出所・キム・ビョンハクfb
今回のアーカイブは、記録を残すという意味と、検証を行い、後世に教訓を伝えることを目的としている。
■1■2013年1月23日発
じょせん。
いまでこそ、うんざりするほど、聞かされる、この響き。
時は、さかのぼって、2011年の5月。
… 放射能によって、汚染され、深刻なダメージを受けた福島県。
人々は、ただ、逃れようとするばかり。
そのなかに、ぽつんと取り残された福島ハッキョ。
偶然にも、福島の大学に、配属されていた、在日出身唯一の私。
同僚の理工の先生が、連日、徹夜して、
ロシア語まじりの英語で、
ネットを経由して、ウクライナの大学教授から、除染の方法を伝授され、
それを実地で、たたき込まれた、文系でド素人との私。
どなられ、叱られまくり、除染のイロハをカラダで覚えました。
そして、
勇気がいりました。
ぶっちゃけていうと。
ただ、福島ハッキョを、子ども達を、
なんとかしないといけないという思いから、
縁もゆかりもない地のアボジ会の会合に、割り込みました。
いま思えば、我が子を、つい先日、新潟に疎開させたばかりで
家族がバラバラになり、憔悴しきっていた
アボジ達が、快く、受け容れてくださったことは、奇跡でした。
偶然にも、青商会の会長が、朝大の2年下の指導学年の後輩でした。
たまたま配属されていた地に、偶然にも、面倒みた後輩がいた。
偶然と偶然の交錯は、必然であると、
とある哲学書に書いてあったことを思いだし、
これは、一生に一度、男気を魅せるときだと覚悟しました。
いまでこそ、うんざりするほど、聞かされる、この響き。
時は、さかのぼって、2011年の5月。
… 放射能によって、汚染され、深刻なダメージを受けた福島県。
人々は、ただ、逃れようとするばかり。
そのなかに、ぽつんと取り残された福島ハッキョ。
偶然にも、福島の大学に、配属されていた、在日出身唯一の私。
同僚の理工の先生が、連日、徹夜して、
ロシア語まじりの英語で、
ネットを経由して、ウクライナの大学教授から、除染の方法を伝授され、
それを実地で、たたき込まれた、文系でド素人との私。
どなられ、叱られまくり、除染のイロハをカラダで覚えました。
そして、
勇気がいりました。
ぶっちゃけていうと。
ただ、福島ハッキョを、子ども達を、
なんとかしないといけないという思いから、
縁もゆかりもない地のアボジ会の会合に、割り込みました。
いま思えば、我が子を、つい先日、新潟に疎開させたばかりで
家族がバラバラになり、憔悴しきっていた
アボジ達が、快く、受け容れてくださったことは、奇跡でした。
偶然にも、青商会の会長が、朝大の2年下の指導学年の後輩でした。
たまたま配属されていた地に、偶然にも、面倒みた後輩がいた。
偶然と偶然の交錯は、必然であると、
とある哲学書に書いてあったことを思いだし、
これは、一生に一度、男気を魅せるときだと覚悟しました。
■2■
まさかの連発。
忘れもしない、2011年6月5日(日)。
逃げまどうばかりだった人による放射能への反攻ののろしがあげられた。
…ペン持つその手に、シャベルを握り、子を抱くその手に、鋤をかかげ。
ただ、いま思えば、ギリギリだった。
第1次除染。
アボジ会、青商会メンバーにて、正確な放射線量の測定が、はじまる。
防護服など、福島第一原発以外にない状態で、
蒸し暑いなか、上下レインスーツに、ゴーグル、高機能防塵マスクが、
身を護る精一杯の装備。
あまりにも、アナログで、貧弱な装備であったが、
人々の士気は、高い。
ただ、福島ハッキョは、10名程度の精鋭にとっては、
あまりにも、広大すぎた。
そして、玄関入り口の高圧洗浄をしているときに、その報はもたらされる。
「体育館の側溝の線量が、異常だ」と。
屋根にさえぎられた箇所から、高い放射線量がでるとは、
ウクライナからの情報にも、入っていない。
何故だ?
そして、屋上の線量も、高いとの報告が入る。
一同に、緊張がはしる。
除染を続けるべきか、あきらめるべきか。
マンパワーの欠如は、いかんともしがたかった。
ただ、何も、わからない状況から、事態の全容がみえかけたのは、
一歩前進だった。
忘れもしない、2011年6月5日(日)。
逃げまどうばかりだった人による放射能への反攻ののろしがあげられた。
…ペン持つその手に、シャベルを握り、子を抱くその手に、鋤をかかげ。
ただ、いま思えば、ギリギリだった。
第1次除染。
アボジ会、青商会メンバーにて、正確な放射線量の測定が、はじまる。
防護服など、福島第一原発以外にない状態で、
蒸し暑いなか、上下レインスーツに、ゴーグル、高機能防塵マスクが、
身を護る精一杯の装備。
あまりにも、アナログで、貧弱な装備であったが、
人々の士気は、高い。
ただ、福島ハッキョは、10名程度の精鋭にとっては、
あまりにも、広大すぎた。
そして、玄関入り口の高圧洗浄をしているときに、その報はもたらされる。
「体育館の側溝の線量が、異常だ」と。
屋根にさえぎられた箇所から、高い放射線量がでるとは、
ウクライナからの情報にも、入っていない。
何故だ?
そして、屋上の線量も、高いとの報告が入る。
一同に、緊張がはしる。
除染を続けるべきか、あきらめるべきか。
マンパワーの欠如は、いかんともしがたかった。
ただ、何も、わからない状況から、事態の全容がみえかけたのは、
一歩前進だった。
■3■1月24日・木曜日発
ノウハウがない!
第1次除染の総括で、福島ハッキョの測定状況が、あきらかとなる。
素直に言って、シビアな数値の前に、言葉を失う。
... いますぐ、退避レベルだ。
子ども達は、以前として、新潟にいる。
しかし、冬の磐越道の雪による通行止めという、現実がある。
ただ、誰も、除染をあきらめてはいなかった。
アボジ達は、我が子と、また、一緒に暮らすため。
青商会は、純粋に、母校と後代のため。
そこで、次の第2次除染をめぐって、どうするのかについての
打ち合わせは、順調には、いかず、
実は、大激論が、交わされた。
一方で、マンパワーの不足から、大規模ボランティアを全国に、要請しよう。
青商会のネットワークを活用しよう、支援を求めよう。
他方で、大規模ボランティアに放射能の後遺症が生じたら、誰が責任をとるのか、
また、大規模ボランティアを受け容れるノウハウが、福島にはない。
双方、譲らない。
残念なことに、ノウハウがない。
ジレンマに陥る。
結論も、見いだせない。
そこで、次につなげるため、
と、同時に、大規模ボランティアを受け容れる準備として
アボジ会、青商会の私から伝授された個々の除染の技術習得をさらに高め、
次の除染で、全員が、いままで、私がこなしていた、チームリーダーになる。
そして、当時、やっと普及しだしたばかりの
フェイスブックを活用し、大々的に呼びかける。
という、方針を決めて、大規模ボランティアの動員を断念し、
現有人数だけでの除染継続が決定した。
いまに思えば、消極案が、採用されたカタチとなる。
第2次除染 2011年6月26日(日)
高圧洗浄で下げた線量が、再び、上昇し、また、下げては、上昇しを繰り返し、
放射能との一進一退の攻防が続く。
決め手は、みつからない。
マンパワーが、絶対的に、不足している。
第1次除染の総括で、福島ハッキョの測定状況が、あきらかとなる。
素直に言って、シビアな数値の前に、言葉を失う。
... いますぐ、退避レベルだ。
子ども達は、以前として、新潟にいる。
しかし、冬の磐越道の雪による通行止めという、現実がある。
ただ、誰も、除染をあきらめてはいなかった。
アボジ達は、我が子と、また、一緒に暮らすため。
青商会は、純粋に、母校と後代のため。
そこで、次の第2次除染をめぐって、どうするのかについての
打ち合わせは、順調には、いかず、
実は、大激論が、交わされた。
一方で、マンパワーの不足から、大規模ボランティアを全国に、要請しよう。
青商会のネットワークを活用しよう、支援を求めよう。
他方で、大規模ボランティアに放射能の後遺症が生じたら、誰が責任をとるのか、
また、大規模ボランティアを受け容れるノウハウが、福島にはない。
双方、譲らない。
残念なことに、ノウハウがない。
ジレンマに陥る。
結論も、見いだせない。
そこで、次につなげるため、
と、同時に、大規模ボランティアを受け容れる準備として
アボジ会、青商会の私から伝授された個々の除染の技術習得をさらに高め、
次の除染で、全員が、いままで、私がこなしていた、チームリーダーになる。
そして、当時、やっと普及しだしたばかりの
フェイスブックを活用し、大々的に呼びかける。
という、方針を決めて、大規模ボランティアの動員を断念し、
現有人数だけでの除染継続が決定した。
いまに思えば、消極案が、採用されたカタチとなる。
第2次除染 2011年6月26日(日)
高圧洗浄で下げた線量が、再び、上昇し、また、下げては、上昇しを繰り返し、
放射能との一進一退の攻防が続く。
決め手は、みつからない。
マンパワーが、絶対的に、不足している。
■4■
希望のひまわり。
2011年6月。
大規模ボランティアによる除染の前に、
... できることは、なんでも、やった。
いまでも、「放射能にひまわり?」と、鼻で嗤われることがあるが、
少しでも、セシウムを吸収してくれるのであればと、
すがる思いで、ひまわりのタネを、蒔いた。
ただ、必死だった。
アボジ会、青商会のメンバーも、新潟に子ども達が疎開し、
家族が、バラバラの状態のなか、
震災後の異常な状態が続く福島で、日々の生きる糧のために働きずめて、
精神的には、限界が近かったと思う。
従来型の災害震災とは異なり、放射能の除染という特殊な事情のなか、
除染器具などの全国からの支援物資は、少しずつ届き始めた。
同時に、フェイスブックでのイベント告知等も、
あらゆるチャンネルから推し進めた。
人々が先が見えない不安のどん底にうちひしがれているなか、
ひまわりだけは、スクスクと育っていった。
そして、第3次大規模ボランティア除染は、
良い意味で、期待を超えるものとなった。
2011年6月。
大規模ボランティアによる除染の前に、
... できることは、なんでも、やった。
いまでも、「放射能にひまわり?」と、鼻で嗤われることがあるが、
少しでも、セシウムを吸収してくれるのであればと、
すがる思いで、ひまわりのタネを、蒔いた。
ただ、必死だった。
アボジ会、青商会のメンバーも、新潟に子ども達が疎開し、
家族が、バラバラの状態のなか、
震災後の異常な状態が続く福島で、日々の生きる糧のために働きずめて、
精神的には、限界が近かったと思う。
従来型の災害震災とは異なり、放射能の除染という特殊な事情のなか、
除染器具などの全国からの支援物資は、少しずつ届き始めた。
同時に、フェイスブックでのイベント告知等も、
あらゆるチャンネルから推し進めた。
人々が先が見えない不安のどん底にうちひしがれているなか、
ひまわりだけは、スクスクと育っていった。
そして、第3次大規模ボランティア除染は、
良い意味で、期待を超えるものとなった。
つづく