昨日は、江東区にある東京朝鮮第2初級学校の竣工式に行きました。
体育館を中心に教室がはめ込まれたという感じの二階建の校舎です。

学校名を刻んだプレートはピカピカです。

竣工祝賀宴が催される運動場、人工芝が敷かれていました。

まずは、記念モニュメントの除幕式です。
学校の沿革史と、新校舎建築に寄与した人々の名前が刻まれています。
卒業生と地元同胞、南の人々、日本の市民の結晶です。

学校の歩みは、ウリマル(朝鮮語)と日本語で刻まれていました。

下のブルーの言葉は「心の故郷」-ウリハッキョ(朝鮮学校)は、在校生と卒業生だけではなく、
多くの同胞の心の拠り所です。

記念植樹です。<3・11大地震>で被災した東北の朝鮮学校の校長先生も
お祝いに来ていました。根っからの子ども好きなのでしょう、
児童を抱き上げて植樹の様子を見せていました。

校長先生の名刺には、被災地の先生と児童・生徒、地元同胞だけではなく、
全国の同胞を勇気づけた「大地は揺れても笑って行こう!」という言葉が書かれていました。
二日考えたそうです。人は困難を乗り越えようと覚悟を決めると、普段思いもつかぬ言葉がでてくるものだ」と、
語っていました。それから、たくさん元気をもらったとも。

テープカットには、児童たちも参加しました。

竣工式が始まる前に校舎を一回りしました。
児童たちは、新校舎の竣工式を控えて、学年別に
学校生活で模範になろうとの「運動」を繰り広げたようです。

各教室には可愛いプレートが。4年生の担任は昨年、
東京チェーサムに教育実習に来たソン先生です。

教室には、すでに二日前に東京朝高で催された少年団入団式の写真が貼られていました。
文字は、「かっこいい! 新入団生」。

竣工式が催された体育館には、
落成までの歩みがつづられた大型ポスターが貼られていました。

卒業生の写真も。東京朝中・高で同級生になった懐かしい面々です。

最盛期には中級部も併設され、300人に3人欠ける、297人が在籍してたと、
卒業生は懐かしそうに話していました。1970年前後です。
共同建設委員長の一人は、まさしくその時期、1969年、中級部3期の卒業生とのことです。

体育館での竣工式の後、運動場では祝賀宴が催されました。
式でも、宴でも強調されたのは、創立65周年を迎えた今年に新校舎を竣工した意義と
20年後、30年後も、児童の歓声が響き渡る、
同胞の「心の故郷」として、創立100周年を迎えようとの決意でした。

ソウルからもテレビクルーが来ていました。
ロサンゼルスからも同胞通信社が取材に来ていました。
もちろん、総連関係は新報にイオ、学友書房、映画撮影所など、
各社炎天下の下、熱い取材合戦を繰り広げていました。

児童の祝賀公演が始まると、カメラとビデオの数は一気に膨れ上がりました。

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「共同通信」でも配信されました。
「東京新聞」に掲載
【社会】
朝鮮学校の新校舎が完成、東京 立ち退きで日韓市民支援
2011年4月24日 16時16分
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東京都から立ち退きを求める裁判を起こされ、日本と韓国の市民らの支援を受け和解した、東京朝鮮第二初級学校の新校舎の竣工式が24日、東京都江東区で行われた。
同校の敷地の大半は都の所有だったが、学校側との無償貸与契約が切れた後、払い下げ交渉が難航し、2003年に都が土地明け渡しを求めて提訴。これに対し、地元の朝鮮人住民や日韓の人権団体が「民族教育の場を奪うな」と運動を広げ、07年、低額の払い下げで和解が成立した。日韓市民らからの寄付金などを基に、老朽化した旧校舎の建て替えも決まった。
完成した新校舎は2階建てで、体育館と教室が一体となった設計。入り口には、寄付をした人々の名前などが刻まれた。
地域の朝鮮人らでつくる新校舎建設委員会の方世杰委員長は「在日同胞や日本人住民にいろんな形で利用してもらえるようにしたい」と話した。
(共同)