【9月15日・日曜日】
「ウリ民族フォーラム2013in埼玉」-第18回だと言うのに、会場に行くのは初めてだ。しかし今回は参加ではなく「本」の販売だ。
主催者の埼玉青商会と朝鮮新報社の厚意で、書籍コーナーの一角で販売できることになったのだ。ウリハッキョや、同胞関連の書籍を自主出版するようになって10年、ようやく「一粒出版」、「ウリハッキョを記録する会」の存在が認められたようで嬉しかった。
9時前には会場入りするはずだったが、折からの台風による豪雨で足止め、着いたのは10時を少し回っていた。
前日までは、ウリハッキョ関連書籍を全て持ち込むつもりだったが、隔月刊の『朝鮮学校のある風景』の最新号だけにした。想定外の大雨に、重いキャリーバックをひっぱる自信がそがれた。
会場周辺には何台もの警察車両が横づけにされていた。警官の数も半端ではない。会場付近は物々しい雰囲気に包まれていた。

開場2時間前、グリーンのTシャツを着た大勢の若者が入り口を固めていた。妨害に備えているとのことだ。この豪雨に会場前での抗議行動を企てていた輩が断念したとの話が行き交っていたが…。
リハーサルをしているのか、ホール内もざわついていた。
ロビーには「ウリ民族フォーラムの歩み」や、「史上最大級ウリ民族フォーラム埼玉」の大きな展示物が並べられていた。「史上最大級」の文字の上の「お・も・て・な・し」の字には、首をかしげたが、やる気と自信は十分に伝わってきた。

プログラムが入った包みがうず高く積まれ、その横で会場の整理に当たる若者が拳を振り上げ、フォーラムの成功を誓っていた。開場が迫っている。いくつかの注意事項も伝達されているようだった。聞こえてきたのは「笑顔」、「笑顔で」という言葉だ。

開場30分前には、ロビーが人で埋め尽くされていた。公演に参加する千人余りの地元の同胞の大多数は、すでに会場入りしているので、他地方からの参加者のようだ。

会場の周りでは、警察官による2人一組の「巡回」が続いていた。ロビーでは、「朝鮮新報」の記者が円陣を組むようにして、取材の分担をしていた。記者総動員の総力取材のようだ。

入場者の列は延々と続いていた。会場整理員の「チャルオショツスミダ(ようこそいらっしゃいました)」との声と、新報社の書籍販売の責任者の「チェク サセヨ」の声が交差していた。
ソウルで刊行された料理の本や、児童向けの絵本を手に取る女性が多かった。「共和国の本は?」、「〇〇という小説はありますか?」「制裁でここ数年、平壌からの本は入ってきていないんです」。そんなやり取りも行われていた。
一段落すると、プログラムを配布する場所を受付付近に移していた。開場直後は、混乱を避けるため、プログラムの配布より、会場への誘導を優先させていたが、ひと段落したようだ。すると、何人もの人がそのプログラムを取りに来ていた。5冊、10冊と、まとめてだ。中には、参加できなかった会員に頼まれたという人もいた。

隣に『朝鮮学校のある風景』の最新号を並べて、何枚かチラシを貼ってみはみたものの、人の流れはロビーから会場へ。販売は目立たなかったようだ。後日、フェイスブックなどでも、「全然気づかなかったです。せっかく近くに居たのに…」とのコメントがアップされていた。

売り場を離れて、開演直前の会場をのぞくと、席はほぼ埋まっていた。子連れや夫婦、若者の姿が目立った。青商会のフォーラムだから当たり前なのだろうが、これほど多くの若者が集まったことは近年、なかったであろう。

1部のシンポジウムが始まったので、2階から会場へ。満席で通路にも人があふれていた。階段にしゃがみ込みようやく写真を撮ることができた。
朝鮮新報社の盧記者が紹介されていた。はじまる直前に、書籍販売コーナーにカメラを預けに来ていたのは、このためだったのだ。この日はカメラマンではなく、パネラーとしての参加だったのだ。

ロビーに戻ると、埼玉ハッキョのハクセンたちがモニターに見入っていた。各地の青商会の代表を歓迎するシーンが次々と映し出されていた。生徒たちは笑みを浮かべながら「あれ○○のオンニ」、「○○のトンセン」などと話していた。3部の公演に出演するであろう、お揃いのグリーンのTシャツを着ていた。

1部のフォーラムを見ることもできず、先約があったので2部のスタートと共に、撤収せざるを得なかった。フェイスブックなどでの「報告」を楽しみにしながら会場を後にした。周辺の警察車両と警官はそのままだった。
受付付近の入口に設けられた書籍販売コーナーから見た「フォーラム」の一端だ。
××
数日後、フォーラムの様子を伝えるカラー版の「朝鮮新報」が届いた。ウリマル版の1面と日文の1面に「史上最多3200人が参加」との全段抜きのタイトルが踊っていた。4、5面は見開きの特集だ。
4面のトップの記事は、記者としてというより、実行委員の一人として携わった鄭記者のフォーラムに寄せた思いがにじみ出ていた。それは結びの「不可能を可能にしたわけではない。可能性に背を向けてきたことをやめただけだ」というフレーズに凝縮されているようだった。
5面の記事は、フォーラムの金オクセ委員長や梁英豪副委員長らのコメントを軸に、「ぬるま湯の暮らしから抜け出す」という意識を広めるためにフォーラムの開催を決意し、準備期間、「『逃げ道』を探すのではなく、こちらからまず動いていくべきだ」という思いを貫き、フォーラムを通じて、「時代や環境が変わっても、『やってみてできること』、『言ってみてできること』があると感じた。『同胞たちは家のインターホンが鳴ることをいつも待っている』」ことを「直接認識し、同世代で共用できた」と、フォーラムの全容がリアルにつづられていた。
「新報」を何度も読み返した。イベントには参加できなかったものの、早朝からの豪雨にもめげず会場に押しかけた人々の姿とスタッフの一生懸命な姿勢から感じたなみなみならぬ「熱気」を共感したいと感じていたからだ。
来年は長野だ。是非とも参加したいと思う。フォーラムの参加者に歓迎される本づくりに力を入れようと思う。