栃木の朝鮮学校での「セッピョル学園」へ・上 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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先週の秋分の日(9月23日)、小山市にある栃木朝鮮初中級学校で催された「第3回새별(セッピョル)学園」の運動会を見に行きました。
「セッピョル学園」というのは、東北と北関東にある6つの小さな朝鮮学校の児童、生徒たちが年に一回、寝食をともにしながら、共に学び、共に遊び、絆を深めるための場です。
学園名のセッピョルは、朝鮮語で「明星」という意味で、未来に羽ばたく子らへの希望、期待が込められているようです。
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過去2回は茨城の朝鮮学校で行われてきましたが、同校が<3・11大震災>で被災したため、今年は例年より3カ月遅れで、栃木での一泊二日の開催となりました。
学校の正門と裏門(写真)に設置された、「セッピョル学園」の大きなのぼりと、「歓迎」「セッピョル学園」の看板が迎えてくれました。
 
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「茨城学区6校同胞学生大運動会」のプログラムには、参加校の栃木・群馬・茨城・東北・福島・新潟の6つの「ピョル」()が輝いていました。
児童・生徒と同胞による千人規模の大運動会は、「セッピョル学園」でも初めての試みです。従来は、児童・生徒と開催地の学父母と同胞だけでした。被災地の学校、児童と生徒、学父母を励ます意味でしょう、「大地は揺れても笑って行こう!」とのスローガンが付されていました。
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校舎の向い側の食堂では、オモニたちが運動会終了後の焼肉パーティーの準備に勤しんでいました。小山駅までスクールバスで迎えに来たチョチョン(青年同盟員)の「この日のためにニョメン(女性同盟)も、チョンサンフェ(青商会)も、チョチョンも総動員です」との話が思い浮かびました。オモニたちは昨日から「学園」の児童・生徒208人分の食事の支度に追われ、この日はそれに同胞合わせて1千人分、「初めてのチャレンジです」と語るオモニの表情は、とても明るく、生き生きとしていました。エプロンが不ぞろいなことから、幾つかの学校のオモニたちが協力し合っているようです。
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運動場では、各校の効果に合わせて、入場行進が始まっていました。「人民保健体操」、運動場いっぱいに児童・生徒広がります。いつもは一人、二人のクラスの児童・生徒も、この日は一たくさんのクラスメートや、後輩、先輩に囲まれ、嬉しいようでもあり、戸惑っているようでもありました。先生たちもです。
東北の校長先生は、前日、集合時間の1時に合わせて8時に仙台の学校を出発したが、大型台風の影響で通行止め・大渋滞に巻き込まれて、学校に着いたのは11時を過ぎていた、それで児童は初日の合同授業を受けることができなかったと、とても残念がっていました。
 
後日、東北の先生のブログには、その時のエピソードが次のように記されていました。
「朝八時。お弁当を作り張り切って出発した東北一同は大型バスに揺られ栃木へと向かった。前日日本列島を襲った大型台風の影響で福島西-二本松間が通行止め。いくら渋滞と言ってもまあ2,3時間遅れるぐらいだろうと思っていた。それが、甘かった。
バスはちっとも動かず生徒たちがトイレに行きたいと言い出した。次のパーキングまで4kmだというとじゃあ走っていきます。と生徒が言うので一緒に走り出した。
ふと生徒が4kmってどのぐらいですか?というので、東北放送までを往復ぐらいだよって言った瞬間失速し歩き出した。
教務主任先生が、下のみちにコンビニがあることを発見し、柵をこえ田んぼを横切りコンビニにかけた。トイレに行って帰ってきたらちょうどバスが横に来た。
結局そのパーキングに着いたのは生徒がトイレに行きたいと言い出して4時間後だった。
そんなこんなで計15時間もの間バスに揺られ着いたのは夜の11時。
それでも、栃木ハッキョでに着くとたくさんの方々が歓迎してくれた。あまりにも熱烈に歓迎してくれて生徒たちが恥ずかしくて降りるのを躊躇したぐらいだ。」(「笑歩」http://lllearth.blog9.fc2.com/)
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 オモニたちも夢中でカメラを向けていました。
「赤組?」、「青組?」―いつもと勝手が違うのか、自分の子を探すのに、戸惑うオモニもいました。アボジが自分の子供に手を振っていました。
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まずは徒競争です。小学校の低学年と高学年、中学生別です。
玉入れ、カードゲーム、棒の取り合い、騎馬戦、縄跳び、綱引きとリレーと、地元の学校の運動会では人数がそろわず、できない競技もあり、ブログロムは盛りだくさんです。
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先生も力が入ります。新報社の記者も表情を捉えようと、児童との距離が自然と縮まります。
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運動場の片隅では、青商会と青年同盟のメンバーが七輪に火を起こしはじめていました。100を超す七輪です。
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 途中、雨が降り出しましたが、児童・生徒達はやめようとしません。学父母も、誰もやめさせようとしません。やめてほしいとは思いませんでした。
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地域対抗リレーでは、総連本部の委員長や、女性同盟、青商会、青年同盟の代表たちが滑って、転んで泥まみれになって走り切る姿に、学父母や児童・生徒は大喜びです。
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運動会には、6校の関係者だけではなく、「北関東・東北地域のどの地域でも近年同胞モイムでは集まったことのない1,000人が動員目標です。子供たちの為にも、被災地の学生と同胞を元気つけるためにも関東地域をはじめとした多くの青商会会員の皆さんが来てくれることを望んでいます」との地元の呼びかけに応じ、他地方からも多くの同胞が駆けつけました。
「学校に来るのは、卒業して初めて…」「お前が来るから雨が降り出した」など、冗談も行きかい、茨城から来た長老は「この十年、こんなに多くの同胞を見ることはなかった」と、話していました。
ブログ「かっちんの青商会物語」を主宰する「かっちん」も来て、リアルタイムでブログをアップしていました。(http://ameblo.jp/sanpurena/page-15.html#main)
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運動会が終わると、何枚もつなげた大きなビニールシードが次々と敷かれ、七輪が運び込まれていきます。雨もあがり、雲間から青空がのぞき始めました。
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準備の間に、栃木の朝鮮学校に来たのは羽白手なので、いつものように学校をひと回りしました。
校庭には、児童・生徒と学父母を乗せてきた大型バスが6台、それに地元の栃木や宇都宮、6つの学区の仙台、新潟、水戸、群馬、いわきだけではなく、練馬や足立、多摩ナンバーの車も並んでいました。被災した東北の朝鮮学校に送られた「江戸川同胞号」も活躍していました。 
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学園の開会式と合同授業、夜にはフォークダンスが行われた体育館です。
正面には「第3回セッピョル学園」と書かれた大きな看板がかかっていました。
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体育館と校舎の入り口には、「ウリマル学習」のポスターが貼ってありました。「コーナー」、「綱引き」、「バトン」、「ゴール」、「スタート」、「追い越す」、「倒れる」、「なぐさめる」、「()をひねる」、「(雰囲気)をもりあげる」など、運動会と関連した言葉です。
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校舎の入り口には、「学園」の教室と宿所の配置図が貼ってありました。
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廊下はピカピカに磨かれていました。校舎周辺の草もきれいに刈り取られていました。栃木の校長先生は、学父母だけではなく、卒業生や同胞も参加して、夏休み期間中、「リフォーに近い大掃除」に挑んだと言っていました。
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*以下、次回