新潟のウリハッキョへ | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【10月23日・火曜日】新潟のウリハッキョへ
 
JR新潟駅から空港行きのバスに乗り、「朝鮮学校前」で降りて、新潟朝鮮初中級学校へ。
バス停の前の薬局の従業員は、「少し奥まっていて、こじんまりとしているので分かりづらいかも…」と言っていたが雨の中、人通りもなく、20分余り迷い、携帯のGPSのお世話になり、辿り着くことができた。
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樹木に囲まれた校舎、ブランコや滑り台などもあって、塀も低く思いの外開放的だ。運動場も広い。
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玄関に入って、まず目につくのは、「ウリマルをよく学び、常に使う模範校」とのスローガン。その下には、「アンニョンハシムニカ」とか、「オソオセヨ」、「いただきます」など、日常生活でよく使う、あいさつ言葉がウリマルと、その日本語訳を書いた展示物が貼られていた。
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反対側には、各地のウリハッキョから送られてきたメッセージが、その隣には「新潟・福島のトンムたち! ウリ ソロ チャルハジャヨ!(みんなで頑張ろう)」とのタイトルの下に、両校の児童の集合写真と一言メッセージが貼られていた。
昨年の3・11大震災の直後から、7カ月余り被災地の福島のハッキョの児童が「集団疎開」、年が明けた後も5月と10月の2回「移動教室」、2週間余りの「合同授業が行われている。11月にも1週間余りの「合同授業」が計画されているとのことだ。 
「互いに勉強頑張ろう」、「勉強も運動も…」、「手紙ありがとう」などの言葉に交じって、「ヒムネジャ」、「ヒムネゴ」という言葉、「力を出そう」、「力を出して」との二つの単語に秘められた児童たちの「体験の重さ」がうかがえたが、それでも、18人の児童の底抜けに明るい表情には癒された。
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しばらくすると、教科書をかかえた李校長が校長室に戻って来た。「忘れましたか?」。李校長とは、昨年、栃木のウリハッキョでの「セッピョル学園」で会っていたのだ。東北、福島、群馬、栃木、茨城の校長たちと一緒に、テントの中で、運動会を見たことが思い出された。
私・「校内を見ていいですか?」
李校長・「遠慮なく、授業も…でも、私の授業はなしということで…」
校長も国語や算数、中学の社会など、週5~6時間の授業を担当していると言っていた。
校内で、一番目につくのはやはり他校からの激励と、ウリマル関連のポスターだ。
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手書きのポスターは、生活感が漂っていていい。
「ちょっと調子が悪くて」、「う~んと」、「ああ、眠たい」、「うっ もれる」、「何、すねているの」、「いたた、足つった!」、「だまれ!」、「もういいよ」…中学生が思わず口から出そうな言葉だ。
「じめじめ」、「ねっしゃびょう」、「むしあつい」、「にわかあめ」―これは季節柄の言葉だ。児童の顔が浮かぶようだ。
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3時間目。2階は小学生の教室だ。右手奥の2年生の教室からはは「直線」という声が、算数の時間だ。左手の6年生の教室は社会の時間のようだ。「壬辰」とか「小田信長」の単語が聞こえた。 児童は2人のはずだが、それより多い机が並べられていた。
その隣の4年生の教室では、児童がプリントに向かっていた。
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中学生の教室が並んだ3階の教室から、李校長が黒板に何かを書く姿が見えた。2年生だ。
3年生の教室には誰もいない。後で聞くと、「情報」の時間で、コンピューター室で授業を受けていたという。週一回の「情報」の時間に更新しているブログを見たことがある。新潟に来る前に見た、いつも「アンニョンハセヨ」ではじまるブログの「最新情報」は、「福島40周行事に参加してきました」だった。
もどって、ブログをのぞくと、その日、その「情報」の時間ね10時55分に更新されていた。
「先週、土曜日に東京で 芸術競演大会がありました。
結果はなんと  
金賞でした!!!!!
合同群舞という難しい条件で金賞だったので
とっても嬉しかったです(//>0
来週の中央芸術競演も悔いの無いように踊って来たいと思います!!!!!」
「さらん」と「みひ」の2人で更新しているようだ。
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教室には「中級部1、2学年(中2)」、隣の中1の教室には「中級部1、2学年(中1)のプレートが。2階に戻って、6年生の教室を見ると、そこには「初級部高学年 6年」、その隣の教室には「初級部高学年 4年」と記されていた。授業を終えて出てきた生徒に聞くと、朝夕のホームルームなどは一緒に行うとのことだ。
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少年団生活もだ。1分団は中3、2分団は中2と1、3分団は小6と5年生がいないので4年生だ。
廊下に貼られた分団別の目標は、2分団はウリマルで、3分団は学校の美化、最高学年の1分団は、欲張りというか、意欲的に4つを掲げていた。「①宿題を忘れない! ②翌日の準備はその日にする! ③復習と予習に行い、優秀な成績をえる! ④自習を毎日60分以上行う!」だ。
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4時間目。「見てはダメ」と言われた李校長は、地図をさして埼玉県とか、神奈川県とかいっていたから地理の時間だ。中1と中3の教室はドアが閉まっていたので、のぞけなかった。
6年生の教室からは「信濃川を漢字で書きなさい」、「字が汚くて読めない」。先生の声だ。途中教室から出てきた女子児童は「理科室に行きます」と、言っていた。
4年生の教室。この学校唯一の女性の先生が中間試験の「範囲」を話していた。3時間目もそうだが、2階の小学生の教室のドアが開けっぱなしになっているので、児童の声も、先生の声もよく聞こえた。
男子児童が2人、サッカー部だと言う。一人の児童は、いつもは自転車通学だが、この日は雨が降ったので、スクールバスで来たと言っていた。
男子児童たちは、「ミアナムニダ」を連発していた。
すると先生は「ミアナムニダというのは、これからは過ちを犯さないという決意がこもってなくてはならないのに、トンムたちは…」。「いつまでも4年生だと思わない、もうすぐ5年生になるのですから…」。
5年生かいないこの学校では、来年は5年生が小学生の「最高学年」になるのだ。
 児童・「先生は怖いです」「強いです」
 先生・「ふざけてはダメ…」
 児童・「×××」
 聞き取れなかったが、それに対する先生の答えはなぜか、「先生と結婚したくて、そんなこと言うのでしょう」だった。??である。
 そんなやり取りをしながらも、「山かけはだめですよ。正しく覚えるように」と、間違いやすい地図記号をテキパキと教えていた。
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昼食は全校生が食堂でだ。2人の姉妹の寄宿舎生だけではなく、8人の先生たちも一緒に全員が給食だ。
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この日のメニューは、豚の生姜焼き。食事の面倒をみている松田さんは、今年で7年目。教職員の中でも一番の古株だ。
「好き嫌い? あります。魚、骨が苦手なようで…焼いたり、煮たりしているのですが…」、「みんな、元気だということが何よりです」。
李校長は、「昼食だけではなく、寄宿生の2人の児童・生徒と8人の先生のために夕食の下ごしらえもしてくれるので助かる」と話していた。朝食は先生が交代で支度しているようだ。
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食べるのが遅いのは、2年生の男女3人組と「おかわり組」の先生だ。2年生も食器をきちんと片づけていた。
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5時間目。2年生は音楽室に集まっていた。4年生と6年生は、6年の教室で「合同」での図工の時間だ。6年生の居室に机が多く置かれているのは、朝夕のホームルームと「合同」授業のためだ。
6年生の女子児童は、体育着に着替えていたが、4年生の男子児童は制服のまま、それでも絵具が付くのが気をつけているのか、袖をたくしあげていた。
ここでも、4年生の児童が先生と言葉のバトルを演じていてた。
先生・「人間まで緑色に塗ったらだめでしょ」
児童・ここでも「ミアナムニダ」。
先生・「そんなことすると筆が泣いてますよ」
児童・「泣く筆って…」
先生・「腕の色は…」
児童は、なぜか「ソンセンニム ソンセンニム アンニョンヒ ケショヨ」と歌い出す。
先生が近づこうとすると、児童は「先生、あそこで写真撮っていますよ」と言って、自分で床に転がった。
児童・「先生はハクセン(学生)が可愛くないのですか…」
先生・「言うことをきかないハクセンは…」
児童・「…私は幸せなハクセンになります」
いつものことなのだろう、6年生の女子児童は知らんぷりして描き続けていた。
それでも、4年生の絵をのぞき込み一言。「トンム、サッカーのユニホームは、半そで? 長そで? タンクトップ?、ノースリーブ? それとも何も着ていないの…だまって色をぬりなさい。サッカーのボールも緑ではないでしょ」。
児童・「半そでです…そうします」
「4年生はもっと流暢なウリマルを離さなくてはいけません」、「両手で描くものではありません」。そんな声が教室の外まで聞こえてきた。
辛先生は、今年朝大を卒業した新任だ。教育実習は東京チェーイーに行ったので、「少人数」のクラスに戸惑いはないと語っていた。2年生を担任しながら、4年生の授業にも入り、6年生も教えている。
私・「先生、絵の方は?」
辛先生・「朝鮮大学校の教育学部卒ですよ」
なんでもできます、やりますと、意欲に満ち溢れた答えだった。
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授業が終わると、4人の「初級部高学年」の児童たちは仲良く筆を洗っていた。このとき気が付いたのだが、教室も廊下も床がピカピカに磨かれていた。
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広い校庭の樹木はきれいに剪定され、雑草も茂ってなかった。
食堂で働く松田さんは、教育会のイルクン(職員)がこまめに手入れをしている。先週、催された「ミレフェスタ」を前に若い人がたくさん来て、雑草を抜いたり、掃除をしたりしていたと言っていた。
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バスで新潟駅に向かう途中、通り過ぎた「祖国訪問新潟出張所」のシャッターは降ろされていた。
2002年9月の「拉致」報道後、一時中断を余儀なくされた新潟のウリハッキョでのフェスタには、今年1、100人が参集したという。前日に行った駅前の焼肉店の同胞は、そのうちの7、8割はウリハッキョに関心を寄せる地元の市民だったと言っていた。千人規模の地域の一大イベントとして定着したようだ。「潮目は変わった」とも。元山への航路が再開され、「出張所」に活気が戻ることもそう遠くはないようだ。ik
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もう少し書き加えて、11月下旬発行の隔月版ブックレット『朝鮮学校のある風景』に載せます。