朝鮮学校のある風景-その五 ④
*「統一評論」の連載に一部加筆
六月はサッカーW杯の応援に課外授業
■課外授業-「朝大も楽しそう」
沖縄から戻った翌日は、課外活動の日だ。四年生は光が丘の清掃工場で、五、六年生は小平の朝鮮大学校である。
六月上旬には、社会科の授業の一環として、四年生は水再生センターを見学に、五、六年生は劇団四季のミュージカルを鑑賞している。

集合場所に一〇分前に着く。おしゃべりする女子児童に囲まれながらも、地べたに座り込んで、黙々と本を読んでいる男子児童が目立つ。
児童が点呼を取り終わると、先生は切符を買う児童の数を確認する。
集合した池袋駅の東武口から地下道を通って、人込みをぬうように西武線の改札口に向う。所沢と東村山で乗り換える。途中電車が多少遅れたものの、電車通学に慣れているのだろう、混乱もなく鷹の台の駅に着く。
車中、何人かの男の子は熱心に探偵小説などを読んでいたが、多くの児童はおしゃべりに夢中だった。
「ソンセンニンは、子供の時ドラクエをして遊びましたか」などと、聞く児童もいた。テレビがある家庭も少なく、ましてコンピューターゲームはなかった。男の子たちはもっぱらメンコやベーゴマ、女の子はゴム段をしていたと話したが、まったく理解されなかったようである。
この時期、課外授業としての朝大見学は、関東地方のウリハッキョの五年生の定番になっているようだ。国語の教科書に「朝大訪問」が出てくるのだ。
チェーサムでは、この何年間行けなかったので、今回は六年生も一緒に行くことになったようだ。
「足取りも軽く…」鷹の台駅を出発するとき、皆が口ずさんだ言葉だ。教科書に書かれているのだろう。
教科書通りの小川が流れる道を行く。私が朝大に行っていた当時は「ロマンス通り」と呼ばれていた、その道である。
途中、少し疲れてきたのか、児童の中からは「足取りも重く」との言葉がでる。愉快な連中である。
白い建物が見える度に児童の間からは「やあ、朝鮮大学校が見える」の声が上がる。これも教科書に書かれた言葉のようだ。何度かのフライングの後、いよいよ目的地の朝大に着く。
校門から自転車に乗った女子大生が何人も出ていく。近所の日本の保育園に実習に行く教育学部保育科の学生だという。
校門に入ると、児童たちは声をそろえて、つつじとモクランなど幾つかの木の名前を言い当てる。
中庭の池の前で、教務部の二人の先生が説明に当たる。
先生方も心得たもので、池にはどんな魚がいて、学生たちの憩いの場になっていると、教科書に書かれている内容に沿って説明する。
児童がカナブンを見つけて大騒ぎだ。この近くにはカブトムシやクワガタもいるという先生の話に歓声がわく。
この日、児童たちの人気を呼んだのは、「セウリ」とよばれる「鳥類繁殖飼育研究クラブ」のメンバーの指導による鳥との触れ合いと、午後から行われたフィルムケースとペットボトルを使った理科の実験だった。
歴史博物館と自然博物館は、少し難しかったようだが、馬にまたがった鎧戦士や、リ・スンシン将軍のコブッソン、瞻星臺などのレプリカと古墳の壁画の模写は、人気を集めていた。教科書で習ったのであろう。韓国ドラマにもなった、朱蒙や大祚栄などのコーナーでは、「オモニたちの方がもっとよく知っているはずだから」と、説明は省略された。
児童たちは余り石には関心がないからと、案内の先生は話していたが、児童たちは「一番高そうな鉱石は…」「ダイヤモンドはないのかな」「ケースに入れた、光っているのが高そうだ」なとど、彼らなりに楽しんでいた。
講堂のステージ上での軽音楽団にライブは、少し刺激が強かったようだ。
「セヌリ」のファン副部長の丁寧な説明も良かったが、鳥との触れ合いを指導した黄色いTシャツの男子学生は人気を集めていた。「CCレモンのオッパ、ヒョンニム(兄)」と呼んでくださいという自己紹介もうけていた。

中には、檻の中の鳥を見ては、「一番美味しいのは…」と言ったり、放し飼いの小鳥を抱いて、「砂肝はどこですか」と聞いたりして、睨まれていたワンパクもいたようだ。
ここでの体験で、「朝大行きたい派」が増えたことは確実だか、ある女子児童は、「でもオンマは反対する」と冷静だ。娘はオンマ(母親)を常に冷静に観察しているようだ。
昼食時間では、一人ひとりが並んで、豆腐豚肉丼を取って席に着く。パンとサラダなど、サイドメニューを自由にとることができると知ると、人だかりができる。コロッケがあるというのだ。コロッケではなく、メンチカツだったが、児童たちはパンにそのメンチを挟んで、ソースをたっぷりかけて大騒ぎだ。
食事をしていると、「ソンセンニン、コロッケパンできました」との報告が絶えない。
昨年暮れ、少年団員の前で現在の鉄筋校舎を建てるために好きなコロッケパンを食べることを我慢して募金に協力した思い出を話したことがある。今年の口演大会では、それを題材にした「芸術宣伝」が金賞を受賞したというので、東京チェーサムではコロッケパンがちょっとしたブームになっているのである。

大学生たちも続々と食堂に並ぶ。
「今日は東京の少年団員全員集まったの?」
六〇人近い児童が、ワイワイガヤガヤしながらの食事の様子は、壮快である。
東京チェーサム一校の五、六年生だと知ると先生も学生たちも一様に驚いていた。
理科の実験は、教育学部の学生が指導した。
電車の中で濃紺の野球帽をかぶり、『フルタの方程式』を読んでいた体格の大きな児童が、フィルムケースのロケットの打ち上げに成功すると、両手をあげて「万歳」を叫んでいた。みなが興奮気味だ。
学生たちはこうした児童の驚きの表情に喜びを隠せずにいたが、この多くの個性あふれる児童を仕切っている二人の女性教師への関心も高かったようだ。

一〇人にも満たない児童の統率に四苦八苦している他の学校の先生の姿を度々目撃しているからだ。六年生二六人、五年生三一人を率いる梁先生と黄先生は全国でも最大人数を誇るクラスの担任かも知れない。
人数が少ないと先生対個々の児童となるが、ある程度の人数になると、そこに児童対児童の関係が生まれ、先生対児童という直接的な関係が薄れるのではと、思ってみたりした。例えば、先生が「集合」という号令をかけると、児童同士が「早く行こう」とか、「一緒に行こう」とか、互いに誘い合う姿を度々目撃したからだ。
それにしても日差しの強い、暑い日だった。いつものサンバイザーを持ってこなかったのであろう、五年担任の黄先生が、タオルを頭からすっぽりとかぶったその後ろ姿は、帽子を忘れたゴルフ場のキャディーさん状態だった。
× ×
学区の一つ総連K支部のK委員長は、E支部の常任顧問として赴任することになった。彼を送る会で、沖縄で会ったホントンムのアボジと茨城の学校の先生になったリョトンムのアボジと同じ席になった。二人とも東京の支部委員長である。
K委員長は、いままでのように「職権」としてチョーサムに行って、娘の授業の様子を見られなくなってさびしそうだ。
沖縄でのホントンムの話、初任給の一部をチェーサムに寄付したリョトンムの話などを聞きがら、三人のイルクン(専従活動家)は、親離れする子の姿に少し安堵すると共に、それでも次から次へと心配事がわき出るようで、子離れできないでいる自分たちを省みているようでもあった。
(ウリハッキョを記録する会・一粒出版www4.ocn.ne.jp/~uil/tokyo3.htm)
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■シリーズ・朝鮮学校の歩み
Ⅰ「私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」(一九四五~六七年・証言編)
Ⅱ「朝鮮学校は民族、統一、共同体の価値を持つ宝庫』(ソウル発インターネット新聞の特集」)
Ⅲ「復刻版・東京朝鮮中高草創期十年史」
Ⅳ~Ⅵ「ぼくらの旗-君はあの頃(都立)の東京朝高生を知っているか?」(三部作)
Ⅶ「私の中の一九四八年朝鮮人学校教育事件-アメリカ占領軍に抗して」
Ⅷ「続・私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」(一九四五~二〇〇九年・験記録編)
目次・内容などは http://www4.ocn.ne.jp/~uil/p.htm
一粒(한알)出版
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