、うたいはじめると、「撮影隊」になっていた。 民族教育、ウリハッキョを担っていく世代が育っているようだ。 
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 朴監督がカメラを舞台に向けたり、観客をとらえたり、いつものように身軽に動き回っていた。この日も「100パーセント、全力投球」だと言っていた。 
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 夕方からは、会場をホテルに移しての「連合同窓会」だ。その前に期別、クラス別の同級生の集まりもあるようだ。運動場にはたくさんの乗用車が取り残されていた。2次回、3次回に備えてのようだ。 
 子どもを寄宿舎に送る父母たちは、子どもとの「再会」を楽しんだようだった。栃木のハッキョのユン先生も、一緒に来た児童は先に返して残ったと話していた。先生の父母たちも多数来ていた。東京第5の校長も、荒川支部の呂委員長夫婦もその口だ。
 児童が乗ったマイクロバスが校門の前で止まっていた。
 「〇〇トンム」とか、「〇〇オンニ」、「オッパ」との声が行きかっていた。茨城の生徒たちが群馬から来た学友を見送っていた。東北、栃木、群馬など、学区の児童・生徒たちも招かれていたのだ。2009年から毎年、2泊3日で行われてきた茨城の学区の「セッピョル学園」の絆は強いようだ。
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 長谷川代表は連合同窓会へ。森本さんと大石先生と一緒に駅までバスで行くことになった。バス停は学校から5~6分の距離だったが、バスは一時間に数本、日曜だったのでさらに少ないようだ。一本逃してしまって、40分余り待った。会議で会っているようでも、話を交わす機会は多くはない。
 大阪、京都、名古屋、九州での裁判、名古屋での学校の敷地の競売、バザーや公開授業への参加など、話題は尽きなかった。
 中大阪のウリハッキョの運動会で掲げられたスローガン「強風にもゆるぎない根の深い木になり私たちが守っていこう!私たちの言葉と文字を」については、たくさんの意見が交換された。スローガンは児童・生徒たちからの公募で決められたという。「世界に羽ばたく」とか、「花として咲こう」とかではない。「根の深い木」という韓ドラが流行っているとはいえ、その言葉に、ウリハッキョを取りまく日本の社会の厳しさが反映されているのではないだろうかと。
 同じバスに式典帰りの3人の女性と乗り合わせた。2人は母娘のようだった。「このバスの匂い同じ」、「油臭くて、苦手だった」、「床を見て、あの時も木だったでしょう」。途中、文化センター前に差し掛かると、「懐かしい」、「この前の坂を…」。そして「来てよかった」と、何度も繰り返していた。
 創立60周年を祝った茨城のウリハッキョの、ひと時だった。