被災地・福島の朝鮮学校支援の映画会へ。 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【6月29日・金曜日】福島朝鮮初級学校訪問報告会&映画「ウリハッキョ」上映会へ
 
主催団体の「福島の朝鮮学校とつながろう! 実行委員会・準備会」の千地さんが同校の現況について報告。
 <報告の内容>・訪問の概要 ・学校の印象 ・被災・放射能汚染の状況 ・生徒数の減少 
 ・避難について-昨年度と今年度、子どもの負担など ・除染について-公的補助、処分の決まらない汚染土
 ・自治体からの補助金は減少傾向 ・福島の朝鮮学校とつながろう
 *一読してください。
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つづいて、福島朝鮮初中級学校の卒業生のユン・イルス君が発言。
ユン君は、東北の朝鮮学校のユン・ジョンチョル校長の甥だというので、主催者も、参加者も「親近感」を感じていた。
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<発言の概要>
・小学校1年から中学3年の9年間、福島のウリハッキョで学んだ。その後、東北朝鮮初中高級学校の高級部を卒業して、現在朝鮮大学校の政治経済学部4年に在籍している。16年間寄宿舎生活を送っている。
 
・福島のウリハッキョに入学していたころ、児童・生徒数は100人弱、それなりの人数がいた。卒業時には50人台に、そして現在は12人だ。
 
・福島の学校は郡山と言っても、「ド田舎」、木とか、山とか、畑とか、木造の家が何軒か建っていて、牛小屋が点在していた。時折、銃声が響き渡っていた。
 
・バスや電車の便が悪く、市内の児童・生徒はスクールバスを利用していた。寄宿生も少なくなかった。
 
・昨年の3・11大震災の時は、上野にアルバイトに向かう途中、国分寺駅のホームにいた。
 
・宮城での津波、福島での原発…福島で暮らす父母と連絡を取れたのは、1時間余りたってからだ。涙が止まらなかった。眠れない日々が続いた。
 
・福島に戻ったのは、かれこれ一か月後だった。市民は疲れてやつれていた。学校は大きな損傷もなく、体育館が避難所になっていた。中通り、郡山の家は無事だった。
 
・3月20日に行うはずだった卒業式は延期になり、児童と先生は外出もままならなかった。
・全国の同胞から食料、衣類、粉ミルク、灯油と支援金が届けられた。「頑張れ!」と書かれた横断幕などと一緒にだ。同胞社会の温もりを感じ、勇気づけられた。
 
・4月8日の卒業式での明るい弟の顔は忘れられない。感謝でいっぱいだった。
 
・新潟のウリハッキョとの合同授業が始まり、一度だけ新潟を訪ねた。元気に外で遊びまわる児童、実の兄弟、姉妹のようにふるまい、原発を恐れることなく走り回る姿を忘れられない。
 
・大学内でも、募金とビデオレターの作成、除染作業への呼びかけなどを行った。
 
・昨年12月8日の福島のウリハッキョの「再開の集い」にも参加した。これからも学業に励み、恩返しをするとの新潟のウリハッキョ児童との合同公演には感動した。
 
・一年が経ったが、児童たちは一日中屋外で遊ぶことはできないでいる。県外に避難した同胞も戻ってこれずにいる。
 
・全国に関心を持ち続けてくれる同胞がいて、一緒に苦難を乗り越えるトンムがいる。失ったものも多かった。あたり前の日常は戻ってこない。しかし、大勢の人、暖かい同胞社会があるので、乗り越えていけるだろう。乗り越えなくてはならない。
 
・全国の皆さんに感謝する。安心して暮らせる日のために共に頑張って行きましょう。
 
つづいて、「ウリハッキョ」を上映。何度見ても泣かされてしまう映画だ。
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会場を埋めることはできなかったが、参加者の半数が、福島のウリハッキョ支援の携帯ストラップを購入していた。
 
「3・11」直後の10日間と、その後の5カ月をつづった福島の先生のリポートを載せた、隔月版ブックレット『朝鮮学校のある風景』のバックナンバー⑥、⑨号もだ。ikイメージ 7