福岡アボジ会同行記-1 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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福岡アボジ会「関東ウリハッキョ視察」同行記・初日-上 
 
 【1月30日・水曜日】初日・西東京第2と東京第2へ。
町田市の西東京第2は、昨年の新校舎の竣工式に引き続き、2度目の訪問だ。
最寄りのJR成瀬駅で下車し、駅構内の案内板で、線路際の学校の場所を確認しようとするが見つからない。近隣の小川高や南第4小などは、所在地と共にきちんと学校名が明示記されている。西東京第2の場合は、長方形の校舎のイラストの上に、「高ケ坂1165」と住所が書かれ、学校のマークは記されているものの学校名はなかった。敷地にプールが描かれていることからして、昨年の新校舎落成前の地図に違いない。
「ウリハッキョは地元の案内地図にも載らないのか…」
めいった気持ちを抑え、急ぎ学校に向かった。
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校舎に入ると、教員室の前の廊下を李校長が掃除をしていた。右手の幼稚班はひっそりして物音一つしない。2階の教室もだ。学校特有のざわめきがない。学校の脇を電車が通るので、窓が防音になっていると聞いている。それにしても静かだ。天然芝の工事が進んでいる運動場にも人影はなかった。
「一回りさせていただきます」と、2階の教室を一つずつのぞいたが、児童の姿は見当たらなかった。
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校舎の2階の廊下伝いに体育館に向かう。舞台裏に通じる細い通路から体育館を見下ろすと、眩しく光る舞台の上で男女児童がうたっていた。
…新校舎/…/愛の中に花開く私たちの希望/…/学んで、学んで育んで行く/…
そんな歌声が聞こえた。合唱の途中から園児が舞台に駆け上がり、体育館の後方で旗を振っていた児童たちも正面舞台に向かって駆け寄っていた。学芸会のリハーサルだ。
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しばらく見ていると、通路に登って来た女性教師が体育館の左右に設置されたライトを操作しはじめた。
私・「照明係ですか?」
先生・「オープニングを任されました」
5年の担任だという、先生は舞台に照明を向けると、児童たちの姿を目で追っていた。
…未来の希望/…・心と心、力と力合わせ/新校舎…
私・「なんて言う曲ですか?」
先生・「『하늘에 닿을 만큼』です。6年生の児童が言葉を紡ぎました」
インフルエンザで4年のクラスは一時閉鎖され、何人かは仕上げの段階だというのに舞台に立てずに、練習が思い通りに進んでいないと、話していた。学芸会は2月3日に迫っている。
園児は19人と聞いていたが、舞台に駆け上がっていたのは16人だった。ほとんどの先生がマスクをしていた。
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視察団一行が到着した。
「学芸会の練習中です。みなさんを全員で迎える予定でしたが、早く着かれたので…」
李校長は「何よりも『愛族愛国学校』に輝いたことをお祝いします」と言って、趙校長にプレゼントを渡した。
福岡朝鮮初級学校は、今年度教育研究集会(1・26)で、最高賞の「愛族愛国学校」に輝いたのだ。
趙校長だけではなく、アボジ会の安会長も他の2人のアボジたちも、思わぬプレゼントに、嬉しさを隠せずにいた。
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まずは、校内をくまなく「視察」した。ウリマルでいう「샅샅히」である。
幼稚班の施設については、床暖房から、砂場のネコよけネットの設置、冷暖房の熱源や、遊具の安全性やシャワー、トイレの大きさに至るまで細かな質問が飛んでいた。
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初級部の校舎では、授業を参観し、理科室や、図工室、音楽室と舞踊室の設備の使い勝手を確認、春にはウグイスの鳴き声も聞けるという「展望台」や、中級部の復活も視野に入れた広めの廊下、「天にもとどく思いを体験できると」というブランコも興味深かく見学した。また、通学バスの劣化を防ぐ屋根付きの駐車場、地元同胞たちための多目的ホールを兼ねたバイアフリーの食堂、屋外の焼肉スペースにも関心を示していた。
一行は、李校長と教務主任、幼稚班担当者の先生の説明を聞きながら、メモをとり忙しくシャッターを切っていた。教室や図書コーナーやトイレの小さな案内板にもカメラを向けていた。
「みんなお土産を待ち焦がれていますから…」。一つでも多くのことを吸収しようとする意欲が満ち溢れていた。
すでに報告会も計画されているようだ。
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日向に出ての保育、チョコマカする2歳児の姿に、心和ますシーンもあった。
ふと、「그런 어린이를 위하여서だな…」。そんな言葉ももらしていた。
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「懇談会」にも熱が入っていた。
「学びに来ました。ウリハッキョは老朽化が激しく、新たな教育環境の整備が提起されています。問題を解決するためには教職員、学父母たちがウリハッキョとは何か、守って行くためにはという、原点に立ちもどって…」
趙校長が口火を切ると、アボジ会のメンバーからは、次々と質問が発せられた。
○新校舎建設のきっかけと運営についての問いには―
李校長は、新校舎建設に対して予算の設定から竣工までのいきさつを具体的な数値を挙げて説明し、自立すること、自立できる体制を作り出すことを強調していた。
運動場を人工芝にするのも、学校運営の財源確保の一環で、地元のクラブチームなどへの貸し出しも念頭に置いているようだ。
時には、互いに「そこまで聞く」、「そこまで話す」といったシーンも度々あった。それは責任をもって難題の解消に挑もうとしているからできる質問であり、答えには幾多の難関を撥ね退け、努力に努力を重ねてきたという自負がにじんでいた。互いの話に真摯に耳を傾け、メモを取る姿に、この場に同席している感動すら覚えた。イメージ 10
 
○園児・児童数を継続的にプラスにする秘策についての質問には―
日常的に、学校、支部、連合同窓会が一丸となって対象児童の掘り起こしを行い、保護者のニーズを最大限受け入れる姿勢を常に堅持することが強調されていた。
「一枚の入学願書を受け取るためにできることは何でもした」、その具体例として挙げられたのは、給食、学童、通学バスの運行。それに加えて「教育が充実している」、「学校は頑張っている」ことを広く知らせるための「学校新聞」の発行など広報活動だ。
学父母の世代と日常的に接触し、意見を交わす場をどのようにつくりだすか? ウリハッキョに来て一回りする場、民族教育の良さが分かるはず。その一歩を踏み出さすきっかけを作ることが、難しいけど大切だと強調していた。
 
○アボジ会の活動については-
運動会やバザーなどの行事の準備、草むしりや大掃除、それに、低学年を対象にした「一日合宿」など、そしてときどき「飲み会」。「朝鮮学校は初めて」という日本人保護者の戸惑いをどのように解消するかについても意見が交わされた。
 
○中級部の「復活」については-
李校長は、2か月後の新年度に中級部を復活させようという話もあったと述べた。初級部の卒業生のなかで地元中級部への進学希望も多く、十分いける数だと思ったが、つづく学年がその半数なので、準備不足もあり、やむなくあきらめたと率直に語っていた。幼稚班から初級部、初級部から中級部進学時の日本学校への「転出」についても意見交換がなされた。
2004年に中級部が休校になった福岡の学校も中級部の「復校」を視野に入れているようで、つっこんだ意見が交わされた。福岡でも、中学も地元でという声があがっているようだ。それに幼・初・中の一貫教育の実施に、園児・児童・生徒の減少に歯止めをかけられるのではないかと考えているようだ。イメージ 9
 
廊下がにわかに騒がしくなった。給食の時間だ。 
西東京第2では、月水金の週3回、全校生を対象にした給食を行っている。その日は「給食の日」だ。
福岡の学校でも給食は「懸案」の一つとしてとらえているようだ。懇談会でも、給食費の設定、食堂で働く人員の確保と報酬、アレルギーを持つ児童への対策など質問は細部に渡った。
「百聞は一見にしかず」。李校長の案内で、視察団一行は「一日体験給食」に臨んだ。
テーブルに着こうとすると、女子児童に「ソヌルシッコ…(手を洗ってからです)」と注意されてしまった。
メニューは、旧正月を控えてのトック(朝鮮風雑煮)と、鶏のモモ肉の煮つけだった。
李校長は、給食にしてよかったこととして、園児、児童たちが朝鮮の食に触れる機会が増えたことを挙げ、日頃から五感を通じて民族を感じられる空間を作り出す大切さについて語っていた。
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給食は3才児からで、園児・児童たちは、担任の先生と一緒に食べていた。話し声に笑い声…学校特有のザワザワ感が心地よかった。
おかわりする児童も少なくなかった。若い先生たちもだ。×年生の児童は「一番たくさん食べるのは先生、いつも嬉しそうに食べ続けている」と言っていた。「家ではキムチを食べないが、学校ではみんなと一緒だと食べる」と言う児童も少なくなかった。
鶏のモモ肉の煮つけを指して、「これはウリマルでは?」と訊ねてみた。鶏というウリマルはすぐに出たが、「ティギム?」、「チヂ?」、料理名にまではいたらなかった。低学年には少し難しかったようだ。
何人かの男女児童は、「トック組」に混じって、弁当を食べる児童もいた。90パーセントが給食で、残りの10パーセントが弁当持参とのことだ。
李校長は、費用がかかることなので保護者が「自由選択」できるようにすることが大切だとも話していた。それに学校では児童ひとりひとりの食物アレルギーや偏食に対処できないという事情もあるようだ。
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帰り際に、校門の前で視察団一行は李校長たちと記念写真を撮った。何人かが校門をバックに写真に収まっていた。
視察団のメンバー2人と幼稚班の責任者、それに地元の支部委員長の4人、朝大の同級生だ。
全国から集まって学び、全国に散っている同級生との再会は嬉しいものだ。
「同窓会や大会で会うより嬉しい。『意義深い出会い』だった」と言っていた。
笑顔がとても誇らしく見えた。それを見守る趙校長や、李校長らの顔もほころんでいた。
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電車を3度乗り換えて、次の目的地の東京朝鮮第2初級学校に向かった。
つづく