<3・11大地震> 韓国YTN記者の第6信 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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 【こうのすけ 3・22発】
みなさん、アンニョンハセヨ? 
 
韓国YTNのパクサユ(朴思柔)さんから、宋神道(ソンシンド)さん無事のニュースのレポートです。
 
「パクサユのレポート」3月21日)「命拾いした慰安婦被害のソンシンド(宋神道)ハルモニ」
 
 
【日本語訳】
 [アンカーコメント]日本の大震災で連絡が途絶えていた日本軍隊慰安婦被害者で、満88歳のソンシンド(宋神道)ハルモニの生存が確認されました。
ソンシンド(宋神道)ハルモニは日本で唯一、
慰安婦被害者という事実を明らかにしてこの10年間、
日本政府を相手に謝罪と補償を要求する法廷闘争をして来ました。
パクサユ(朴思柔)リポーターがお伝えします。
 
[レポート]
ソンシンド(宋神道)ハルモニと、20年近くハルモニを支援して来た同胞たちがお互いに抱きあって再会の喜びをわかちあいます。大震災が起きた後、ハルモニと連絡が途絶えて心配していた人々はハルモニが生きているということがわかって、東京から12時間かけて駆けつけました。
 
[インタビュー:ヤンヂンヂャ(梁澄子), 在日の慰安婦裁判を支える会]"多くの方々のおかげで、こうしてハルモニを無事に捜すことができました。本当に韓国のみなさんと日本でたくさん支援してくださった方々に感謝します。"
 
今年満88歳のソンシンド(宋神道)ハルモニは日本で唯一の慰安婦被害者ということを明らかにして、日本政府を相手に謝罪と補償を要求して10年間、法廷闘争をして来ました。
 
20メートルの津波もそんなハルモニの強靭な生命力の前では無力でした。津波で押し寄せた船がハルモニの家を強打しましたが、隣人の助けで死線を越えて、14年間家族のように過ごしてきた子犬とともに避難所に身を避けて命拾いをしました。
 
[インタビュー:ソンシンド(宋神道)、 慰安婦被害のハルモニ]
「どうもね。世話になりっぱなしで、帰りますから」("ありがとう。こんな年寄りを助けてくれて…")。
 
支援の会の会員たちはハルモニが余生を楽に送れるように、最大限の支援をすると明らかにしました。仙台からYTN インタ-ナショナルのパクサユです。
〈以上〉
 
ドキュメンタリー映画『在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい オレの心は負けてない』
(95分、2007年、制作:在日の慰安婦裁判を支える会、監督:安海龍(アンへリョン))
 
 
 
 【こうのすけ 3・22発】
みなさん、アンニョンハセヨ?
 
仙台市にある東北朝鮮初中級学校で寝泊まりしながら、取材・救援活動中のパクサユ(朴思柔)さんが結核?! 20日のレポートをお送りします。
 
[コマプレス]6日目(20日・日)「サユが結核!?」
 
前日の19日は仙台市内に泊めていただいたのもあって、20日は、仙台市内の撮影から始まりました。
午前9時、仙台市内のダイエーの前には既に大変な行列。千人までは行かないけれど、少なくとも8百人はいる。
‘再入店は出来ません’という貼り紙。
いつから並んでいらっしゃるのかは、さすがにさゆも聞けなかったけれど、マスクやマフラー、ニット帽等、徹底的な防寒対策をしているにもかかわらず、寒そうにみえるから随分並んでいたかも。
待ち続けながらも、静かで、落ち着いた雰囲気。小学3年生位の子どもも両親と一緒にならんでいる。家族単位で並んでいるような組は談笑中。
1回で入場できるのは50人限定。やっと買えたか、出てくる方々の手元には、それぞれ手提げ袋。
手提げ袋の外まで出っぱる背の高い長ネギが目立つ。あのオモニは、あのネギを買って帰って、誰のために、何を作るんだろうと、一瞬、平凡な日常の中のように、平穏すぎる想像をしてみる。
しかし、あのオモニは、‘このネギには放射性物質なんか付いてないのかしら’と、料理しながらも不穏な想像力で、もやもやするかも知らない。
‘お1人様3個まで’とか、制限があるからなのか、ご夫婦と見える中年の男女がそれぞれ買い出しをしてダイエーの隣のプロントというコーヒーショップの前で待ち合わせ。2人とも喜びの笑顔。今回の地震被害後、初めて笑えたかも知らないと、勝手に思ってみる。
‘東北初中級は今日、八木山中学校グラウンドにて、炊き出しをする’とチョンドヒョン先生より教えて頂いたのでダイエー撮影終了後、タクシーで駆けつける。
通常20分以内の距離なのに、迷うタクシーのドライバーさん。 ‘あっ、ここも閉鎖されたなっ!’と、いつもの道からは行けず、何回も遠回りする。遠く離れたら、本当に道が崩れて、立ち入り禁止になっているのがみえる。
ソンセンニム達が炊き出しを準備する過程から撮影していたので、はらはらしながら、40分かかって、炊き出しの所に到着。結構広々とした八木山中。タクシーを下ろしてもらえたのが裏門だったから、正門を探して走る。既に出てくる50代の男女の方に‘炊き出しは?’とあわてて聞いたら‘大丈夫、まだ間に合うよ~。向こうだよ~’と、笑顔で教えてくれる。
‘違いますって! うちは食べに来たわけではなく、炊き出しの場のほのぼのした雰囲気を映像に収めたいからや’と答える暇もなく、教えてもらったグラウンドに向かって走る。
今日の献立は、熱々ホカホカ、絶妙な味付けで具だくさんの辛口チゲ!(日本の方には豚汁の方がわかりやすいかも)とキムチとおにぎり。そして瓶入りの白い牛乳!(大地震以降、この地域で牛乳なんて幻の物である)
‘顔色が悪い’と、さゆは車の中で休憩になり、ちょっぴり地味な祭りみたいだった様子をあまり見ることができませんでした。その後、校長ソンセンニムに‘一言で圧縮して言って下さい’とお願いしたら、‘最初来て食べた方々が、次から次へ友達や知り合いに呼びかけて、すぐに4百食が完売。キムチは食べずに持ち帰る方もいらっしゃった’。さすが、人文学専攻の校長ソンセンニム!一言で当日の炊き出し様子の全貌がわかる!
八木山中学PTAから、東北初中級の炊き出しへのお礼として差し入れのチョコレート(ピーナッツ入りのスニーカーズミニ多数!) 美味しかった~。八木山中のオモニ・アボジ、ご馳走様!コマッスミダ~)
さゆはそこに居ても何の役に立たないから、大きな鍋などを積んだ車に乗せられ、朝鮮学校の寄宿舎に帰らせられる。
部屋で寝かせてもらう。しばらくすると、東京より派遣された同胞の医者・看護師による往診。
さすが、同胞達! 支援物資だけではなく、医療チームまで送り込む!
東北初中級のみんなは血圧・脈拍を測っもらう。みんな正常!
1日2食だけの食事を厳しく実施しながら、近所の住民の方々におにぎりや炊き出しなど、共生の生活を自ら実践している東北初中級学校のみなさん…全国の同胞の方々から寄せられた支援物資を、一人でも多くに渡すために、朝から晩まで走り続けてる働き者の東北のイルクンの方々の健康に異常がないのが異常な位ですが、本当によかったよかった。
同胞のために働くのも大事ですが、イルクンのみなさん、自分自身のこともちょっとだけでも配慮して下さるよう祈ってみる。
一方、昨日の脱水症状と止まらない咳を心配してくださったソンセンニム達がさゆを診てもらうようにする。
さゆの止まらない咳を聴いた途端、メガネの髭の医者先生、‘結核だな、これは、’と目を光らせる。1ヶ月以上、咳で夜眠れなかったさゆ、他人事のように‘あり得る! ベジタリアンだから野菜と果物ばかり食べてきたから栄養の面からみるとありえる!’ と納得される。
‘まさか感染病ではありませんね?’とさゆ、聞いたら医者先生‘感染病です!’
さゆ‘どうしますか?’
医者‘どうするって、隔離します!’
さゆ‘隔離? 何処へ? さゆの主治医は京大に居るから、今晩中でも京都に行ったらいいのでは?’
薄い微笑みの医者先生、‘早速隔離します。そしてこの部屋とか今回行った所をすべて消毒します’
さゆ‘地震で、原電で、リビアで、世の中、カオスになっているのに、さゆは隔離され、勢いを奪われる。しかも、優しく暖かく、愉快で働き者で純真無垢な東北の同胞達を感染させてしまった’と、気が遠くなる。
医者・看護師の退場、校長ソンセンニムと国語ソンセンニム登場、近所の病院まで乗せて下さる。
日曜日の夜だから既に退勤したはずの医者先生、私服のまま駆けつけてくれて白衣を羽織る。早速レントゲン。 結果は‘結核じゃない’。風邪と咳の薬として抗生物質を処方される。
校長ソンセンニムの車で帰ってきて、薬呑んで寝る。
一昨日の記憶をたどりながら、一日中休ませていただき、サボったお陰で、元気元気になった報告でした。
取り急ぎ。
 
 
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小さな声、低い視線
コマプレスkoma press
朴思柔 ぱくさゆ
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