再録・私が体感した「沖縄2010年6.23慰霊の日」下 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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Memorandum 
私が体感した「沖縄2010年6.23慰霊の日」 ③
 
■数時間前の追悼式が号外に
 夕方には、東京に戻らなくてはならないので、2時前に那覇方面のシャトルバスの行列に並ぶ。列が見る見るうちに延びる。青年が新聞の号外を配っている。取り合いである。
 「不戦の誓い新た」「遺族代表『新基地』反対訴え」-「琉球新報」のタブロイド版カラー2ページ、数時間前にこの場で執り行われた「沖縄全戦没者追悼式」の「速報」である。
 20分余りならんで、ようやくバスに乗れた。
 バスに乗りながら「沖縄タイムス」の通常紙面4ページの「慰霊の日特別版」を受け取る。一面に「平和 新たな決意」「戦後65年犠牲者を追悼」、2、3面は見開きで「非戦の誓い永遠に 香煙の中肉親を思う」、「戦世の苦 今なお」、「悲しみの記憶 次世代に」と、「琉球新報」と同じように、握りこぶし大の文字のタイトルが躍っている。
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車中、隣に座った那覇市在住の青年と言葉を交わす。
「○○ビーチでマリンスポーツを楽しみ、国際通りを散策する観光客には、基地は見えず、米軍機の爆音も聞こえない『沖縄』がある」
「日々、戦争(米軍基地)に接し、騒音などに悩まされている地域に暮らす県民と、そうでない県民とでは、同じ沖縄に住みながらも基地問題に対する温度差がある。それは世代間にもいえる」
こんなことを率直に話してくれた。
両側の道が渋滞している。行く時の倍近い時間をかけ、ようやく出発地の県庁に着く。平和祈念公園を訪れても、追悼式には参加せず、「平和の礎」に刻まれた肉親の名前に手を合わせる人も多いようだ。
 
■沖縄といわゆる「本土」との温度差
 遅めの昼食をとるために、県庁前のビルに入る。三つの映画館のポスターが目に入る。戦争映画が上映されていたのだが、そのタイトルは、先のアカデミー賞に輝いた「ハートロッカー」、「マイプラザー」と「戦場にかける橋」の三本、いずれも反戦をアピールした、問題作、話題作といわれた作品である。
 映画館も「慰霊特集か」と、勝手に思いながら地下のレストラン街に向った。
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 5時発の羽田空港行きの飛行機に乗る。とても長く感じた一日だった。
 この日の平和祈念公園での体験を含め、「平和の集い」と「遺族による証言の集い」への参加、聞き取り調査と数か所のフィールドワーク―沖縄での一週間は、とても暑く、熱い、一言でいって「心苦しく胸痛む」日々であった。
 2時間半余りのフライト中、号外と紙面の3分の1余りを割いて「沖縄戦」「慰霊の日」の特集を組んだ二つの地元紙を隅々まで読む。
 電車での帰途、空港で手にした「朝日新聞」の朝刊を見る。そこには「沖縄戦」、「慰霊の日」はなかった。
 ゴルフの宮里藍さんが米国ツアーで今季4勝目をあげたことにふれた、「天声人語」に、「世界一を育んだ『日本の亜熱帯』は観光資源である。米軍基地がなければ、大自然とリゾートの楽園だろう。そんな夢想を許さない、がんじがらめの現実の下で沖縄は『慰霊の日』を迎えた。本土防衛の捨て石が、20万の命と共に捨てられた日である」など、20行の記述だけである。
 これが先の戦争、基地問題をめぐる沖縄といわゆる「本土」との温度差なのであろうか。平和祈念公園からの帰りのバスに同乗した青年は、沖縄で8月15日は、「今日のような特別な日ではない」とは語ってはいたが…。(禹一 東京大空襲・朝鮮人罹災を記録する会)