京都と大阪・2日間の「ウリハッキョ」巡り-最終回 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【11月2627日】京都と大阪・2日間の「ウリハッキョ」巡り-その5
 
 
夕方は、東成区民センターでの「朝鮮学校ええじゃないか等身大の朝鮮学校をみて、きいて、語ろう!」の集会へ行った。
一番乗りだ。受付もできていなかった。初対面のfb「友達」とあれこれ話しながら、当日配布する資料の折り込みを手伝い開演を待った。同じ分会に住む「朝鮮新報」の女性記者が取材に来ていた。平壌支局への長期出張から戻ったばかりだ。
はじめは、大阪朝高美術部の生徒が自らの絵に込めた思いを語り、声楽部の生徒は歌を通して自らの思いを「語る」コーナーだった。
「忘れないでほしい」、「リムジン江」もよかったが、「ウリハッキョは心の故郷」の歌声は、あまりに切なく胸に突き刺さった。
 
 生まれ育った地は異国であっても
 僕たちには私たちには誇らしい故郷があるんだ
 民族の願いをかなえる大きな夢を抱き
 わが民族の未来を描きながら学ぶ
 ウリハッキョがウリハッキョが心の故郷
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そして、メインのフリートーク 。テーマは「私と朝鮮学校の出会い」と「朝鮮学校をもっと良くするために」の二つだ。
出演者は、朝大を卒業した朝青東大阪南支部の許委員長と大阪大学を卒業した留学同大阪の黄委員長、大阪城南女子短期大学を卒業した薛さん、大手前大学を卒業した伊関さんの4人だ。会場からも朝鮮学校を訪問したことがある日本人の大学の先生や大学生、韓国からの留学生、ウリハッキョ卒業生たちが自らの体験を述べた。
なかでも、3歳と5歳の幼児を朝鮮の幼稚園に送っている薛さんのユニークな発言は、場内を沸かせた。
……
皆さんも何故ここに私が座っているのか、場違いだと思っていませんか。
服装も、ウリハッキョのオモニらしくなくウリハッキョに通ったことはありません。
高校の時、「学生会」の催しに行って、初めて「朝高生」を体験した。自分にないものを持っていると思った。朝鮮と日本にまたがる歴史を聞いて、悲しく、驚きもした。
私が経験することができなかったことを子どもに伝えることはできない。それで子どもを朝鮮の幼稚園に通わせることにした。
なぜ、ウリユチウォンに? 私では子どもに在日朝鮮人の根、ルーツを教えることができない。自信がない。言葉も、歴史も知らない。何も知らないで外(日本の社会)に出すと、蔑みや自己矛盾、何か問われても無知なため返す言葉がない、子どもたちに知識、朝鮮人であるという武器を持たせてあげたかった。
朝鮮人の子どもを産んだのだから、朝鮮人として育てるのが親の責任だ。
チャランポランな私でも受け入れてくれるチョソンハッキョ(朝鮮学校)は器が大きい。
日本に住んでいるのだから、やがては日本の社会に出て行く。そのためにも朝鮮学校の存在は大きい。どんどん教えてもらって、社会に出たときに判断すればいい。自分を守るためにも朝鮮学校で
チョソンハッキョは、お金がない分、みんな必死だ。日本で生まれ育ってもアイデンティティが育つという、チョソンハッキョに、その凄さがある。
関西弁の少し早口な話を、そのまま書きとめることはできなかった。*発言は概要、メモに基づいて整理
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集会を終え、ロビーに出てきた薛さんと二言三言言葉を交わすことができた。
私・「ご主人は?」
薛さん・「朝鮮学校に行ったことはありません。ウリマルもできません」
私・「幼稚園は?」
薛さん・「他のオモニから料理を習ったり、風習を身につけたり。言葉も。子どもたちよりも私がウリユチウォンに行くことを楽しんでいるのかも」
会場でも話していたが、チョソンユチウォンに通う子どもたちと一緒に、自らのアイデンティティを再構築しているようだ。
「私のような人、少なくないかもしれませんよ」という、彼女の言葉がしばらく頭から離れなかった。ik