【2月2×日・水曜日】デイサービスの手続きに
退院した途端、大問題に直面。食事の支度を含めて、とても以前のように一人で生活できるような状態ではないのに、2日連続のいつもの13時間、ノンストップバイトが迫っているのだ。「同居人」も、頼りのT姉さんも、その日は以前から決まっていた別件が。バイトのキャンセルはできず、かといって、何かあっても仕事場を抜けだすことができない。ケアーマネージャーのNさんに相談したところ、紹介してくれたのが、デイサービス+夜間ケアサポートがあるSだ。
早速、Sへ。住宅地の中の「民家改装型小規模デイサービス」だ。前の寺は、小学校の時、ソンジョンデで来た東京朝高のヌナに連れられて、境内でセミを捕ったり、キャンデーをご馳走になったりした、懐かしい所だ。

4人の高齢の女性が机を囲んで座っていた。その隣で施設利用の案内を聞き、こちらの事情を話した。入院の経緯、健康状態、趣味とか…。知りたがったのは家族関係のようだ。
兄と妹は平壌で暮らしていて、身近にいるのは私たち夫婦と、叔母(T姉さん)だけだということ。昨年5月、平壌に行ったときは、ホテルから娘や孫、ひ孫が暮らすアパートまで川べりを15~20分位歩いて行zた。娘(私の妹)や孫にも入院したことを知らせると、平壌からお見舞いの手紙と折り鶴を送られて来た事などをだ。あえて、「帰国した」とか、言わなかった。
「お見舞いには?」と尋ねるので、「帰ってこられない」、「戻ってこられない」とか言わなかった。日本がすでに「帰って」、「戻って」くる地ではないからだ。「日本の政府が入れてくれない」と応えた。
幾つもの書類に住所と名前を書き、ハンコを押し、2泊3日、お世話になることにした。職員は「馴染んでくださればいいのですが」と、気を使ってくれていた。従来なら、デイサービスで慣れて、お泊りさせるべきなのであろう。オモニが「馴染んで」くれるか、心配だ。
退院して1日、前夜はぐっすり眠れたという。トイレにも一人で行ったようだ。病院では深夜目を覚ますと、なかなか眠れないと言っていたのにだ。
つづく